(Sometimes I'm Happy.)

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吉本隆明・著「なぜ、猫とつきあうのか」メモ


 吉本隆明(よしもと たかあき、1924年・大正13年11月25日 - 2012年・平成24年3月16日)は、詩人で思想家。詩集「固有時の対話」などの現代詩をはじめ1960年代から自ら主張する<自立の思想>を基に「擬制の終焉」「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」など多くの作品を著し、常に世間に左右されることなく独自の信念で世界を見つめ言論を展開しました。

 

 吉本隆明が猫好きだとは知っていたが、この本にあるように家族と接するように猫と暮らしていたとは思いませんでした。

 我が家にも野良の黒い猫(愛称・クロちゃん)がおり、寒い夜などはファンヒーターの前に敷いたマットの上で丸くなっています。どこから来たのか、何歳なのかもわかりません。初めは餌を貰いに来るだけだったのですが、いつの間にか家の中に上がり込むようになりました。ずっと寝ているかと思えばゆっくり起き上がって気持ちよさそうに伸びをし、人の顔をじっと見て餌を催促します。お腹が満足するとまた人の顔をじっと見つめてドアを開けるように促し、すっと何処かへパトロールに出かけていきます。たまに私は猫と意思が通じたと感じることがあるのですが、吉本氏は必ずしもそうではなく、猫は猫が思うようにしているだけで犬と人間の関係のようなものではないといいます。

 

(我が家にいる野良猫のクロ)

 

 この書籍は猫を題材にしていますが、単に愛玩した猫との生活を描いたものではなく、インタビュー形式で猫について語ることを通じ吉本氏らしい認識の仕方を読むことができます。

 例によって少しだけ内容を抜粋し紹介します。



 吉本氏は猫の動物的な生態みたいなことを著した「猫読本」には何も特筆すべきことがなく終わっていると言っています。そして動物学者より迷い猫を探す商売人の方がよく猫のことを知っているようだと感心している件があります。能書ではなく現場の事実を重視する姿勢は<自立の姿勢>同様で面白いですね。

(引用・P-157 「Ⅳ 猫のほうがやっぱり受け身の…」より)

「(抜粋)―――たとえば日本の動物学者で猫好きでという人の書いたもので、ちっとも新しい知見をうることないですね。僕らの方が知っているとは言わないですけど、でも、ちっとも新しい知見はないです。もちろん外国ではものすごい猫の権威がいるわけでしょうけど、少なくても日本の人だったら、畑さん(筆者註:動物学者・畑正憲氏)はもちろん実際的にはよく知っているんでしょう。しかし、畑さんの書いた『猫読本』(文藝春秋、一九八六年)という本がありますけど、それ読んでも別に新しいとおもうことは書いてないですね。たぶん、実際問題としてはもっといろいろよく知っているんでしょうけど、書かれたので見るかぎりはないです。だから、一応だいたい終わりだよ、という感じがしないことはないですね。これからやるとすれば、ちょっと猫の研究といいますか、文献的な研究とかということを含めて、研究ということしないといけないです。すぐにでも僕がやってみたいことがあるとすれば、猫に発信機みたいなのをくっつけて、こっちで観察して、いまどこいらへんにいるとか、そういうこと知ってみたいですね。そこいらへんのことはよくわからなくて、動物学者より迷い猫を探す商売の人の方がずっとすごいです。見つけたときにどうつかまえるかというのも実にうまいですね。少しずつ近寄っていって、やっぱりエサをおりの一番奥のところに置いといて、ふた開けてジーッと待っている。なかなか辛抱強いつかまえ方していますね。

 


 ひ弱に生まれた子猫をその場で殺してしまうような親猫の習性も含め、動物の本能の中にあるひとつの残酷さのような「動物性」を人間は残しているのか、それとも独自の人間性を有した生き物なのかということを考えてみています。

(引用・P-162 「Ⅳ 猫のほうがやっぱり受け身の…」より)

(抜粋)———動物性という言い方をすると、人間はやっとこさ動物が持っている本能的習性みたいなものから離脱したばかりで、自分の中の動物性が引っ張ったり抑制したりしないかぎり、何かかわいそうな、同情すべきことにであったら、ひとりでに助けてあげようみたいな、つまりヒューマニズムみたいなところまで、やっとこさきたということになるんじゃないでしょうか。でも、動物性がなくなっちゃったんじゃなくて、動物性の上に何かを意識的に築いてヒューマニズムみたいなものをつくっているわけだから、逆に動物性がたくさんの引力で引っ張っちゃうと、いくらヒューマニズムなんて口で言ったって、実際には残酷なことをしちゃう。人間の中の動物性が人為的な倫理など引きずり落としちゃう。だから弱者は助けるべきだみたいなかんがえ方ぐらいまでなら達成してますが、動物性がまったくなくなるまで離脱したわけじゃないですから、ふとした瞬間に、動物性が強大なあらわれ方をすれば、建前だけでほんとに動物と同じように、弱者をますますたたきのめしたくなっちゃったとか、建前にころりとだまされたりとかいうことになるんじゃないでしょうか。だから結局いまの段階で、ヒューマニズムみたいなものを建前として前面に押し出してしまうと、しばしば矛盾をおこしたり、逆にヒューマニズムの名のもとに人間を惨殺したりとかってことをやっちゃったりする。いまの人間の段階はそんなところだという言い方もできるんじゃないでしょうか。

