前回のブログから今日までのこと。
知り合いから仕事を紹介されたけれど
僕の側の問題でお断りしたり、
自分にもできそうなアルバイトに
応募して書類選考で落とされたりしていました。
で、ここ数日は朝から夕方まで読書。
夕方から夕飯までは
向かいの家の子供たちの相手をしています。
何を読んでいるのかといえば、
哲学者の中島義道さんの本です。
中島さんの本は大学生の時に初めて読んで
「この人は本当のことを言っている!」
と思って以来の読者です。
とくにひきこもってからの
2、3年はよく読んでいました。
中島さんの著書は
10冊ぐらい持っていますが、
ここ10年ぐらいは
ほとんど読むことなく
本棚で眠っていました。
ところが数日前に
部屋の整理をしていて
たまたま手にして読んでみると、
「やはり面白い!」
ひきこもりの僕にとっては、
「反・常識」「非・常識」的な
励まされる言葉満載なので
ここ数日はずっと読み返しています。
例えば、一部を引用すると、、、
「ひきこもりっておもしろいのは、
雨戸を全部閉めて、
朝から晩まで自分の部屋に閉じこもっていても、
全然退屈しないんです。
ひきこもった人はわかると思いますけれども、
退屈したらひきこもらないんです。
そこが最終的な到達点ですから、
そこでじっとしているわけです。」
そうなんです。
ひきこもり状態は
「最終的な到達点」なんです。
そこでおしまいだから
次にすべきことがないのです。
けれど一般的にはひきこもりは
「スタート地点にも立っていない状態」
と認識している人が多いのではないでしょうか。
本当は真逆なのです。
他に印象に残った言葉を少し紹介すると、、、
「親から『あなたはひとりで生きてきたのではない』と
言われることがあるが、
それは単なる事実であって、
この先につながるいかなる感謝も
理論的にありえない。」
「自分の過去を思い起こし、
しばしば気がおかしくなりそうになる。
だがフッと正気に戻る。
誰も悪くない。
これが自分に与えられた人生なのだ。」
「生きているとは、まだ決着のつかない
状況のうちにいるということであり、
取り返しがつく状況のうちに
いるということである。」
「決して生きている『だけ』でよいわけではない。
『最も大切』というのと『それだけでいい』というのとは
意味が違うから。」
「幸福とは、思考の停止、視野の切り捨て、
感受性の麻痺、つまり大いなる錯覚。」
きりがなくなるのでこのあたりにしておきますが、
なぜ僕が中島さんの言葉に魅かれるのか。
おそらく彼の、自分を徹底的に疑う姿勢に
シンパシーを感じるからだと思います。
先日、イチロー選手の引退会見を見ていたら
「自分を信じることの大切さ」を
説いていらっしゃいました。
おそらく(プロの)アスリートというのは
自分を信じてトレーニングを積まなくては
結果がでないんだと思います。
けれど、僕にとっては人としての
シンパシーは感じない。
そのあたりが青年期以降、
僕がスポーツに興味を持てなくなった
理由なのかもしれません。
あ、もちろんプロスポーツ選手や
オリンピック選手は
アスリートとしては
すごいと思いますよ。
ただ、僕とは人種が違うし
興味がないというだけのことです。
というわけで、今日はこのへんで。
読んでいただきありがとうございました。