徐裕行「おはようございます。タナカです。これから行ってきます」
4月23日。
午前9時58分頃、徐は上峯の携帯電話に連絡した。
上峯「わかった」
電話が切れると、徐はアタッシェケースの中に、牛刀をしまった。

午前10時頃、徐はラブホテルから外出し、ホテル街のゴミ箱の中に包丁のケースを捨てた。
外は雨が降っている。
午前11時、オウム真理教南青山総本部前に到着。

周りはテレビ局のカメラマンや取材関係者がごったがえしていた。徐は持っていたタバコに火をつけると一服し、鼻から煙を吹き出した。ガードレールによりかかった徐は、その場に延々と留まった。

しばらくして、近くにいたカメラマンたちが、
小雨の中、傘もささずに佇む不審な男に気づき、隠し撮りをはじめた。
派手なヒョウ柄のセーターを纏い、堅気離れしたこの朝鮮人を見て、誰もが只ならぬ騒ぎが始まるのでは、と感づき始めたのだ。視線を感じた徐は少し挙動不審になった。

天気が晴れてきた。暫く待機していたら周囲がざわつき始めた。


午前11時26分。教団総本部に上祐史浩が到着。


徐「あれが上祐か…」

正午、青山吉伸が出入りしに現れた。青山の姿を見ると、徐はそっぽを向いて離れていった。
この時、警察側も現場付近で幹部の動向を監視していたが、徐の存在を見落としていた。


(青山から離れる徐。カメラとは正反対の方へ向いている。)
●徐裕行とオウム信者S・T
南青山へ来て数時間が経った。徐はアタッシェケースを地面に置き、腰をかけて椅子代わりに使った。退屈しのぎに、徐は周囲を観察した。

カメラマンの前で花束を持ったOLが会話をしている。彼女は上祐に贈り物を届けにきたのだという。側にいた東京スポーツの取材者は後日、この写真に「バカOLを見ていた徐容疑者」と題名をつけ、95年5月6日に掲載させた。


午後1時。徐は総本部付近のコンビニでカレーパンとジュースを購入。
徐裕行「トイレを貸してほしい」
徐は従業員に声をかけると、店の奥へ向かった。すると、後を追うように、若い眼鏡をかけた女性が現れ、徐の後を追った。2人は店の奥のジュース売り場の前にたつと、数分間、会話を交えた。
この女性は例のホテトル嬢とは別人である。95年5月3日、朝日新聞が、このやりとりを朝刊一面に見出し付きで大きく取り上げた。

朝日新聞1995.5.3朝刊
『徐容疑者、刺殺前に女性と接触 オウム真理教の村井秀夫氏殺害事件』
東京都港区のオウム真理教東京総本部前で4月23日夜、教団「科学技術省」トップの村井秀夫氏(36)が刺殺された事件で、殺人容疑で送検された東京都世田谷区上祖師谷3丁目、徐裕行容疑者(29)が事件当日の昼、現場を一時離れて近くのコンビニエンスストアに行き、若い女性と会っていたことが警視庁の調べで2日、分かった。徐容疑者は事件について「自分一人で考え、だれにも相談していない」と供述しているが、警視庁は、この女性から何らかの指示や情報を受けた可能性もあるとみて、身元の特定を急いでいる。
調べでは、徐容疑者は4月23日午前11時ごろから、教団東京総本部前で機会をうかがい、午後8時35分ごろ、戻って来た村井氏を刺した。村井氏は翌24日未明に出血多量で死亡した。
徐容疑者が女性と会ったのは、事件当日の昼すぎに目撃された。徐容疑者は、教団東京総本部近くのコンビニエンスストアを訪れてパンを買った後、「トイレを貸してほしい」と店の奥に向かった。後を追うように若い女性が入ってきて、二人は店の奥のジュース売り場の前で数分間、話ていたという。
徐容疑者は先に店を出たが、この時、包丁を入れていたアタッシェケースは持っていたなかった。女性は20~30歳で、メガネをかけていたという。
徐容疑者は、一時、総本部前を離れて、コンビニエンスストアへ行ったことを認めている。
これまでの調べに対して、徐容疑者は「幹部なら、だれでもよかった」と、村井氏だけを狙ったのではないことを強調している。しかし、徐容疑者が教団東京総本部前にいた午前11時から午後8時半までの間、二人の幹部が出入りしたのに、やり過ごしていたことなどから、警視庁は村井氏を標的にしていた可能性を捨てていない。
警視庁は、事件当日に接触した女性が、どんな役割を果たしたのか、徐容疑者を追及するとともに、事件の背後関係についてさらに詳しく調べている。

