ごぶさたしています。


最近は後戻りぎみの生活です。
やっていることと言えば、
求人サイトとにらめっこをして
実際に働いた気分になり、
お腹いっぱいになって一日が終わっていきます。



そんな中、今日は「ひきこもりは金で解決するのか」について
ちょっと夢想してみたいとおもいます。


たとえば宝くじで1億なり2億なり
当たったらどうなるのか、ということです。


僕はひきこもった当初から
この問題についてあれこれ考えてきました。


結論から申し上げますと、
ぼくの場合、答えは「イエス」です。
100%解決すると思います。


というのも、ひきこもっている僕が
抱えている問題というのは
煎じつめれば全部カネの問題だからです。


現実に生活していくための金銭問題から
親子関係に至るまで。


親が(自分の趣味として勝手に)心配していることは
「このままでは自分が死んだ後に食べていけない」
ということ。


とすれば、もし食べていければ
この問題が解決してしまいます。


僕は「金に困っていないなら別に働く必要はない」
という考え方です。


自分の親をはじめとして、
僕の実際の知り合いで
「この人が素晴らしい人格をそなえているのは、
さすが労働に勤しんでいるからだなぁ」と
思える人は一人もいません。


そんなこともあって別に人間として向上するために
働く必要性を感じないのです。




普段は親を自分の死角に置いて、
ときどき遠くのリスクのないところから
「父ちゃん、母ちゃん、元気してるかな~」と
物思いにふけっていればよい生活。


毎年、お中元やお歳暮をおくることをもって
「私はあなたのことをちゃんと気にかけてますよ」と
強迫しつづける生活。


本当にあこがれます。




とはいえ、宝くじが当たるのは
現実的なことではありません。
夢想終了。


となるとやはり働かなければいけないのでしょうか。



先日、不登校・ひきこもりに関する本を読んでいたら
ある中学生男子の例が載っていました。


彼は朝になるといつも思います。


「俺はいつもと同じ道を通って学校へいくんだろうな。
そしたら、一時間目の国語の先生が
○○の文章について講義するんだろうな。
二時間目の英語では先生が△△の講義をするんだろうな。
・・・・・・・、
四時間目が終わったら班になって給食を食べるんだろうな。
その時××の話をするんだろうな。
・・・・・・・、
授業が終わったらいつもと同じ道を通って
家へ帰るんだろうな・・・」


彼は「なぜわかりきった現実をなぞる作業が
必要なのかわからない」から不登校になっているそうです。


喜びも悲しみも想像の中の世界の方が幅が広くて、
現実はその枠内にすぎない、とるに足らないものである、と。



おそらく彼には、
「空想の中のできごとを現実に起こったものとして捉える能力」
があるんだろうと思います。


これについて、「働く」ことに関して言えば、
仕事で失敗して罵声をあびせられたり、職場で無視されたり、
喜びを分かち合ったり、といった
わかりきった現実をなぞらなければ給料(お金)は入ってきません。


求人サイトを眺めて働いた気分になっているだけでは
お金はもらえないのです。


「だから」わかりきった現実をなぞる必要がある、
という文脈に飛びつくことが僕にはできません。


「じゃあ、どうするつもりなの?」


僕(に限らず社会に出ない多くの人)が

何度もあびせられてきた言葉です。

(「選択肢はこれしかないんだから、当然これを選べ」と言って

議論の余地をなくすマジョリティの戦法。)



今の時点の僕にはこれに有効に返す言葉はありません。


しばらくは(もしかしたら死ぬまで)
「わからない!わからない!何もわからない!」と
叫び続けていこうと思います。