 


 四章の終わりの方で、前述の人間・ヒューマニズムの理解をさらに深めようとした時に、現在の状態は悪くなるいっぽうで絶望的だと認識する人たちもいることに触れ、実は善でも悪でもなく現実がむき出しになって来ていると話します。

(引用・P-191 「Ⅳ 猫のほうがやっぱり受け身の…」より)

(抜粋)現在の条件を見てゆくと、善でも悪でもないよ、ただ事態はむきだしの本質をみせるようになった。善でも悪でもないけど、現在の条件をできるだけ正確につかまえて、世界は本質としてこうなっているというイメージは、明際であればあるほどいいよってかんがえてます。何をいちばんかんがえるかっていったら、善か悪かよりも、本質かそうでないかのイメージをできるだけ明瞭につかまえる。それは明瞭で細かくニュアンスも含めてつかまえられればられるほどいい。現在っていうこと自体は、むきだしの本質であっても、悪でもなければ善でもないです。現在の中核にあるのは、善でも悪でもない、そういう言い方すれば必然がむきだしにしてくる本質が核だと感じます。

 

 それで思い出すのは、1980年代に入りアメリカ批判を象徴する仕組みとして利用された「『反核』運動」に対し、核の恐怖を利用して政治的な正義を主張する運動を「反核ファシズム」と称して吉本氏が「共同幻想論」の文脈で批判したことです。善や悪ではなく本質を捉えて理解するという<自立の思想>の所以をここでもそうかと思ったものでした。

 


 ところで猫の話に戻りますが、うちのクロちゃんはおにぎりに海苔をつけて握っているとスッと足元に寄って来ます。ある時、妻が海苔の破片を鼻先に持っていくとペロペロと食べてそこから動きません。もっと欲しいと目を輝かせています。クロはいつどこで海苔を好物にしたのでしょう。海苔は好きなのに、サザエさんの歌のようにお魚をくすねたり海藻を欲しがる訳ではありません。海苔は大好物のようだと思っていたら、吉本さんの話の件に次のようなのがあり同じなんだと思いました。

(引用・P-199 「猫の部分」より)

(抜粋)また、ほとんどの猫が海苔ののべ板のようなものを、少しずつやると好物のように見うけられる。海苔と猫とは縁がなさそうなので、その理由はわからない。

 


なぜ、猫とつきあうのか(講談社学術文庫 2365) 」(amazon)


⚫︎プロフィール

吉本隆明(よしもとたかあき)

1924-2012。東京都生まれ。東京工業大学卒業。詩人、思想家。著書に『言語にとって美とはなにか」「共同幻想論』「最後の親機」「初期歌謡論』「真贋」など、詩集「固有時との対話』『転位のための十篇』など多数。現在,「吉本隆明全集』(全38巻・別巻1)が刊行中。

 

⚫︎奥付

なぜ、猫とつきあうのか

よしもとたかあき

吉本隆明

2016年5月10日 第1刷発行

2022年2月8日 第2刷発行

発行者 鈴木章一

発行所 株式会社講談社

東京都文京区音羽 2-12-21〒112-8001

電話編集(03) 5395-3512

販売(03)5395-4415

業務(03)5395-3615

装幀 蟹江征治

印刷 豊国印刷株式会社

製本 株式会社国宝社

本文データ制作 講談社デジタル製作

© Sawako Yoshimoto 2016 Printed in Japan

 

⚫︎文庫カバー解説

人は堅(たて)、猫は横に親和して住んでいる気がするー。

幼いころから生活のなかに猫がいて、野良猫・飼い猫の区別もゆるく日々をともに過ごし、その生も死も幾多見つめてきた思想家は、この生きものに何を思ったのか。詩人の直観と、思想する眼差しと、ともに暮らすものへの愛情によって紡ぎ出されたことば。猫を愛するすべての人に。(巻末エッセイ・吉本ばなな)

 

⚫︎本文装画 ハルノ宵子

 

⚫︎目次

Ⅰ なぜおまえは猫が好きなんだ、というふうに言われたら、存外こっちのひとりよがりで・・9

猫の家出ー猫のイメージー猫の死、人間の死

 

Ⅱ 人間なんかになれているようなふりしているけど、絶対なれていないところがありますからね。 59

猫探しー猫ブームー猫の予感

 

Ⅲ 種族としての猫というのは、大に比べたら、横に生活している気がするんです。107

猫の「なれ」一猫の聴覚|再び、猫の「なれ」

 

Ⅳ 猫のほうはなにかやっぱり受け身のわからなさみたいなのがたくさんあってね。151

猫と擬人化ー猫のわからなさー孤独の自由度

 

猫の部分 198

 

吉本家の猫—解説にかえて 吉本ばなな 213

その後の吉本隆明と猫 吉本ばなな 219


(おしまい)