満期出所①:出所 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

徐裕行、釈放される



2007年1月、北海道の旭川刑務所。一闇の中から突如現れた男が、12年の刑期を終えて日本社会に再び放たれた…

元暴力団員の徐裕行。衆人環視の中でオウム真理教最高幹部を刺殺するテロを行い、懲役12年の実刑判決を受け服役していた男である。

(直接殺人は犯さなかったものの、オウム犯罪を支援した青山吉伸の懲役も12年である)
一橋文哉によると、この時所を出迎えた者はなく、ひっそりとした門出だったという。

徐裕行は法廷で「組幹部の指示で刺した」と黒幕の存在を暴露しており、逆にヒットマンに襲撃されてもおかしくなかった。ところが、これは単なる幸運ではなかった。徐が向かった先には、事件の真相を握る黒幕たちが潜んでいた。


これまでの供述

徐裕行は逮捕直後、「テレビでオウムを見て許せないと思い、自分一人でやった。オウムの幹部なら誰でもよく、遺体目に遭わせようとしただけだ」と供述し、義憤に駆られた右翼活動家を装った。

右翼団体が架空の組織であることがわかると、やがて徐は「羽根組幹部に『オウムはとんでもない悪い組織だ』と何度も聞かされ、犯行3日前に『教団幹部のうち誰か一人を包丁でやるんだ』と指示された」と供述を翻す。

若頭・上峯憲司が共犯容疑で逮捕・起訴されたが共謀を全面否定。
上峯裁判に出廷した徐は「若頭の指示で村井を刺した」との証言を貫き通した。

ところが上峯の控訴審には徐は姿を見せず、証言を要請した捜査員に対し「一審で本当のことをすべて話し尽くし、責任は果たしたが誰も信じてくれなかった。若頭は娑婆にいる。下手にこれ以上証言すると家族が危ない。自分も出所後、裏切り者として逃げ隠れしなければならない」と漏らし、証言台に立つのを拒否した。

徐は証拠採用された供述書の中でこう述べている。

《羽根組の組員として、若頭の命令に逆らえないと思った。しかし、若頭の私利私欲のためにりようされたのか、と疑念が生じている》

これだけ上峯に不都合な供述をしただけに、よく命を狙われなかったものだと首を傾けざるを得ない。

出所した徐の背後で何が起きたのか。


出所直後の徐の動き



一橋文哉氏の取材によると、出所した徐がまず向かったのは、かつて仲間だった在日朝鮮人社会だったという。ところが、居心地のいい同朋意識の裏側で、犯罪者を見る冷たい視線を感じ、一週間で去った。

次に徐は主体思想研究会のメンバーを訪ねた。
若者らは暖かく迎えたが、以前に手厚い指導を受けた男性実業家が現れ、彼の家に身を寄せてから生活は一変した。徐は規則正しい生活と徹底的な思想教育を施されたのだ。

「実はこの実業家は要注意人物だった。在日韓国人の若者を北朝鮮工作員に養成する朝鮮総連の人間で、徐は危なかったんだ」(公安関係者)

しばらくして徐は男の元を離れた。

徐が最後にたどり着いたのは弘道会系関連とみられる建物だった。
その後は大型免許とけん引免許を取得し、トレーラーで運送業をしていたらしい。
2010年、徐はフィリピン人女性Marivic Panaligan Annveeと結婚した。

殺人の前科と2,300万円の借金を抱えた男に、何故この女性はついて来たのだろうか。

参考文献 (悪魔の萌芽から四半世紀ーオウム問題再考「村井刺殺事件」の深層:一橋文哉)
(徐裕行のブログ)


徐裕行、ブログをはじめる




異変が起きたのは、2011年の年末である。

徐はネット上に「徐裕行のブログ」を開設した。
ブログの冒頭にはこう書かれている。


自己紹介
徐裕行◆東京都足立区出身◆在日韓国人3世

1995年4月23日。東京都南青山のオウム真理教東京総本部ビルの前で村井秀夫幹部を刺殺した。
旭川刑務所での12年間に及ぶ服役を終え、2007年に満期出所。受刑生活中に2000冊の本を読んだ。

社会復帰後には作家の山平重樹氏との縁から、民族派活動家・故野村秋介先生の墓前祭に参加するようになり、
門下生である蜷川正大氏をはじめ、多くの民族派活動家や政治活動家との懇親を深める。

また、墓前祭では武闘派組織として名高い元山口組後藤組組長・後藤忠政氏とも知り合い、2011年3月11日に発生した東日本大震災発生直後から、
後藤氏の全面的な支援協力を得て、孤立状態にあった南相馬市やいわき市、北茨城市への救援物資搬入支援にあたった。

北朝鮮による日本人拉致問題については、在日朝鮮・韓国人社会が解決に向け、より積極的な活動をすべきとの持論から、
朝鮮総聯関係者をはじめ、多くの在日たちに働きかけ、「北朝鮮に拉致問題解決を求める」署名を集める運動を展開中。


●当ブログでは、北朝鮮や朝鮮総聯に拉致問題解決を求める署名を集めています。下記のアドレスに氏名・住所 (市区町村名まで) を入力して送信してください。ご協力をお願いします。



北朝鮮に帰属意識のある男が、突然拉致問題解決を呼びかける光景に閲覧者たちは首を傾げた。
(自己紹介に記載されていた後藤組の箇所は後に削除された。)

邪心

娑婆での生活の中で、徐は日本が北朝鮮を嫌っていることを知って不安を感じるようになった。
北朝鮮は、徐が収監されてた間に、核実験や拉致事件、あげくに不審船による覚醒剤密輸事件を引き起こしていたのだ。

朝鮮総連や工作員と接点があることを報道されたため、知人からもスパイなのか、と聞かれた時もあった。
更に韓国の反日行為、在日闇社会の実態が、日本国民に認知されはじめたことにより
朝鮮人叩きがネットで流行し、”行動する保守”まで出現した。

奴らが俺を迫害しに来るのでは、と内心焦りを感じたようである。

しばらくして、徐に歪な野心が芽生えた。

(だったら、拉致事件支援者のふりをして親日家を装えばいいじゃないか。)

人殺しの自覚がない徐は、軽率な行動に出た。
白昼堂々と「徐裕行のブログ」を開設したのである。

このブログの特徴は、北朝鮮の話題ばかりでは堅苦しいため、日常的な話題が多めで、閲覧者が楽しんで読めるよう工夫されていた。
また、ブログでは一人称を「ぼく」と、親近感が出るよう柔らかい表現が使われていることから、閲覧者をはじめから騙すつもりで開設したと考えられる。

(これだけ手を打てば、みんな俺に同情して村井事件など気にもしなくなるだろう。)
自分の用意周到な計画に酔いしれた徐は、早速キーボードを叩いた。