教団幹部であった村井秀夫さんの刺殺事件についても、教団が村井さんを殺したのではないか、と言う話がありました。村井さんの口を封ずるためだろうと言う推測です。この事件は九五年四月二十三日の夜に、青山の教団東京総本部道場前の路上で起こりました。
そこは村井さんが刺される前からマスコミと野次馬で溢れ、そんな中での事件でした。彼はすぐ病院へ搬送されましたが、翌日未明になくなりました。犯人は刺した現場で逮捕されました。
その人は、徐裕行とう人で、教団の信者ではありませんでした。教団は事件で部外者を使いませんし、村井さんは麻原氏に最も近かったとはいえ、教団が起こした事件には村井さん以外の人間が多数関わっているので村井さんだけを殺しても意味がありません、私はこの事件をテレビで見て知った直後から、教団が村井さんを殺したとは思っていませんでした。
徐さんはヤクザの羽根組の幹部の指示を受けて犯行に及んだと自供しました。徐さんの裁判では羽根組の幹部の指示があったと認められました。しかし、その幹部の裁判では幹部は指示していないということになり、無罪になったのです。捜査に関わった方から九五年当時に聞いたところによると、徐さんが羽根組に出入りした形跡がない、ということでした。おそらく無理をして羽根組の幹部の裁判をしたのだろうと思います。
最近、徐さんは刑期を終えて出所し、当時のことを語っているようですが、羽根組の幹部のことは全く話さず、自分の考えで事件を起こしたと言っているようです。
村井さんの刺殺事件に教団が関わったのではないかと言われた理由の一つに、東京総本部道場へ入る扉のひとつに内側から鍵が掛かっていたことがあります。村井さんは道場の外の階段で地下に降りたものの、施錠されたその扉から入ることが出来ませんでした。彼は階段を昇って地上に戻り、そこの出入口から道場へ入ろうとした時に徐さんに刺されたのです。わざと地下の扉の鍵を掛け、村井さんが地下から入れないようにして犯人に協力したのではないか、そういう話がマスコミで報じられていました。最近、この件がマスコミに取り上げられたと聞きました。
私は、九五年五月半ばに、教団関係者が身分を偽って借りていた一軒家で、この鍵を掛けた教団関係者のAさんと話をしたことがあります。私は、I君の部下B君と話しをしていました。そこにAさんが現れ、ジャーナリストの取材を受けないか、と言ってきたのです。Aさんは信徒対応が上手くて有名な人でしたが、教団内の序列は高くなく、部署も違っていたので、私が彼と話すのはこれが最初でした。私とB君が「取材を受ける気はない」と言ったあと、Aさんとは旧知の仲のB君が、何の説明もなく突然「この人が青山の地下の扉を閉めたんだよ」と半ば笑いながら私に教えてくれたのでした。教団が村井さんを殺害しそれにAさんが加担したと言う意味ではなく、徐さんの犯行にAさんが自覚のないまま協力してしまったという趣旨でした。Aさんは苦笑いをして、しかし深刻な表情で、地下の出入口の扉に鍵を掛けた経緯を話してくれました。もう詳細を覚えていませんが、偶然その時に閉めてしまったという趣旨でした。彼は「私のせいですかね」と言って何ともいえない顔をしていました。その様子からしても、教団内の地位からしても、Aさんがこの事件を事前に知っていて扉の鍵を掛けたとは思えませんでした。
村井さんは私の上司でした。最後に会ったのは四月十二日。彼は「もう私は捕まるから」などと言っていました。彼は毎日のように東京の青山と山梨の上九一色村の教団施設を往復しており、彼の行動をずっとマスコミが追ってテレビで中継していました。ある日、村井さんは何故か動物園に立ち寄ったのです。その様子がテレビで放送されました。それを見ながら私は、「出家する前によく動物園へ行って。一日中ゴリラを見ていた」と言っていたのを思い出しました。彼はその日だったか。その翌日に刺されました。村井さんは動物園で見た珍しい光景を教えてくれたこともありました。
中川智正元死刑囚…坂本弁護士一家殺害事件など多数の教団犯罪を実行。
女性信者殺害事件の実行犯とも言われるが関与を否定。
死刑直前にオウム真理教家族の会の永岡弘行会長から女性信者殺害事件を尋ねられるも
「何ですか、それ」「永岡さん、私が今さら嘘を吐くわけないでしょう」と発言している。
一方、共犯者の新実智光は事件の関与を認め、上祐史浩も殺害現場に立ち会ったのを認めている。