村井秀夫刺殺事件の真相を追って -3ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

【決定的瞬間】凶器の刃先に「刺されたことがわかっていない」顔の村井秀夫が 札束を手にして笑顔の麻原彰晃から5年後の現場写真

 
 オウム真理教が起こした事件は数多い。俗に「三大事件」とされているのが、「坂本弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」である。
 

このうち14人と最も多くの死者を出した「地下鉄サリン事件」からこの3月で30年がたつ(負傷者約6300名)。なお犠牲者、被害者は「坂本弁護士一家殺害事件」が死者3人、「松本サリン事件」が死者8人、重軽傷者約600人。オウム真理教が戦後最大のテロ集団と評されるゆえんである。  もっとも、彼らの名が知られるようになった1990年前後の時期には、そこまで凶悪な団体だという認識を持つ人は少なかったのも事実。  坂本弁護士一家はまだ「失踪事件」として扱われており、オウムの関与は疑われてはいたものの警察も手を出せない段階だった。  むしろ問題視されていたのは入信を巡るトラブルの方だった。子どもが入信、出家してしまい断絶したといった被害を訴える親が続出していたからだ。  それに加えて教祖・麻原彰晃の怪しげな超能力アピールや金集めが注目を浴びていたものの、世間の受け止め方としては「よくあるカルト教団の一つ」という範疇(はんちゅう)を大きく逸脱するものではなかった。

「3億円持ち逃げされた」と麻原が110番通報

 むしろ凶暴さよりも目を引いたのは奇妙な「間抜けさ」という面もあったのは否定できない。それをよく表しているのが、札束の詰まった段ボール箱を手にした麻原の写真である。  写真週刊誌「FOCUS」に掲載されたこの一枚、麻原自身の110番通報に始まる「幹部3億円持ち逃げ騒動」の時に撮影されたものだ。  1990年2月11日、麻原が杉並区内のマンションから「家から大金を盗まれた」という通報をした。麻原以下、関係者の証言はざっと以下のようなものだった。 「盗まれたのは現金2億2000万円と残高8000万円の通帳。現金は(静岡県)富士宮の教団の総本部から持って来たもので、現金はみかん箱や買い物袋に入れてあった。昨日、幹部の一人がみかん箱のようなものを持って、車で出かけ、それ以来、姿を見せないから、犯人はこの幹部ではないかと思う」  通報を受けて警察は教団が名指しした幹部の車を緊急手配。ところが数時間後、事態は急展開する。幹部が荻窪署を訪ね、 「勘違いで110番してしまった。現金と通帳は別の場所にあった」  と弁明したのである。  当時、麻原自身が同誌の取材に対して語った説明は以下の通りだ。 「現金は党(オウム真理教の政党・真理党)のカネではなく、教団のもので、最初は富士宮に置いてあった。しかし、富士宮は当時、あまり人がいなかった。選挙活動のため、かなりの信者が東京へ出てきていたからです。そこで、経理をまかせている幹部の女性と、もう一人の男性に現金と通帳を東京のある場所へ移すように命じたんです。二人は、まず、それらを問題のマンションへ運び込んだんですが、ここには金庫がないので、男性のほうが気を利かせて、自分一人で私が命じた場所へ移したのです。それを知らない女性幹部が、”なくなっている! と大騒ぎして、私がそれをうのみにし、110番してしまったというわけです」  この説明に納得する人は少ないだろう。当時取材に出向いた記者とカメラマンもかなり怪しいと思い、その場で麻原ら教団側に「本当にそんなことがあるのか」とツッコミを入れまくったのだという。  すると業を煮やして教団側が「金が戻って来た証拠」とばかりに実際に札束の詰まった段ボールを記者の前に持ち出した。そこで撮影されたのがこの写真というわけだ。 「ある意味で麻原の俗物性を象徴する写真ですから、後から何度もこの写真を使ったものです。それについて麻原は、教団幹部に“お前のせいだ”と怒っていたそうです」(当時の記者)  この写真を撮影したのが当時、「FOCUS」に在籍していたカメラマンの鷲尾倫夫氏だ。そして鷲尾氏は5年後、オウム真理教に関する決定的な写真を撮影することとなる。

動きの怪しい男が

 地下鉄サリン事件発生後の1995年4月23日、教団幹部の村井秀夫氏(36)=当時=が、東京・青山の本部施設前で刺殺された。村井氏が上九一色村から東京・南青山の教団総本部に戻ったところでの犯行だった。  その瞬間を捉えたのが鷲尾氏だった。本部施設前には多くの報道陣がいたが、長時間、現場に張り付いていた鷲尾氏は、事件の数時間前から、様子のおかしな男がいるのが気になっていたという。その日は締め切りで、編集部から引き上げてもいいと言われたが、男のことが気になった鷲尾氏は自身の判断で現場に残った。そして午後8時半過ぎ、男は動いた。  「何かが村井氏に向かって飛び込んでいく感じだった。最初、腕を刺されて、村井がその腕の傷を見ようとした時に、また刺された。村井氏は右手で腹部を押さえるようにして建物の中に入り、入口のところで仰向けに倒れた。おびただしい血が青い服を染めて、村井氏は顔面蒼白になっていた」(鷲尾氏)  写真は凶器の刃先と、まだ事態を把握できていないかのような村井氏の表情を見事に捉えている。村井氏はこの写真が撮られた数時間後に絶命。犯人は動機について義憤にかられた旨を語っているが、事件の闇はもっと深いとの見方は根強い。