週刊現代(1995.8.12号)によれば、この女性はオウム教団「東信徒庁」に所属していたS・T(33歳)という人物だという。S・Tの存在はTBSや週刊読売(5月28日号)でも報じられた。
事件当日、S・Tは南青山総本部の警備を取り仕切っていたという。
しかし通常、総本部の警備は「自治省」が担当することが決められていたが、この日だけは異例で東信徒庁が対応をしていたという。5月2日、警視庁は徐とS・Tの打ち合わせがあったことを確認。S・Tの検挙を急いだ。
5月3日、コンビニ店の店長が日刊スポーツの取材で警察の事情聴取を受けたことを認めた。
しかし店長は「徐容疑者が店にきた時はアルバイト店員しかおらず、詳しいことは分からない」と話した。
7月8日、赤坂署はS・Tを免状等不実記載容疑で逮捕した。
山梨県上九一色村在住でありながら、免許証の住所を神奈川県であると同県公安委員会に届け、虚偽の疑いで逮捕されたのである。
警視庁公安部はS・Tの他東信徒庁長官の飯田エリ子から事情聴衆を行い、教団と徐の関係を模索した。

しかし、警察は徐とこの女性が会話していたという決定的な証拠を示すことができなかった。
実は、徐が入店したコンビニに設置されていた防犯カメラが故障していたという致命的な問題があったのだ。「日刊スポーツ」(1995年5月4日号)
しばらくして、S・Tは釈放されてしまった。
捜査関係者「徐とこの女性信者を追求したが、両者の供述は『道を尋ねた』『道を聞かれた』ということで一致していて、それ以上、詰められなかったんです」「週刊現代」(1995.8.12号)
道を尋ねるのであれば普通は店員に質問する筈であり、来客に尋ねることはほとんど考えられない話である。また、徐は午前の時点で南青山総本部前に到着しており、わざわざ尋ねる必要は無い筈である。

では、2人はどんな会話を交えていたのだろうか。
ここで一旦、村井秀夫刺殺事件直後の現場を振り返ってみよう。
・事件当時、総本部の地下入口にカギがかけられており、外部では複数のカメラが、内部では山路氏が確認している。
・徐は、村井の動きを把握していたかのように、延々と正面入口前で待機していた。(村井が地下入口へ入ると刺殺は不可能)
・刺殺事件発生時、メガネをかけた信者が、網柄ワイシャツの信者を羽交い締めにし、徐の殺害を手助けするような動きをした。
・事件翌日、上祐が記者会見で不信な動きをしていた信者をかくまう発言をしている。
上記の状況から、S・Tが事前に村井殺害の手順を徐に伝えていた可能性が十分あり得る筈である。
ところが、公安部は尋問を取りやめ、S・Tを易々と逃がしてしまった。警察は、オウム最大の謎を紐解く最も重要な機会を、そして最後のチャンスを手放してしまったのである。
この失敗は後の徐裕行裁判、上峯裁判に強い影響を与え、裁判官や検察側の検証を困難にする結果を招いた。

何故警察はS・Tを見逃したのだろうか。
「週刊新潮」(97年5月1日.8日号)の文章に、興味深い一節がある。
「あまりに事件が広がり過ぎて、警察は麻原の極刑だけを目指す頂上作戦に出たんだ。上だけやればいいとね。警察は寝てるんです。確かに、麻原と暴力団の関係なんかが法廷に出たら、本当に裁判が終わらなくなるけどね。ここが、警察の狡さだよ。オウム事件には、あの問題はどうなってんのという事件が沢山あるよね。”政策的判断”と言えば聞こえはいいが、警察機構が負けたということだよ」
頂上作戦が失敗し、オウム裁判が20年も長引く結果となった事実は周知の通りである。徐裕行や青山吉伸が出所した時点でまだ裁判は終わらなかったのだ。
