
9月11日、村井秀夫刺殺事件で徐に犯行を指示したとされ、殺人罪の共犯で起訴された上峯憲司被告の初公判が東京地裁で開かれた。
裁判長は安広文夫が引き続き担当したが、陪席裁判官は徐裕行裁判と異なる組み合わせで、右陪席は阿部浩巳、左陪席は飯畑勝之が対応した。

(阿部浩巳裁判官)

(辻洋一弁護士)
上峯の弁護人は辻洋一弁護士が担当した。
今回の起訴事実は徐裕行の供述に基づくものだったが、背後関係の捜査は難航していた。この日は20枚の傍聴券を求め、早朝から924人が並び、事件への関心の高さをうかがわせた。
安広裁判長「傍聴人は発言ができません。静粛にしてください」
安広裁判長は裁判の冒頭、傍聴席に「くれぐれも静粛に」と異例の注意をした。
徐裕行の初公判で高英雄が騒ぎ、退廷させられた事件を思慮しての呼びかけだった。
しばらくして被告人が入廷してきた。
上峯憲司は、ブルーのストライプシャツに濃紺のズボンで法廷に姿を現した。白髪まじりの角刈りで黒ぶちの眼鏡をかけ、はっきりとした声で氏名住所などを述べた。
罪状認否では、上峯は落ち着いた口調で事件との関わりを全面否定した。
上峯「(事件と自分は)全く関係ないです。否認します」
弁護士「共謀は一切ありません。この事件については、世上言われているような、おもしろおかしい背景も一切ない。免罪の構造の典型だ」と述べ、全面的に争う構えを見せた。
検察側は冒頭陳述と証拠調べで
①上峰が「徐は右翼の一員だった」と口裏を合わせるよう周辺に指示していた
②上峰は事件前に一億円の融資を知人に依頼していた
ことを明らかにした。
●上峯憲司と2人の証人

上峯が一億円を必要としていたことを供述したのは上峯の知り合いの元右翼団体関係者と、上峯や徐が出入りしていた都内の有限会社の代表者。
元右翼団体関係者の供述調書によると、「名義のために一億円の印紙が必要」「東京進出の足がかり」などと話し、焦った様子だったという。元右翼関係者は自分が関係する会社の社長と上峯を会わせたが、社長と上峯は10分ほど話しただけで、「社長は色よい返事をしなかった」とされる。
上峯被告から融資の相談を持ちかけられた会社の常任顧問の調書では、上峯は4月14日、「いい物件の話があるが、名義変更にあと一億円足りない」「名義変更のために一億必要だ。何とかならないか」と頼んで来た。会社に呼んで上峯を社長に紹介したが、融資は成立しなかった、とされる。
有限会社の社長は95年3月、元暴力団の紹介で上峯と知り合った。上峯は「六本木のビルで一億円が必要」と話したという。
また、検察側は徐裕行の供述調書を読み上げた。しかし、徐の初公判で読み上げられた冒頭陳述とほとんど変わらない内容だった。
①当初、上祐を狙おうとしたが包丁を入れたアタッシュケースが開かず失敗した
②報道陣が囲んでいたために青山弁護士の襲撃も断念した
ーと、村井秀夫だけを刺殺の対象としていなかったことを明らかにした。
(この時点で検察側は村井事件は暴力団のみ犯行と断定。南青山総本部の地下入口について触れられることはなかった。)
上峯被告が事件前に2回、徐被告に会い、
①事件3日前の4月20日、JR目黒駅付近の乗用車内で
「オウムの幹部、上祐、青山、村井のだれでもいいから包丁でやれ」「ある人が期待しているんだ」
②22日午後、東京・六本木の日本料理店でテーブルに「殺」と書き
「これ(殺意)がなかったことにしろ」「組のためにやるんだ」「その場で逮捕されろ。右翼を名乗れ」「このことは誰にも言うな」
など詳しい指示を与えたこと、と話したことを、検察側はあらためて主張。更に
①上峯が所属していた暴力団組員に電話して、徐被告が右翼団体と名乗るだろうから、口裏をあわせるように、と連絡していたこと
②上峯が周辺に「事件は頼まれてやったことだ」と漏らしていた事実を明らかにした。

上峯は椅子に深く腰掛けて、手を膝の上で組み、じっと前を見つめたままだった。
検察官が起訴状朗読をすると、上峯は天井をじっと見上げていた。
参考文献(朝日新聞95年9月11日夕刊15面)、(東京新聞95年9月11日夕刊9面)、(毎日新聞95年9月11日夕刊11面)(産經新聞95年9月11日夕刊3面)(東京新聞97年3月21日)(週刊現代95年8月12日号)より出典