撮影・鷲尾倫夫 「週刊新潮」2025年3月27日号 掲載

 

 

 

2025年3月12日、元山口組系団体「義竜会」会長、竹垣悟氏が村井秀夫刺殺事件に関する動画を投稿した。

■竹垣悟
 1951年、兵庫県姫路市出身。10代後半の頃俳優にあこがれ、東映の任侠映画に出演する。20歳の頃に喧嘩で逮捕され、21歳の時に坂本会暴力団組員となる。山口組四代目、竹中武組長に声を掛けられ、若頭補佐、中野会若頭補佐、古川組舎弟頭補佐を歴任。1980年に義竜会会長を務めた。2005年に破門となり、以降メディアやユーチューバーとして活動を続ける。

 

動画の概要については以下の通り。

・野村秋助の群青忌で出席した際、徐裕行と会った。名刺交換をしようとしたが、徐は名刺を渡してくれなかった。

・事件の真相は知っている。麻原彰晃村井秀夫が、篠原の山口組本家に五代目渡辺芳則組長を訪ねに来た。熊本の波野村にあ

 るオウム施設から地元施設に圧力がかかったと云うので助けを求めに来た。渡辺組長につないだのは羽根悪美組長と云ってい

 た。渡辺組長は右翼排除に協力した。当時オウム真理教は純粋な宗教団体だと思われていた。なので助けるべきだと渡辺組長は 

 男気を出した。

・右翼の排除の件について、渡辺組長は中野太郎親分に指示した。そしたらオウムは凶悪事件を起こして行く様になり、渡辺組

 長は羽根悪美組長を詰めた。

・羽根組長はオウムに翻弄されて気の毒である。なぜ処分するのかと不信感が山口組内で出ていた。渡辺組長は些細なことに目

 を瞑る器量がなかったのだろう。渡辺組長は羽根組長を呼び出し、「口が軽い村井秀夫との接触が漏れたらまずい」と圧力をか

 けた。そのため羽根悪美組長は山口組を去り、村井秀夫刺殺事件を引き起こした。

・麻原と村井が山口組を訪ねた時、中野会と山建組の者も何名かいた。

 

また2025年3月17日、デイリー新潮は竹垣氏の証言に注目した記事を掲載した。内容は以下の通り。

■「オウム村井刺殺に動いたヤクザ」「地下鉄サリンを防げなかった悔恨」 事件発生から30年目の2つの証言

オウムに関しては背景などが明確にならないままの案件も多い。その1つが幹部の村井秀夫刺殺事件だろう。
 地下鉄サリン事件の翌月にあたる1995年4月、村井秀夫が5代目山口組傘下の羽根組の準構成員のA(徐裕行)氏に刺殺された。この事件で羽根組の若頭らが殺害を教唆した容疑で逮捕される(その後に起訴されたが、無罪判決が下る)などし、その責任から羽根悪美組長は引退を宣言し、解散届を提出した。トップ会談の開催
「殺人などの罪で起訴された徐裕行氏に懲役12年の刑が下りましたが、その動機や背景などは判然としないままでした。村井から捜査当局が聴取できなくなったことは、オウム関連捜査に大きな影響を与えたとも指摘されています」(同)
 問題はなぜヤクザが関わったかだ。当初は組織との関係を口にしていた徐裕行氏は公判では個人的な義憤が動機だと語っている。しかしオウムと暴力団との間に何らかの関係があったというのは大方の見方だ。この件については当時、暴力団にいた人物の証言をご紹介しよう。
「実は、オウムの麻原彰晃教祖は村井を連れて5代目山口組の渡辺芳則組長を総本部に訪ねたことがあります。頼みごとがあったからです」
 と話すのは、元山口組系義竜会会長の竹垣悟氏(現在は、NPO法人「五仁會」を主宰)。
「会談のテーマは熊本・波野村(当時)をめぐってのものでした」(同)
 オウムが熊本の東部にあった波野村で教団施設の建設を検討し、土地を取得したのは1990年5月のこと。それを察知した地元住民から反対運動が起こり、オウムとしては悩ましい状況に追い込まれた。県は国土利用計画法違反などの容疑で県警に刑事告発を行い、県警は強制捜査を行っている。

