第十八章:上峯憲司の再犯・恐喝「オウムの件は知ってるだろう!」 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

●羽根恒夫のその後


(2011年撮影)

オウムと暴力団の接点を検証せず、犯行側の共犯を解明できなかった村井秀夫刺殺事件。
もっとも、そんな事件の成行きを見守った人物がいた。

羽根組組長・羽根恒夫である。

週刊新潮(97年5月1日・8日号)によれば、次の証言が記載されている。

「上峯が無罪なら、これで羽根組も元の山口組直系に戻れる資格が出来たんじゃないかと思って、ある山口組の最上層幹部のところに電話を入れたんですよ。無罪のニュースが流れてから十五分もたってなかったでしょう。そうしたら”さっき羽根からも電話があった”というんです。無地判決の報告ということだったんでしょうね。その最上層幹部も”検事控訴があるやろしな”と少し慎重ながら”でも、無罪になれば(羽根組の再建復帰も)検討しなきゃならんやろな”と言ってましたよ」(裏の世界に詳しいある事情通氏)

羽根は村井事件後、経済難と事件の責任から95年5月12日をもって組を解散、引退している。
しかしこれは表面的な形に過ぎず、引退後も羽根は山口組の関係者を続けている。

更に、事件から2年後には羽根組構成員の事件が発生している。
いずれも在日朝鮮人が関与した犯罪である。


■毎日新聞1997.5.7朝刊
『東京・渋谷の競売マンションを不法占拠、暴力団組員ら5人を逮捕』
 競売対象の東京都渋谷区内の高級マンションを不法占拠していたとして、警視庁捜査4課と代々木署は6日までに、暴力団羽根組組員、竜日福容疑者(32)と金融業者ら4人の計5人を不動産侵奪容疑で逮捕、さらに関係者1人を同容疑で逮捕状を取り行方を追っている。
 調べでは、竜容疑者らは1994年11月ごろ、大田区の建築業者が所有する渋谷区代々木3の高級マンションの901号室のカギを壊して侵入、不法に同室を占拠した疑い。
 同室は92年8月に建設業者が購入したが、竜容疑者らは前の所有者に債権があったな
どとして占拠したらしい。
 同年4月に、同室は都内の抵当証券会社の申し立てで東京地裁が競売開始決定を出し、競売の対象となったが、竜容疑者らが占拠したため買い手がつかない状態だった。
 羽根組は95年4月に起きたオウム真理教の村井秀夫幹部刺殺事件で、幹部組員(49)が逮捕=1審無罪、東京高裁で公判中=されたため、同年5月に山口組に解散届を出しており、警視庁では単独組織として活動しているとみている。


■毎日新聞1997.5.8朝刊
『さらに1人を逮捕ーー東京・渋谷区のマンション不法占拠事件』
 東京都渋谷区のマンション不法占拠事件で、警視庁捜査4課は7日までに、暴力団羽根組組員、柳日福容疑者(32)らと共謀したとして江東区枝川1、職業不詳、石井悟容疑者(29)を不動産侵奪容疑で逮捕した。この事件での逮捕者は計6人となった。


●上峯憲司のその後



上峯は無罪放免で釈放後、月に2、3回銀座の高級クラブで豪遊していたという。
宮崎県宮崎市に移り住んだ上峯は、自分のアパートに若い衆10人程を集めて上峯組を発足。自ら組長となった。ただし、市内は別の山口組系のシマだったため、その組に配慮しながら活動していった。

1997年、上峯は行政問題調査会を結成。企業スキャンダルや談合疑惑などを掲載する機関誌「行政問題」の発行に関わり、官公庁や企業から高額の購読料を要求。「行政問題」は年間購読料が3万円。一企業に対して20~30部を売りつけることもあった。そのため自治体や建設会社から県警に苦情や相談が寄せられた。

暴力団やエセ右翼団体は豪華な装丁の本を出版し、高額で売りつけることが多い。購入を断ると「愛国心が足りない、もっと勉強しろ」と因縁をつけられた。

例▼
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Henkanundou/ESE/Ese.htm


●上峯憲司、再逮捕される

2000年11月14日、午後0時43分。
宮崎県警本部、宮崎北・宮崎南警察署の合同捜査本部により、6名の暴力団幹部が、
恐喝および恐喝未遂で逮捕された。

その主犯格が、上峯憲司だった。



上峯はそれぞれ2チームに分けて各企業を脅迫。

上峯は森本英利(当時52、宮崎市神宮1丁目)、会社員(当時29、老松1丁目)らを率いて
宮崎市内にある建設資材販売会社へ向かい、発行株約五千株の買い取りを口実に、六千万円の現金を脅し取ろうと企てた。

上峯らは、9月下旬から10月中旬にかけて「自分たちが株主になれば会社の信用は台無しになる」と脅し、更に同社関係者に一株数百円の株を「一株一万二千円で買い取れ、買い取らなければ暴力団を会社に入れるぞ」などと脅迫。株買い取りと代金数千万円の支払いを強引に約束させた。

一方、別働隊の東中園健二(当時52、宮崎市本郷南方)、前田好也(当時25、宮崎市丸山2丁目)は11月初旬から数回に渡って、宮崎市の別の会社関係者に対し、「車内のスキャンダルを知ってる」「新聞に書かれると信用はがた落ちになるぞ」と脅迫。

事件は脅された側の会社が県弁護士会に相談し、発覚するに至った。
ところが、捜査で次の事実が明らかとなった。

「上峯組のこの手口の事件は初めてじゃない。最初に組のナンバー2が会社などに出向き、『オウムの件で無罪になった上峯を知っているだろう』とまず脅す。それで金を巻き上げられないと、今度は本人が出て行って『オウムの件は知っているだろう』とまた脅す。常套手段です」(捜査関係者)

組事務所を兼ねていたアパートの近所の人はこう証言する。
「まったく知りませんでした。すれ違えば、『こんにちは』くらいの挨拶はするし、格好も一般的だし、普通のおじさんという印象。たしかに部屋にはちょっと怖い感じの若い人たちが出入りしていましたけど」

事務所には妻らしき女性と、高校生の娘も住んでいた。

「県警は同種の余罪がまだあるとみている。今は容疑の半分ほどは否認している状態だが、固めた末に再逮捕をしていく予定」(別の捜査関係者)

村井事件の関与を否定した上峯憲司。その本心は卑劣と欺瞞の塊であった。
この事件で、上峯の部下の会社員、高和義(当時40、宮崎市小松)が自宅で覚せい剤を使用し逮捕されている。
上峯はその後、大阪府大阪市の盛力会へ移り理事となった。


http://i.imgur.com/XlXY1xM.jpg

参考文献:週刊新潮(97年5月1日・8日号)週刊文春(2000年12月14日号:オウム村井刺殺 黒幕と名指された上峯憲司が恐喝で逮捕)