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村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

オウム真理教幹部・村井秀夫刺殺事件の真犯人と対峙して

 

吉田悠軌

怪談サークルとうもろこしの会会長。怪談の収集・語りとオカルト全般を研究。近著『禁足地帯の歩き方』『一行怪談』『怪談現場 東海道中』。月刊ムーで連載中。オカルトスポット探訪雑誌『怪処』発行。

 

吉田氏の取材に応じる徐

 

2012年、吉田氏とカメラマン・廣瀬健氏はある事務所で徐裕行と面会し、インタビューを行った。

当時、徐は村井事件の捏造に奔走しており、吉田氏のインタビューも徐裕行の主張をありのままに掲載させる内容となった。

取材記事は『日本のタブーThe Max』『ブラック・ザ・タブー』にそれぞれ掲載された。それから5年後の2017年11月、吉田は『TABLO』にて、当時の取材について次のように懐述した。

http://tablo.jp/case/society/news002518.html

 

 

 

2017年11月23日


人混みの中で、二人の男がぶつかった。周囲の誰かが怒鳴りつけ、彼らをすぐに引き離す。体をぶつけられた方の男は、怪訝な表情で自らの左腕を気にしている。そこまではあたかも、満員電車で乗客同士がぶつかった程度の、日常的なトラブルにすら見えた。しかし次の瞬間、左腕を見つめていた男の体が崩れ、地面へと倒れこんでしまう。彼の名は、村井秀夫。オウム真理教幹部であり、教団内の科学技術省臣を勤めていた。そして村井の左腕を刃物で切りつけ、さらに右脇腹に13cmの深さまで刃を刺しこんだ男が、徐裕行である。

1995年4月23日。地下鉄サリン事件から一ヶ月が過ぎ、もはや日本中の誰もが黒幕はオウム真理教だろうと確信していた。教団側は必死に否定し続けるが、緊張の度合いは日増しに強まり、いつ何が起こるか分からない。南青山のオウム東京総本部(通称マハーポーシャビル)前には、200人もの報道関係者が常駐で待機していた。彼らがカメラを構え、ライブ中継しているその眼前で、一瞬の凶行が繰り広げられたのである。その生々しい映像はニュース番組やワイドショーで何度も放映されたが、さすがに悲惨だということで数日後には自主規制がかかる。

村井が刺された1時間後には、教団の広報を勤める上祐史浩が病院前で会見。「あなた達は、マスコミの報道で、犯人にまでなっていない人間を、起訴もされていないし逮捕もされていない人間を犯人と決めつけ、そして国民の感情を煽り、そしてそういう結果、いらぬ敵意を抱く暴漢を作り出し、そしてこういう結果に陥ったんじゃないのか!」「麻原を殺す気ですか今度は!」と報道陣をなじる一幕を見せたのも話題となった。

明けて24日の午前2時30分、村井の死亡が確認された。大量の輸血も間に合わないほどの出血性ショックが死因であった。そして5月16日、麻原彰晃ら教団幹部の一斉逮捕。サリン事件を含む裁判が行われていったのだが、教団内で科学技術を担当していた村井の死が、真相究明に大きな影を落としたのは間違いない。
 

第一印象として感じたのは「穏やかさ」「物腰の低さ」


2012年の夏、私は徐裕行のブログをまとめて読んでいった。メインで書かれているのは、北朝鮮拉致問題への解決を訴える文章だ。徐本人も言及しているように、これには在日朝鮮人3世であり、総連系(北朝鮮系)の朝鮮学校に通っていた出自も関係している。その他には、趣味のヨットレースや、時事ニュースへの意見、日々の雑記といったような記事も散見された。いずれにせよ、事情を知らない人間が読んだなら、このアメーバブログ管理人が村井刺殺事件の犯人であり、12年の懲役から戻ってきた人物だとは気付かないだろう。私は全記事に一通り目を通した後、ブログのメッセージ欄を開き、インタビューを依頼する旨の文章を書き連ねていった。