口封じのため
「トップ会談の時期は定かではないのですが、オウムの凶暴性が公に露見していない時期のようです。麻原らは地元の反対運動に参画している右翼の妨害をストップしてほしいと5代目にお願いしたと聞いています。5代目もこれを受け入れると回答したようで、水面下で5代目の腹心が動いたとの説もありました」(同)
 最終的には1994年8月、波野村がオウムに9億2000万円を支払って、土地を買い取ることで和解に至った。オウム側の土地購入代金は数千万円程度だったので結果として巨額の利益を得たことになる。この資金力はオウムを犯罪組織として暴走させる一因となったとも分析されている。
「その後、オウムが凶悪なテロ組織と化したため、彼らとの接点があるのは暴力団にとっては都合が悪い。それゆえに“オウムと5代目との接点”を口外する可能性のある村井の口封じをA氏にやらせたのではないかという説が語られているのです」(同)
 むろん、これはあくまでも1つの説に過ぎない。捜査も裁判も全て終わっているが、それゆえに解明されないままの謎がオウム周辺では多い。
 少しずつでも当時を知る者たちが口を開くことが、事件を風化させないために必要なのは言うまでもない。

 

 

……以上がデイリー新潮の記載内容である。竹垣氏の発言に興味を寄せる著名人も確認できる。この証言に似た話は随分前から出ている。2001年に宝島社出版の「迷宮入り!―昭和・平成未解決事件のタブー」で出ている。この証言者は東京の右翼団体関係者だという。氏名不詳なのがややこしいが、竹垣氏の証言と食い違う点に注目したい。内容は以下の通り。

 

■「迷宮入り!―昭和・平成未解決事件のタブー」

 「オウムが熊本県波野村の土地を取得しようとした時はね、地主は強く拒否したんですよ。しかし、オウムは売却を必要に迫り、嫌がらせまでするようになったので、困り果てた地主は地元のA組に相談した。で、そこの親分がオウムに乗り込んで『波野村から手を引け』と迫ったんだ。(略)

 そこでオウムは、懇意にしていたB組に相談し、A組に話をつけてくれるように依頼した。それで二つの組の親分同士が直に会うことになって、B組が九州に乗り込んでいったんだが、その時、A組のほうは地主に対して『なんだ、オウムのバックにB組がいるなんて一言も言わなかったじゃないか』と、ちょっと面食らった様子だったそうだ。

(略)オウムと関係が深いB組いうんは、ほら、徐の友達やら、上峯がいた羽根組に金を貸しとったわけや。そやけど、バブルがはじけてしもうて、借金も返せんようになってな。そんな矢先に、オウムの事件が次から次へと出て来て、B組のことも取り沙汰されるようになったやろ。そらぁ、B組としては、警察の目をそらす工作をしたい頃や。で、羽根組に対して『借金をチャラにするから、何か事件を起こして警察の目を引きつけろ。組の名前が出たら、組をやめてしまえ。その後のことは考えたる』いう話になったわけや」…

 

また、一橋文哉は2011年に「封殺されたオウムの闇 「村井刺殺事件」の深層」という記事を書き、似た話題を提起している。これも竹垣氏の証言と食い違いが見られる。内容は下記の通り。

 

■「封殺されたオウムの闇 「村井刺殺事件」の深層」

「山口組では関東に進出した暴力団で作る『関東親睦会』が中心になり、密かに村井排除を話し合っていたようだ。羽根組も会の一員で仕方なかったのではないか。関西が主流の五代目執行部は頼りにならんので、事後承諾の形で無理やり認めさせたらしい」

そうした組織の中で最も力が入っていたのが、静岡県に拠点を持つ武闘派で、山梨県の教団施設の近くにあったG組(〇八年に解散)だ、というのが捜査関係社の共通した認識である。

G組はこれまでオウム真理教との関係を否定して来た。
 オウム真理教が教団施設建設のため熊本県波野村の土地を取得しようとした時のこと。断固拒否の姿勢を示した地主側は地元暴力団に対応を要請し、その組長が教団に乗り込んで「波野村から手を引け」と迫った。ところが教団側は懇意にしていた暴力団の幹部を派遣して協議した結果、地元で絶対トラブルを起こさないとの条件付きで、教団の波野村の進出が決まったという。
 その教団側の暴力団がG組で村や県警が確認している事実である。
「あの頃、G組は大手宗教団体の本山の造営に絡んで総額一千億円以上という巨額な土地取引や建設工事、トラブル処理というダーティービジネスに入っており、警察や世間の目を自分たちに向けさせたくなかったんだと思うよ。そこで警察の目をオウムに向けさせるため、羽根組によるオウム攻撃を依頼し、どうせなら、G組とオウムの関係を熟知している村井の口を封じようとしたのではないか」と元警視庁幹部。これこそが当時の村井事件の捜査方針なのだという。
 

…以上、一橋氏の記述を抜粋した。

 

 

竹垣氏は村井秀夫刺殺事件の犯人は「渡辺組長と羽根組」だと主張する。しかし、過去の情報を覆すには説得力が乏しい。何より何より、オウムと山口組をつなげた理由のみで、組解散を押し付けるのはおかしな話である。それを渡辺組長の短慮と結論付けてよいのだろうか?コメント欄には視聴者の質問があるが、竹垣氏の回答はない。

 

 

 風化を防ぐのも大事だが、氾濫する情報に目を光らせ、比較・検証していくのも必要だろう。