徐裕行裁判⑦:上峯裁判の迷走 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

●上峯裁判の迷走



1997年3月19日。
上峯憲司の判決公判が東京地裁で開かれた。
安広裁判長は「羽根組と村井殺害の利害関係は全く提出されておらず、実行犯の供述に高度の信用性は認められないとして無罪(求刑懲役15年)を言い渡した。

判決では、徐裕行の供述について、

①上峯被告が右翼団体を名乗るよう指示すれば、羽根組との関係が容易に分かってしまう

②殺害対象の教団幹部三人には、立場に大きな違いがあり、3人のうち1人の殺害指示は不自然

③犯行を指示された日にちなどについて供述を変えており不自然

④上峯被告の指示を自供した理由が合理性が乏しい


などを理由に「高度の信用性はない」と認定した。

また上峯被告が事前に周辺と口裏合わせしたとされた点について

「口裏合わせの指示は早急に行われるべきだったが、そのような態勢がとられていた様子はうかがえない」として「上峯被告は事前には犯行は知らなかった」

とされた。

この日の判決で、安広裁判長が統括する東京地裁刑事八部が95年11月、殺人の実行犯だった徐裕行に言い渡した判決の中で行った「上峯被告の指示」の認定を180度転換し、否定する内容となった。

裁判長は同じだが、合議体の裁判官は異なったのに加え、起訴事実を認めた徐裕行の公判に比べ、否認した上峯憲司の場合は、より供述の信用性を踏み込んで判断する必要があった。

安宏裁判長は「上峯被告からの指示内容に関する徐受刑者の供述は、相当程度具体的で詳細である」とはしながらも、結局その合理的信用性に疑問を呈した。

事実関係の不透明さや不合理な点に対する検察側の立証の不十分さを指摘した形となった。
上峯裁判は、暗礁に乗り上げつつあった。


松尾邦弘・東京地裁次席検事の話
「判決が実行行為者である徐受刑者との共謀を認めることなく、無罪を言い渡した点は遺憾だ。判決内容を子細に検討し、上級庁とも協議したうえで控訴を検討したい」


●徐裕行「裏切り者として逃げ隠れしなければならない」
1998年6月。
島田仁郎裁判長は、上峯裁判を再検証するべく、徐裕行に証人尋問を要請した。


島田仁郎裁判長
この時、警視庁捜査第四課の捜査員が旭川刑務所へ向かい、収容されていた徐と面会した。
ところが、徐は出廷を拒んだ。

徐裕行「すべて一審で本当のことを話した。上峯被告はシャバにいる。証言すると攻撃したとみなされ、家族が危ない。自分も出所後、裏切り者として逃げ隠れしなければならない」

1998年7月8日。
上峯の控訴初公判が東京地裁(秋山規雄裁判長)で開かれた。

「証拠の一審判決には事実誤認がある」として控訴した検察は、新たに39点の証拠調べを請求した。

秋山規雄裁判長は、このうち被告が犯行を指示した状況を裏付けるという理由で請求された証人3人を採用し、29日に証人尋問を行うことを決めた。

検察側は徐裕行の供述について「具体的で高度の信用性が認められ、共謀関係を認定できる」
とし、上峯被告の指示を改めて主張。

右翼団体構成員を名乗るよう指示されたとする徐裕行の供述について一審では「実質的に羽根組組員だった徐被告(当時)が名乗れば、同組や徐被告人に捜査の目が向くから、このような指示を被告人がするはずがない」などと疑問点を指摘。

これに対し検察側は『徐被告は同組の実質的な組員で、右翼団体構成員を名乗らせても捜査が組に向くことは必至」とし、「だからこそ上峯被告は『警察では自分とは関係なかったと言え』と口止めをしている」と反論した。

 この点について弁護側は「徐受刑者に指示すれば羽根組に捜査が来ると分かり切っていたとすれば、指示することは普通の感覚ではありえない」などと述べた。その上で弁護側は徐受刑者の供述について「信用性のかけらすらない」として控訴棄却を求めた。

1998年11月28日。
島田裁判長は徐服役囚を証人に採用した自らの決定を取り消した。


●二審も無罪判決

1999年3月29日
島田仁郎裁判長は「被告人に指示されたとする実行犯の供述は不自然、不合理で信用できないとした一審判決は指示できる」と一審の無地判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。

島田裁判長はまず「事件の目的は全く明らかにされていない」とし、「背後関係が分からず、被告を有罪にするには他に強力な証拠がない本件では、徐受刑者の供述に、これを補うに足るだけの高度の信用性が必要」と述べた。

そのうえで、上峯被告が捜査対象になりかねないのに、徐受刑者に犯行後、上峯被告に関係ある右翼団体を名乗らせたりした点について「不自然、不合理で信用できないとした一審判決は基本的に支持できる」とした。

さらに、「徐受刑者の供述の信用を肯定する方向に働く事情もたくさんあるが、いずれも決定的なものとまではいえず、逆に重大な疑問点が残る」と結論づけた。

高野利雄・東京高検次席検事の話
「検察官の主張がいれられず、控訴棄却となったことは誠に遺憾である。今後の対応については判決内容を検討し、上級庁と協議して決めたい」


●上峯被告、無罪確定へ

1999年4月6日。
1、2審において無罪判決を受けていた上峯裁判について、東京高検は最高裁に上告しない方針を固めた。東京地裁、東京高裁の判決は、上峯と事件を結びつける唯一の直接証拠と位置づけた徐裕行の供述の信用性について、「不自然、不合理な点が多く、上峯被告の指示を認めるには合理的な疑いが残る」と判断した。徐裕行は控訴審では証人になること自体を拒み、東京高裁判決が「直接供述を得ることができないまま信用性を判断せざるを得なかったことは甚だ遺憾」と表明。
東京高検はこうした事情をふまえ、高裁の判断を覆すのは困難と判断した。


4月12日、上告期限当日。上峯憲司の無罪が確定した。