その半年前の2011年大晦日、オウム事件実行犯の一人である平田信が、丸の内警察署に出頭していた。続いて翌年6月、最後の逃亡犯である高橋克也が大田区にて逮捕。オウム事件全体における一つの区切りがついたタイミングだったとも考えられる。私はその前後で、BLACKザ・タブー誌面にて、新団体「ひかりの輪」代表となっていた上祐史浩への雑誌インタビューを担当した。さらに元オウムとは別の人間にも話を聞こうということで、徐裕行の名前が挙がったという次第である。

彼へのコンタクトは、ブログを経由する以外に連絡手段がなかった。アメブロのポップなメッセージ欄には不釣り合いな堅苦しい依頼文を送る。しばらくして、徐から一言「結構ですよ」との答えが返ってきた。幾つかのやりとりの後、喫茶店の会議室にてインタビューを行うこととなった。当日訪れた会議室は、やけに薄暗く古ぼけており、長年にわたって染み着いた煙草の臭いが空気をべたつかせていた。そして約束の時間となり、徐裕行を迎えにゆく。

彼に会った際、第一印象として感じたのは「穏やかさ」「物腰の低さ」だった。ただしそれは大人しい文化系の若者と同じような雰囲気ではない。例えるなら剣道の試合のごとく、しっかり相手との間合いをとっているような意識が察せられた。悪印象を受けた訳ではないが、緊張で自分の胸がキュッと縮むのが分かった。久田将義氏は著書『生身の暴力論』で「殺人者が自身の殺人行為を語る時、眠そうな目をすることが多い」といった旨を記している。しかし私が徐の瞳に見たのは、あくまで「冷静」な眼差しだった。


徐自身が"ある種"の心情をわざわざ吐露した


徐へのインタビューではやはり、オウム事件、北朝鮮拉致事件についての見解を聞くこととなった。後者について徐は、北朝鮮政府はもとより、周囲の在日朝鮮人についても、その問題意識の低さに批判的な意見を述べていた。彼は青年期には総連系の活動も行っていたが、「ちょっとおかしいなという気持ち」から離脱。以降はむしろ右派寄りの活動を行っていったようだ。彼の思想の変遷について、取材不足の私には断定できる材料はない。ただし政治的立場はともかく、彼の心情は「身内」と「外部」を分けるタイプであるのは間違いないように思える。

インタビューにおける主眼は言うまでもなく、村井刺殺についての動機を語ってもらうところにあった。徐は「今になって言葉に表せというのは非常に難しい」「皆さんにも分からないかと思う」としつつ、その理由を「許せないから」との言葉にまとめた。

「僕は家族愛というか、両親や兄弟親族への愛情が強い方なんです。家族関係のように愛情で結ばれている人たちが、第三者の犯罪行為によって強制的に離間させられることに対して強い憤りがあるんです。拉致事件でも同じことが言えますが、家族を無理やり引き離すようなことが許せない。そういうことに対する怒りは、サリン事件の時は非常に強かったですね」

 一時期、村井刺殺事件はオウム教団内部による差し金ではないか、との話が飛び交った。科学技術省大臣としてサリン事件の秘密を握る村井の口封じをはかったのでは、という言説だ。もちろんこれについては、徐裕行とオウムの双方が否定。一斉逮捕後、オウムを離れた上祐も「そういった事実はない」との立場をとっている。裁判でも立証されなかったし、徐と上祐の双方から話を聞いた私個人としても、さすがに考えすぎの陰謀論だろうとは思う。

もちろん本稿は事の真相を追うのが趣旨ではないので、その是非については置いておこう。また、徐裕行が初対面の私に胸襟を開き、自身の精神をあますところなく開示してくれたとも思えない。ただいずれにせよ、徐自身が上記の通り「身内」と「外部」を分ける心情をわざわざ吐露していることには注目したい。この心性は「左翼」よりも「右翼」寄りのタイプであることは間違いないだろう。

オウムにまつわる議論について、あの教団が「右翼か左翼か」を問う行為はあまり為されていないように見受けられる。それよりもまずオカルティックな秘密宗教団体の側面が先行するからだろう。とはいえ、いちおうオカルト研究を業とする私から言えば、オカルトという思想の中にも矛盾せず存在する別レイヤーとして「右翼」「左翼」の傾向は確かにある。80~90年代の一部の若者に訴求されたオウム真理教は、ニューエイジ、欧米経由で「再発見」されたヨガと原始仏教を宗教的出発点としており、思想としては左寄りだったと言えるだろう。

