さて、パーカーの録画の件からですが、「プレレコ」ということなので、先に演奏した録音に後から、いかにも同時録音したかのように映像を被せてます。
コールマン・ホーキンスは役者なので、「いかにも」演奏を楽しんでる風に演奏してますが、パーカーはコールマン・ホーキンスを前にして少しかしこまっているものの同じアドリブをなぞるのは自分の主義に反すると判断しているせいか、おんなじコトはやらないもんねぇ~ってな感じで馬鹿クセェゼってなもんで、改めて新しいフレーズを吹いてるようです。残念ながら、このバラードが何なのかは、一度拝聴させていただいただけではわかりません。また近々聞き直してチェックします。
次に、我が「中間派」の件ですが、「主流」という解釈はなんなのですかねぇ?小生にとっては、カンザスシティーのジャズを中心としたものが中間派であり、ビッグバンド(ダンスバンド・スイングバンド)ジャズとバップを繋ぐ役割を果たした点が、味のある演奏はもとより、歴史上重要だったと考えています。したがって、50年代の主流なジャズというイカサマな見解は断じて許せません。これは、真面目にジャズに接しようとする者に誤解を生むことになるのではないかと少々困惑しております。
カウントベーシーのカンザスシティー7だけでなく、ルビーブラフ、ボビーハケット、ワーデルグレイなんかも当然中間派なのであります。こうしたスタイルのプレイヤーは、前述のような50年代の主流派説を採用した場合、どこのジャンルに属することになるのか?理解に苦しむところです。ただし「主流派」という見解は「正統派」を意味する点では文句のないところであり、中間派=50年代主流派という安易な説明があまりに中間派への愛情のない舌足らずな中途半端かつ劣悪な解釈なだけにジャズを好む者の心情をさかなですることになると感じております。このような、知ったかぶりの愛のない言動は慎んで貰いたいものです。いずれにしても、インターネットで公に向け公式な見解のような形で情報発信する内容としては少々稚拙であり、青少年のジャズする心をキズつけてしまうおそれがある点では断じて許せないことなのであります。
やれやれ・・・
予め決められた場所で、決められた音楽に接することができるなどと考えている間は、まだ中間派について語れる準備ができていないのである。
ではまた。
コールマン・ホーキンスは役者なので、「いかにも」演奏を楽しんでる風に演奏してますが、パーカーはコールマン・ホーキンスを前にして少しかしこまっているものの同じアドリブをなぞるのは自分の主義に反すると判断しているせいか、おんなじコトはやらないもんねぇ~ってな感じで馬鹿クセェゼってなもんで、改めて新しいフレーズを吹いてるようです。残念ながら、このバラードが何なのかは、一度拝聴させていただいただけではわかりません。また近々聞き直してチェックします。
次に、我が「中間派」の件ですが、「主流」という解釈はなんなのですかねぇ?小生にとっては、カンザスシティーのジャズを中心としたものが中間派であり、ビッグバンド(ダンスバンド・スイングバンド)ジャズとバップを繋ぐ役割を果たした点が、味のある演奏はもとより、歴史上重要だったと考えています。したがって、50年代の主流なジャズというイカサマな見解は断じて許せません。これは、真面目にジャズに接しようとする者に誤解を生むことになるのではないかと少々困惑しております。
カウントベーシーのカンザスシティー7だけでなく、ルビーブラフ、ボビーハケット、ワーデルグレイなんかも当然中間派なのであります。こうしたスタイルのプレイヤーは、前述のような50年代の主流派説を採用した場合、どこのジャンルに属することになるのか?理解に苦しむところです。ただし「主流派」という見解は「正統派」を意味する点では文句のないところであり、中間派=50年代主流派という安易な説明があまりに中間派への愛情のない舌足らずな中途半端かつ劣悪な解釈なだけにジャズを好む者の心情をさかなですることになると感じております。このような、知ったかぶりの愛のない言動は慎んで貰いたいものです。いずれにしても、インターネットで公に向け公式な見解のような形で情報発信する内容としては少々稚拙であり、青少年のジャズする心をキズつけてしまうおそれがある点では断じて許せないことなのであります。
やれやれ・・・
予め決められた場所で、決められた音楽に接することができるなどと考えている間は、まだ中間派について語れる準備ができていないのである。
ではまた。