
●オウム真理教、フランスへ飛ぶ
同月、麻原はノストラダムスの予言と自分の終末論の関連性を見いだすために、村井、松本知子、石井久子ら幹部を連れて、フランスのリヨンへ訪れた。そしてノストラダムスの文献を探すため、それぞれ現地の図書館へ向かった。そして、研究家のミッシェル・ショマラ氏から世紀末の予言を聞き出そうとしたが、理想的な回答を得られず失意の帰国をした。
●毎日新聞社を襲撃せよ!
家庭との縁を切り、オウムの施設で修行をさせるやり方に反感を持った信者の親たちは、ジャーナリストの江川紹子、坂本堤弁護士と協力し、オウム真理教を非難する活動を行った。
そんな中、サンデー毎日が「オウム真理教の狂気」と題する連載企画を1989年10月2日号から始まめた。第一弾は、川上や永岡など信者の親7人が集まって、それぞれの体験を語り合った座談会の内容をまとめたものだった。
同誌が発売されたその日の午後1時頃、毎日新聞社に、麻原が信者を引き連れて現れた。9階の応接室に通された麻原は、牧太郎編集長に対して「取材方法が一方的だ」などと、抗議を行った。それでも当初は声を荒げることもなく話し合いが行われた。ところが、途中で麻原の態度が急変した。
牧「未成年の者に、30万、40万といったお布施を求めるやりかたはどうなのかな」
麻原「だったら、いくらだったらいいんだ!!」
麻原は突然声を荒らげ、席を蹴った。
その6日後から、牧の自宅は嫌がらせの電話に襲われた。
「地獄に堕ちるぞ」「牧太郎はいるか」
自宅から駅までの電柱に「でっち上げはやめろ」と大書きされた牧の写真入りビラが貼られた。家族が一歩出ると信者に取り囲まれ、写真が撮られる。そんな嫌がらせがしばらく続いた。信者たちは、毎日新聞社内にも140枚近くのビラを貼り、街宣車で抗議行動を行った。
しかし「サンデー毎日」はオウム批判キャンペーンを続けた。嫌がらせが功を奏さないことに、麻原の怒りは募る一方だった。
麻原は村井に、岡崎と早川をサティアンの4階会議室へ呼ぶよう命じた。
岡崎は取引相手から毎日新聞が地下で印刷所していることを聞き出していた。それなら印刷所を破壊して、休載へ追い込んだらどうだろう。麻原の意見に真剣な幹部達。
その中で一番積極的に提案したのは村井だった。

村井「爆弾を2トン車か何かの車に積載して、毎日新聞社の地下に入れて爆発させればいい。十分だ」
早川「爆弾はあるんですか?」
村井「すぐに作れます、簡単です」
トラックに爆弾を積み、地下で爆発させれば輪転機が壊れ打撃を与えられる。だが当時は武装化が進んでおらず、爆薬の製造に必要な薬品や機器を保有していなかった。
岡崎(村井さんなら…失敗するだろうな)
行き当たりばったりな計画。
この後岡崎と早川2人は毎日新聞社へ下見に向かった。大きな車は地下に入れない構造だった。そもそもサンデー毎日が毎日新聞社で発行されてるかは分らない。そもそも計画は尊師ではなく、村井が立案したものだ。やる気の無い2人は状況を報告し、麻原の意見を伺うことにした。
「サンデー毎日の事務所に入り、爆弾を仕掛けて来られないか調査して来い」
指示を受けた岡崎は、すぐ毎日新聞社の正面入り口へ向かった。編集部へ行くには警備員のチェックが必要だった。名刺を渡してはみたものの、警戒された無理だというのが分った。計画は断念となった。
10月6日。
サンデー毎日のキャンペーンに続き、フジテレビが「おはよう!ナイスデイ」でオウムを取り上げた。出家しようとする高校生を同級生が説得する場面や、「血のイニシエーション」を取り上げ、オウムの異様さを強調する内容だった。13日には第2弾として、信者の両親が「娘を返せ」と抗議する訴えを報じた。
10月9日にはラジオの文化放送でオウム真理教の特集が放送された。この番組には坂本堤弁護士が出演し、5分ほどオウムの問題点を語っている。
テレビ朝日の「こんにちは2時」も、オウムを取り上げた。川上が後ろ姿でビデオ出演し、永岡が生出演に応じた。そこへ麻原たちがスタジオに乗り込んできた。永岡は信者だった息子を番組に出さないよう要請し、局側も約束していた。ところがオウムは長岡の長男を女装させ、オンエア中のスタジオに潜り込ませた。あっけにとられる永岡を尻目に、麻原は意気揚々で引き上げた。

だが、半年の間にオウム真理教はすっかり、スキャンダルをまき散らす得体の知れない薄気味悪い集団として世間に認知されるようになってしまった。