非常に乱暴な括りとなってしまうが、人間関係の好みだけを注目すると、右翼は「身内」と「外部」を分け、左翼は「ワン・ワールド」にまとめたがる。そしてオウム幹部たちの理屈に立脚すれば、サリン事件含め人類全体の魂上昇を試みる「ポア」とは、根本的には20世紀共産主義の「世界革命」の発想と似通っている。徐がオウムに対して殺意へ至るまでの「許せなさ」を抱いたのは、双方の根本的な精神性に相容れなさを覚えたせいもあっただろう。


人を殺すか、殺さないかは、紙一重

 

徐はまた、インタビュー中でこんなことも述べている。

マスコミがあれ程までにオウムがやったんだという"絶対悪"としての大量の報道をしていなかったら? というのも一つの要因でしょう。例えばそういう報道が流れ、巷では酒を飲みながらTVを見ながら「あいつら許せんな」「死んでしまえばいい」と......当然、僕もそういう会話をしたし聞いたりしましたよ。そこで行動するしないというのは、本当に紙一重。なんらかのキッカケがあれば、誰でもそういうことになりうる。世の中の人たちがそうなりうる事件だったと思います。

村井が運ばれた病院前にて、激昂した上祐が言い放った言葉と、奇しくも似た内容を語っているではないか。さすがに現在の二人とも、村井刺殺事件の責任を「マスコミにある」と転嫁したい訳ではないだろう。しかしこれは双方が真逆の立場ながらも、自分たちはマスコミという現体制に対抗する「反体制」なのだという心情吐露であるように、私には感じられた。

徐裕行がオウム幹部・村井秀夫を刺し殺したあの事件は、表舞台で繰り広げられる政党の左右対立とは全く別の地点で起きた、「右」vs「左」の結節点だったのである。

村井の刺殺現場であるオウム東京総本部ビル。その建物は最近までずっと、南青山七丁目の交差点に忘れられたように佇んでいた。私は週に一度は目の前の通りを歩いていたので、視界の端に入るビルの様子をいつも気にかけていたものだった。入居しているテナントも存在していたが、ビル内には人の気配が感じられず、がらんとした空虚なハリボテが道沿いに置かれているようだった。正面のガラス窓にはいつも「テナント募集中」「FOR RENT」といった広告が何枚も張り出され続けており、罪のないビルオーナーには申し訳ないが、もはや何かの冗談のようにしか感じられなかった。そして事件からちょうど20年が経った2015年4月、そのビルは取り壊された。敷地は今のところ、歯抜けのような空き地となったままである。

この記事を書くにあたって、私は5年ぶりに徐裕行のブログにアクセスした。するとそこに、一つの奇妙な偶然が待ちかまえていた。徐のブログもまた、2015年4月の記事からずっと更新が途絶えていたのだ。私のインタビューの最後にも、ブログから拉致問題解決の署名を訴えていたほど精力的に活動していたのだが......。彼が刃を手にして村井に向かっていったビルが解体されたのと全く同じタイミングで、そのブログもまた終わっていたのである。(敬称略)

 

取材・文◎吉田悠軌(フリーライター)

 

 

筆者の意見

 

吉田氏は取材不足と認める一方で、事件の背後関係は陰謀論と断言し、徐を根拠もなく右翼と認定している

上祐も徐も鈴木邦男も「村井事件はマスコミが煽った結果起きた事件」と主張し、当時から責任転嫁を図っている

オウム真理教も頻繁にマスコミへの責任転嫁を図り坂本事件を隠蔽した事実もある

 

また、当の安廣裁判長が犯行の背後関係はいまだ解明し尽くしておらず、不透明な点が残されていると言わざるを得ないと指摘しており、裁判長が捜査体制に疑問を持つ発言を残している

そして徐裕行本人が「若頭の指示でやった」という証言も残されているが、吉田氏は一切触れていない

 

徐が在日2世なのか3世なのかは不明

(出身地も群馬県なのか東京なのかはっきりしていない)

 

 

