徐裕行裁判⑥:旭川刑務所 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

●強制送還

獄中の中、徐はある悩みを抱えていた。
「韓国籍なので、出所したら強制送還されるんじゃないか」
弁護士に悩みを打ち明けると、次のように回答してきた。

”日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法で強制送還された例はない”

徐は腹の中でニヤリ、とほくそ笑んだ。

●徐裕行、旭川刑務所へ



旭川市は上川支庁の中心都市である。人口は約34万人で、市内には陸上自衛隊第7師団の駐屯地が置かれている。

旭川と軍事施設の関係は古く、1961年に旧陸軍の第7師団が置かれて以来”軍都”と呼ばれていた。この軍都に刑務所が開庁したのは地方裁判所が開設された1916年5月で、翌年井は「札幌刑務所旭川分監」となり19年2月に「旭川監獄」として独立した。そして名称が管制改正で「旭川刑務所」になったのが市制が施行されたのが1920年10月であった。それ依頼、刑務所は市の中心部、8条通り13丁目10号にあったが、受刑者の増加で収容定数が限界にきたため、移転計画が検討され、現在地に施設が移転したのは1968年12月であった。

刑務所周辺は民家が2、3件建つ程度で他は田んぼばかりが広がる地域である。

ここに収容されている受刑者は刑期8年以上無期までの長期囚、それも「LB級」と称される再犯長期囚を主に収容する施設なのである。ほかに短期の再犯受刑者も収容しているが、ほとんどが暴力団関係者だといわれている。

刑務所には収容分類級が定められており、それぞれローマ字で分別されている。
L級は懲役8年以上(現在は10年以上)の者。
B級は再犯者または反社会集団への所属性が強く、反抗的で協調性に欠けて犯罪傾向が進んだ者。LB級は両方の烙印を押された者である。


(他には犯罪傾向が進んでいないA級、女性が対象のW級、禁固刑で罰せられた者を対象としたI級、処遇上配慮を必要とする外国人が対象のF級、26歳未満の服役囚が対象のY級、精神障害者が対象のM級、身体疾患、障害者を対象としたP級がある。)

長期囚の罪名は強盗、殺人、放火、覚せい剤の凶悪犯罪を犯した受刑者が多く、その数は当時45%を占めていた。(2014年時点で約55%)

空にダイヤモンドダストが輝くとき、気温は氷点下30度にまで下がる。暖房設備があっても数年間、150日も雪に埋もれるこの地での受刑生活は想像を絶する世界であった。

当時、旭川刑務所には1980年に神奈川県内でホステスを殺害し懲役9年で服役した滝沢利治や、1986年に北海道で国税庁監察官を装い1000万円を詐取した白岩弘行が収監されていた。


●サンプラザ中野と化した徐

1996年3月5日。東京拘置所に収監された徐裕行は未明に起床すると、身支度をした。拘置所の1階へ向かうと、旭川刑務所から3人の刑務官が、スーツ姿で待機しているのが見えた。

ここで、徐裕行本人の回想を「徐裕行のブログ(2012-03-05)」より引用してみよう。


手錠と腰紐をしっかりと固定し、ワンボックスカーへと乗り込んだ。車は首都高速に乗って羽田空港を目指す。
これからしばらくは娑婆の景色も見納めだと思うと何となく寂しい気がした。
その頃のお台場付近は工事中でだだっ広い荒地が広がるばかり、将来、どれほど開発されるのかイメージができなかった。

空港内へは職員の通用口を通り、待機中の飛行機へと向かう。
「これを、つけておけ」
旭川刑務所の総務部長がサングラスをぼくに手渡した。
「お前さんの顔を、見知ってる人がいるかも知れんからな」
他人にぼくの存在を知られないための心遣いである。親切な人だ。
ぼくは、黙ってサングラスをかけた。

まだ誰も搭乗していない飛行機に真っ先に乗り込む。これも手錠と腰紐の惨めな姿を他人に見られないための処置だろうと思った。ぼくたちは飛行機の最後部の席についた。これほどまでに他人にぼくの存在を知られないための気遣いをしてくれるのなら、ぼくもそれに協力しないわけにはいかないと思った。そこで、他の乗客が搭乗する前に小用を済ませることにした。

手錠と腰紐の姿でスチュワーデス(この時は、まだキャビンアテンダントではなかったと思う)たちの前を通る。ぼくの後ろには腰縄の一端をしっかりと握りしめた刑務官が付き添っている。
用を済ませ、座席に戻ると、総務部長がニコニコとぼくに笑いかけながら、
「スチュワーデスに、お前さんが誰だかわかるかって聞いたら、なんていったと思う?」
わかるわけがない。
(俺が、誰だかわかんないようにサングラスをかけさせたんだろうが!わざわざ、ひとに聞くんじゃねえよ!)

無言の抗議をした。
「いやぁ、バレてないかと思ってな」
総務部長は、ぼくの胸中を察したようにとりつくろった。
「で、なんていったと思う?」
「さぁ」
「わからんか、あはははは。なんと、サンプラザ中野だってよ、あはははは」
ひとりで、大うけである。坊主頭にサングラスをかければ、誰だってサンプラザ中野になれるだろう。こいつは、受刑者の押送をするたびに、こんなことをやってるんじゃないかと思った。

毛布で手錠と腰縄を隠し窓際に座った。飛行機が飛び立つと、北へ北へと向かう。眼下の景色は徐々に白みを帯び、旭川空港に着くころには一面の雪景色だった。

空港まで迎えに来ていた護送バスに乗り込み、刑務所へとむかう。その間も総務部長は話しかけてくる。
「旭川は寒いぞ。30分も裸で外に立ってたら、死んじまうぞ」
それはそうだろう。
「旭川刑務所は冬は(受刑者に)スキーもやらせるんだぞ。徐はスキーはやるのか?」
「スキーですか...まあ、多少は...」
ぼくは、広々としたゲレンデで受刑者が思い思いにスキーを楽しんでいる光景を思い浮かべた。
車窓を流れる家々の軒先には、見たこともないような巨大な氷柱が垂れ下がっている。
やはり北海道はスケールが違う。
刑務所内にゲレンデがあったっておかしくはないではないか、などと一人で得心していた。

そんな会話をしているうちに、刑務所に到着した。
たった今まで想像していた広大なゲレンデと立派な建物はどこ?と、我が目を疑ってしまうような、こじんまりとした建物が目の前にあった。
これから十二年間生活する旭川刑務所。住めば都というではないか。何はともあれこれからしっかり受刑生活を送ろう。


十数年前の恨みを未だに引きずり続け、ネット上で不満をぶちまける男、徐裕行。自ら進んで殺人を犯し官憲に拘束されたのだから自業自得な話であって同情の余地はない。自身が犯した事件の重大性よりもプライドに固執し、反抗的な態度を見せる徐の姿には、ただ呆れるばかりである。



(サンプラザ中野氏)

 
(サングラス姿の徐裕行)