今日、2月10日は
「ニートの日」らしいです。


ニートの定義を調べてみました。


「ニートとは、就学・就労・職業訓練の
いずれも行っていないことを意味する用語。
日本では、15~34歳までの非労働力人口のうち
通学・家事を行っていない者を指しており、
「若年無業者」と呼称している。」


うーむ、、、

いくつかひっかかるところがあります。


まず、年齢。
ニートというのは34歳までなんですね。

僕はブログのタイトルに
「ニート」とか使っちゃってるけれど
39歳なのでニートではないみたいです。

では、ただの「高齢のひきこもり」なのかな。



さらにひっかかったのは、
「家事をおこなってない者」の部分。

家事を全く行わない人の方が
マレなのでは?と思ってしまいました。

僕だって毎日決まって行ってる
家事はありませんが、
風呂を洗うこともあるし
食器を洗うこともあるし
ご飯を炊くこともあるし
便所は入るたびに拭いてますし
洗濯物を干したり取り込んだりすることもあります。

(手のこんだ料理と
自分以外の部屋の掃除は
ほとんどやりませんが、、、)


そう考えると、
毎日同じ家事を必ず行っている人だけが
「ニートじゃない」ということになるんでしょうか。

なんとなく定義がよくわかりません。



あと気になるのは、
「職業訓練をしていない」という点。

ここでいう職業訓練というのは
おそらく資格をとったり
専門職に就くために
専門学校や予備校に行ったりして
勉強している人のことを指してるんだと
思うのだけれど、、、

職業訓練てそんなに単純なものなんでしょうか?

家でひきこもっていた人が
のちにスクールカウンセラーとかになって
不登校やひきこもりの人に対して
経験者として彼らに対して
行き届いたケアを行うことができたとしたら、
ニート時代の時代の経験が役に立ってしまったとしたら、
それは「職業訓練をしていた」
ということになってしまうのでは
ないでしょうか。


例えば僕は20代のころ、
メジャーリーグが好きで
平日の昼間から毎日、
メジャーの試合を見続けていました。
のちにその知識を活かして
スポーツライターになって
原稿料(報酬)をもらうことになってしまったら、
それは「職業訓練をしていた」
ということになってしまうのでは
ないでしょうか。


これらのように直接的ではなくても
今の自分の環境において
考えてること、感じていることを
仕事に活かせるかは
その人の想像力次第だと思ったりもします。


つまり、職業訓練になっているかどうかは
「結果論」である、ということです。


僕が何も仕事をすることなく死んだとします。
棺桶の中で横たわる僕を見て、
「オカは大学卒業時にさかのぼって、
死ぬまでニートだったね。」
と言われるのは全然かまいません。

けれど、生きているうちから
ニートという言葉を使うのは
なんか違う気がします。


(じゃあ自分でブログタイトルに
「ニート」って使うな、って話なんですが。)



結局のところ、
「『わかった』ということにしたい」
という人間の欲望、欲求が
この手の言葉を生み出しているように思います。


「あいつはニートだから」と
言葉の枠にはめることによって
彼(女)のことを
自分の中で「わかった」ことにする。
彼(女)について考えることを放棄する。


日常の雑事に追われていれば
他の人を特定の言葉で既定して
問題の何か(サムシング)を
理解したことにしたい気持ちはわかります。


僕だって一つの言葉に
だれかの存在を押し込めて
思考を放棄してることが
あるかもしれない。
というか絶対にあります。


「だから」自分を信じない。
常に「間違っているんじゃないか」と
自分を疑い続けていきたいと思います。

 

 

でも、自分を疑いだすと

行動力は極端になくなってしまうんだよなぁ。

 

いやいや、行動力を犠牲にしても

僕は自分を信じない道を選びたい。

たとえそれが「不幸」だとしても、です。


ニートの日に自戒をこめて。



というあたりで
今日はここまで。

最後まで読んでくださり
ありがとうございました。