徐裕行の仲間の鈴木邦男は日本人拉致事件に協力したよど号グループとも仲良く面会しているのだが(詳細は八尾恵著『謝罪します 』に記載あり)

徐がこの事実に触れないあたり真剣に拉致問題に取り組んでいるとは到底考えられない

(ついでに活動も放棄)

 

吉田氏は犯行側の主張を聞いただけで事件の全貌を把握したような錯覚に陥っているようだが警察や裁判官、医療関係者、検事、上祐以外のオウム信者も事件に立ち会っており、取材の対象になる人ならまだいくらでもいる

 

無責任な駄文をネットで垂れ流す前に、当時の報道記事を見直したり、広範囲の取材をして事件を見直すべきではなかったのだろうか?

 

Twitterを検索していたところ、ある人が吉田氏の記事について、次のような批判をしていた。

 

「この元受刑者が、殺害を指示されたと名前を挙げて逮捕された人物がいて、裁判までしているのになぜその事には触れない。今になって誰にも「指示されていない」なら、事実を隠している」

宮崎 哲弥氏 オウム事件外国機関共謀説

 

「オウム事件は外国機関共謀説…ってね」

 

 

宮崎 哲弥「あの…(エキストラの笑い声)裁判やってますよね。公判というのは説明つかないことが多過ぎるんですよね。特に、あの、オウムに関して言うと、ロシアと北朝鮮の影というのが物凄くちらついていると」

 

「ものすごく影じゃなくてね、もうね」

 

宮崎「あの、ハッキリと出て来てますけど、公判廷では殆ど問題視されていない、北朝鮮にしても、例えば早川紀代秀という人がいますけど、幹部だった、これは8回も行ってるんですよね。」

 

 

「ロシア?」

 

宮崎「北朝鮮」

 

「北朝鮮!へぇ〜」

 

宮崎「一体何をやっていたのか。実はよくわかっていない。。からあの、もう一つ、あの、あるテレビ局がですね、村井って人が刺殺されたでしょ」

 

 

「殺されましたね」

 

宮崎「徐って在日の人が、殺したんですけれど、あるテレビ局がね、ドキュメンタリー撮っていて、徐のこの、行動というのを、犯行を犯す前に、徐の行動をずーっと撮っているんですよ」

 

「ほう」

 

 

宮崎「何でこれ何でこれが撮れたのか、全く分からない。あの青山道場の前で。一人、たった一人なんですよ。それ。たった一人の、その、周りに集まっている人の一人なのに、それをずーっと、それをフォーカスしてるの」

 

「うん」

 

宮崎「これは、ある一説によると、在日系のですね、北朝鮮系のですね、えー、あるこの筋からの情報が、そこのドキュメンタリー会社に入ったというふうにいわれています」

 

 

「それで外国機関は、日本を国家転覆を狙っていたということ?」

 

 

宮崎「そこまでは予定か、っていうか、そういうことも考えられるんだけど、そこまではどうかは分からないんだけども、オウムの影に今の表には出て来てないような公安マターっていうかね、そういうものがですね、外事マターっていうのがあるのは間違いないです」

 

 

「そういやね、今宮崎さんのね、あのオウムの時のビデオ、あれわしが撮ったんだわ、色々。××××あれだったけども」

 

宮崎「それいっちゃいかんって」

 

「いかん」

 

(会場が爆笑に包まれる。)

 

 

「そこでね、そのカメラのその、なんだ、袋かナイフを入れてあったところが何故か別に映っとるんですよ。ちゃんと。そういう話あったでしょ。」

 

「ああいう現場がびっしり映る」「情報を」

 

 

宮崎「そういうやつを、あの、マークしとけっと、そいつが本当に殺害するかそうか別として」

 

「そんな難しい話はいいけど、名古屋に来たらこの味噌煮込みは、あの」

 

 

(会場が爆笑に包まれる。)

 

「自分で振っといて自分で無視するなよ!」

 

「味噌煮込みはねぇ、割と茶色い液でね、塩辛いけどどえらい塩分が少なくてね」

 

「あんたの話は細かいね!」

1番政治家に嫌われたスクープカメラマン宮嶋茂樹だけが知っている、魂震えた報道スクープ写真とは!!戦後最大の事件が闇に葬られる瞬間を撮った1枚とは!?

