ごぶさたしてます、
一ヶ月ぶりの投稿です。
もう四月ですね。
二月末に、資格試験の勉強のやる気が
低下しているというブログを書きました。
そしてこの一ヶ月、低空飛行のままです、、、。
それでも自分にムチ打って
明け方から昼飯までは勉強することにしています。
本来であれば残り三か月の直前期なので
今こそ起きてる時間は
すべて勉強にあてるぐらいの
気合いが必要なのですが、
モチベーションは上がらず。
しかも世の中は新型コロナ一色。
「ていうか、試験も中止なんじゃないの?」
という思いも、やる気が上がらない一因です。
午後からは本を読んだり
DVDで映画を観たり。
最近は、本ではヘンリー・ミラーの作品を読み、
映画ではイングマール・ベルイマン監督作品を観ました。
ベルイマンはよく黒澤、フェリーニと並ぶ
世界の三大巨匠、なんて言われている
スウェーデン人です。
ベルイマンは若いころから父親との確執があり
その恨みを映画で何度も描き続け、
それは父親が死んだ後も続きました。
だから僕にとっては身につまされるテーマというか
自分の言いたいことを代弁してくれてる映画作家です。
そうそう、読書に関してですが、
今まで絶対にやらなかったことを始めました。
それは本の文章に(赤)鉛筆で線を引くことです。
これは年齢的なことだと思います。
今までは「この先何回も読むだろうし、
今重要と思える部分が今後重要かもわからないし」
とか、
「本は綺麗な状態で所有、保存しておきたい」
とか、
「他人に自分の本をペラペラ見られた時に
どこに線を引いたかバレるのが嫌だ」
とか、、、
でも40歳になって
「本は消耗品として扱おう」と心変わりしました。
線を引くことと同時並行で、
ノートもとるようになりました。
読書ノートってほどのものではありません。
本の感想を書くわけでもありません。
今の僕の心に触れた言葉を
単語単位でメモしてるだけです。
性格上、ノートをとるとなったら
どうしても完璧なものを目指したくなってしまうのですが、
そこはぐっとこらえて
単語、フレーズをメモするだけにとどめてます。
読書をしたり、映画を観たりして思うこと。
それは「たとえ短い人生でも、一生貧乏でも、
自分にとって本当に大切なことに打ち込むこと」
「社会的に有利か不利かという観点を排除して生きること」が
いかに重要かということ。
世界の作家たちの激しい生き様にふれるにつけ、
「自分は本当に生活費のためだけに
なんの興味もない資格試験の勉強をしててよいのか」
「そもそも国家資格をとって
独占業務に就こうっていう生き方ってどうなの?」
という思いが頭をもたげます。
いやいや、待て待て!
勉強があまりうまくいってないから、
そこから逃げたいから、
そんなことを考えてるだけじゃないのか。
今までのことを考えれば
勉強をやめたところで
何もせずに無為に過ごすことは目に見えてます。
やはり少なくとも半日は勉強を続けよう。
ところで話は変わるのですが、、、
最近歯に違和感があって
おととい歯医者に行ったら虫歯の宣告。
けっこう奥まで進行していて
神経を抜きました。
歯を治療するのはよいのですが、
治療したその日以来、
仮に入れた詰め物がとれやしないかと
気になって仕方ありません。
10年ぐらい前のことですが、
歯の治療中に詰め物がとれて
何日か不快な思いで過ごしたことが
今でも頭にこびりついているのです。
常に怖々と食べ物を口に入れていて、
正直食事をとるのが億劫です。
すべての食事を点滴で済ませたい。
またはウィダーインゼリーみたいなもので済ませたい。
つまり噛みたくない。
もちろん歯みがきもできれば避けたい。
右上の奥歯を治療してるのですが、
その周辺は間違っても詰め物が取れないように
そぉ~~っと磨いてます。
「はやく治療が終ってくれないかなぁ」
と考えた後に、ふと思ったのですが、
このタイミングで歯医者さんが
新型コロナウイルスに感染して
休業にでもなったら
僕はどうなってしまうのか?
詰め物がとれるんじゃないかという恐怖が
ずっと続くのでは?
他の歯科医院に転院でもするの?
でも僕も濃厚接触を疑われて
治療拒否されるんじゃないか?
宙ぶらりんの状態で放置されるのでは?
たかだか仮の詰め物一つのおかげで
わりに僕の心は疲弊してます。
治療はあと数回続く予定。
なんとかあと数週間、
新型コロナに感染しませんように。
こんなことを日夜祈っているので
さらに勉強に身が入らないよぉ~。
というわけで今回はこのへんで。
読んでくださりありがとうございました。