 

2017年4月12日、TBSは番組『1番だけが知っている』の中で、村井秀夫刺殺事件の写真を撮影したカメラマン、鷲尾倫夫氏の活躍を放送した。

 

鷲尾倫夫(1995年当時、54歳)。

1941年東京都生まれ。60年愛知県国立高浜海員学校修了。60年東洋海運 (現・新栄船舶)に入社し、72年同社退職。73年日本写真学園研究科卒業。81年から「FOCUS」(新潮社)編集部専属カメラマンとして20年間在籍。83年日本写真学園主任講師になる。報道写真家として活躍する一方で写真展(個展)も主催しており、72年「東アフリカ・マガディン村の人々」「そのままで、君たちは」(以上新宿ニコンサロン)、76年「日々一生」、77年「寿町えれじぃ」、80年「冠婚葬祭」(以上銀座ニコンサロン)、81年「顔・エトセトラ」、(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、84年「ヨボセヨ」、86年「ヨボセヨⅡ」、89年「原色の町 ソウル84-88年」、91年「1977年-13年-1991年 エトセトラ」、94年「顔・エトセトラⅡ」など多くの作品を発表していた。

 

 

1995年4月23日朝10:00。

衝撃のスクープ写真撮影まで10時間35分。

南青山オウム真理教総本部前には、200人にも及ぶ報道陣が集まっていた。彼らの狙いは教団のNo.2、村井秀夫。

 

(レストラン前で微笑む村井)

 

この一月前に起きた地下鉄サリン事件に加え、麻原の行方も不明となっており、マスコミは連日、この真相を知るとされる村井を追い続けていた。

 

その報道陣の中に居たのは「FOCUS」専属カメラマン、鷲尾倫夫。

 

当時、週刊文春にいた宮嶋茂樹(当時34)とはライバル紙でありながら、度々現場で居合わせる20歳年上の先輩。

 

そして彼こそが、宮嶋の魂を震わす写真を撮った男であった。

 

 

宮嶋「現場では強い人ですね。あの、必ず何かを持っている人でしたんで。色んな伝説のある方…ですし」

 

「当時は『FOCUS』に名前を載せなかったんですけど、すぐ誰が撮ったか分かりましたんで、『あぁ、あれは鷲尾だから撮れたんだ』ってみんな納得しました」

 

鷲尾氏はこれまでメディアからの取材を一切受け付けず、スクープ写真に自身の名前すら載せなかった。

 

(ネットでは顔を公表しているのにテレビには顔を出さない鷲尾氏)

 

だが今回、「宮嶋が言うのであれば」と「顔を出さない」を条件に、はじめて当時について語った。

 

 

鷲尾「僕がね、10時ぐらいに(現場へ)入ったんじゃないかな。それで、全体を見てて、マスコミの人間をね、『よくここまで夢中になれる』、凄く冷めた目でね、意地悪な目で見てたんですよ。」

 

メディア「きたぞ、上祐だ!」

「上祐さんすみません!取材を!」「取材させて下さい!」「一言でいいんです上祐さん!」

 

 

当時、教団関係者だけでスクープになった時代。報道陣が相手を構わず一斉に押し掛け撮影を行っていたが、鷲尾だけは一歩引いて現場を見つめていた。

 

 

鷲尾「同じもの撮ってもしょうがない。そんなこと絶対写真が撮れないと思ってたから」

 

人と同じ写真は絶対撮らない。それは、彼の経歴が関係していた。実は、FOCU編集長からスカウトされる以前、個展を開ける程の芸術写真家として活動していた。

 

スクープカメラマンとしてのスタートが遅かったため、こんな想いがあった。

 

 

「コンプレックスからきているのかもしれないね、遅れて出てきたっていうね。あれ撮ってこいと言ってきたら、絶対その通りには撮りたくなかった」

 

(野獣の眼光)

 

芸術家として自分にしか撮れない写真を撮る。

信念を持っていた鷲尾は、この日も、人とは違った目線の写真を撮れないかと、周囲を見渡していた。そんな時、鷲尾の目に飛び込んできたのは、一人の男が醸し出す、違和感だった。

 

(史上初!徐裕行を演じる役者)

 

鷲尾「一人おかしい男が、まぁ、自分にはそういう風に映ったんですよ。それでずーっとマークしていたんですよ。」

 

(残念ながらヒョウ柄のセーターとジーンズは再現していない。)

 

 

 

スタッフ「周りの人達もおかしいなっていうのは…」

 

鷲尾「いや、全然分かってなかったんじゃない?僕はずっと人間を撮っていたでしょ。人間にすごく興味があるんですよ」

 

(顔は似ているが、髪型はパーマではなく短髪。出所後のイメージを再現しているのだろうか。)

 

写真家時代、下町で暮らす人々の表情を撮り続けていた鷲尾。

「心」を写真に写しだす。そんなカメラマンだからこそ撮れた違和感があった。

 

 

歴史的スクープ写真撮影まで3時間35分。しかし、夕方になってもターゲットの村井は現れる気配すらない。

およそ3時間後に、歴史的大事件が起きるとも知らずに。

 

(中央の青い帽子の役者が上峯にそっくりである。再現しないのが勿体ない。)

 

集まった報道陣の中には帰る者すら現れはじめた。この日、現場に居た宮嶋もまさにその一人。

 

宮嶋「『様子見』とか言って結構サボることってあるでしょ。

サボったりというか交代したりしてたんですよ、そういう時でしたね」

 

そして、鷲尾の元にも。

ポケベル「ピーピーピー」

 

FOCUS編集長「どうだ。鷲尾。何か撮れたか」

 

鷲尾「いえ、まだ何も」

 

FOCUS編集長「どちらにしろ、8時になったら記事の差し替えは無理だ。お前はもう上がれ」

 

鷲尾「ああ…」

 

その週に発売されるFOCUSの締め切りまでもう時間がない。現場に動きも無かったため、編集長から帰宅命令が出た。この時、事件まで43分。

 

鷲尾「じゃあ、適当に上がります」

 

上がるとは言ったものの、どうしても気がかりだったのは、あの青年に感じた、言葉にできない違和感。そこで鷲尾は独断で現場に残る事に。

 

(史実と異なる黄色い服。違和感ありまくりです)

 

この直感こそが歴史的写真を生み出すのだった。

 

午後8時33分。

 

衝撃のスクープ写真撮影まで2分。報道陣が諦めかけていた。

 

「オイ!村井だ!来たぞ!」

「村井さーん」

 

 

この日、一度も姿を現さなかった村井が突然、教団本部に現れたのである。

 

 

「村井さーん」

村井の顔を撮ろうと一斉に駆け寄る報道陣。

「地下鉄サリン事件についてどう思います?」

 

それに対し、鷲尾は

 

 

鷲尾「(ビルへ)入る所に花壇があったんですよ。花壇の上に乗って上から撮ったんですよ」

 

 

人とは違う写真を撮る。鷲尾が目をつけたのはマンション入り口付近にあった花壇。

 

 

報道陣に囲まれている村井を収めようと、花壇の上に乗って撮影を始めた。

 

すると、目に飛び込んできたのは…

 

村井に近寄ろうとするあの青年の姿!

 

 

衝撃のスクープ写真撮影まで10秒、『何かが起こる』と瞬時に確信した鷲尾は青年の姿を見失わないようファインダーをのぞくのを止め、青年と村井の位置を直接目で確認しながらシャッターを切りはじめた。

 

(注:番組では徐が村井の横側から接近しているが、実際は正面から村井に接近している。)

 

 

すると、次の瞬間!

 

(史実より短いサイズの包丁)

 

カラン…

 

その時の実際の映像。

 

村井「ちょっと待って、早く入らないといけない」

信者「止めて下さい、お願いします」

信者「何やってんだこのヤローーーー!!!」

男「危ない」

女性「何が起こってるんでしょう」

信者「あっ、刃物持ってる!」

信者「刃物持ってる!!」

 

 

(左上赤丸の人物が鷲尾氏。右にいるモザイク男が徐裕行)

 

(徐裕行の公開殺戮に表情を歪ませるゲストたち。)

 

近くに居た報道陣さえ分からない一瞬の出来事。

だが、画面左横の鷲尾はその場で事件を予測し「歴史的1枚」を撮影していたのである。

 

その写真を目にした宮嶋は…

 

(「FOCUS」1995年5月3日号を眺める宮嶋氏)

 

宮嶋「あの、悔しかったですね。なんで自分みたいに初期からやってるカメラマンが……撮れなくて…鷲尾さんなんだ」

 

「その事件性も含めて、やっぱりメガトン級でしょうね。このショックはもう。ええ…」

 

宮嶋茂樹が一番魂が震えた報道スクープ写真とは!?

 

テレビ放送時

 

掲載時

 

出演者一同「うわぁ…」「ええええええ…」

 

5月3日号のFOCUSに載った、鷲尾の撮ったスクープ写真。

 

出演者「すごい、あれ、あれ包丁で…」

 

 

0コンマ数秒で刺されるとも知らず、全く気付いていない村井の表情。その命を奪おうとする包丁。そして男に気付き必死に止めようとする周囲の人間。

 

(徐の顔を覆うモザイク。猥褻物と同等の扱いである)

 

まさに、戦後最大の重大事件が闇に葬られるその瞬間が鮮明に切り取られていた。

 

人間を撮り続けたカメラマンの直感と冷静な判断力。

 

 

鷲尾はこの写真で一年で最も大きなスクープに送られる第2回雑誌ジャーナリズム賞を受賞した。しかし…

 

鷲尾「あれの授賞式には行っていない。あんまりにも自分の勘の当たった怖さ、こういうものを撮るもんじゃないなと思った」

 

歴史的な写真を撮った事よりも人の死を前にシャッターを切り続けたことに嫌悪感を感じたことに嫌悪感を抱いたという。

 

一方事件が起きる前に帰ってしまった宮嶋は…

 

 

宮嶋「どうせなら誰も撮らないでくれって祈りましたね。その時の私は」

 

「翌朝の週刊誌を見て、やっぱり、本当に、ああって、やっぱり、撮ってる人は撮っているんだって。」「なぜそこに自分が立ちえなかったのかって。なぜそこに鷲尾倫夫がそこにいたのか。なぜ鷲尾倫夫だけが撮れたのか。えー、そんなことを考えると悔しさで…。あれ以降、何度か目が覚めましたね」

 

オウム事件以降、最大の事件を撮れなかった後悔。その悔しさから、一年後に撮影したのが週刊文春96年4月25日号の東京拘置所に収監された麻原の姿。日本中に衝撃を与えたこのスクープ写真。宮嶋執念の一枚だった。

 

 

奇しくも鷲尾が受賞したジャーナリズム賞に選出。

鷲尾の写真に魂が震えたこそ生まれた一枚だった。

 

宮嶋「まさにその、歴史が動かすような、そういう一瞬。その瞬間にも立ち会えた、羨望ですよね。あとは自分がそこにいなかった悔しさ。双方が相乗効果で魂を震わせてくれましたね。

できることなら、他のカメラマンにも魂を震えさせたいですね」

 

 

村井秀夫刺殺事件の裏で繰り広げられた熱い執念。

不肖宮嶋が魂が震えた瞬間だった。

 

(宮嶋は後年徐裕行と面会しており、「たかじんのそこまで言って委員会」では徐を「頑な男」と評している。)

 

筆者の私見

 

今回初めて、村井秀夫刺殺事件の再現映像が放送された。

これまでに山路氏が村井事件に遭遇する再現映像も制作されているが、刺殺の瞬間を再現した映像、徐裕行を演じる役者が登場したのはこれが初である。

 

徐裕行に似た顔の役者を採用したのは評価できるが、残念ながら服装や犯行現場まで再現するには至らなかった。

 

番組も刺殺事件の全貌には触れられず、カメラマン達の裏話に限定しているだけであった。事件の真相に切り込むにもほど遠い内容であった。テレビが村井刺殺を明らかにする日はくるのだろうか。今後、30年、40年経っても変わらないのではないか。

ジャーナリズムの限界を実感させる内容であった。

 

 

 

 

追記

鷲尾はその後、「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 激写!スクープ戦争〜写真週刊誌・タブーに挑んだ人々〜(2017年9月5日)」に顔出しで登場した。