羽州街道ラン1

2019年9月24日(火) 晴れ

 



当初は青森県の油川宿から羽州街道を南下する予定だったが、青森のホタテやら楽しみは先に取っておきたかったので、桑折から北上することにした。
宿間距離はGPSCyclingのサイト、見所は「羽州街道をゆく」藤原優太郎著、「百街道一歩の羽州街道」のサイトを参考にした。

1日の走行距離は30キロぐらいとすると、1回目は湯原宿あたり。宿泊場所を調べると、学校を改装した「街道Hostelおたて」が見つかった。安心していたが、1週間ほど前に天気予報を見て行くことに決め、いざ予約しようと思ったら、なんと火曜、水曜が定休日だと。宿泊施設で定休日は全く想定外で、計画の練り直しを余儀なくされる。
桑折から上山までの間には、関に「七ケ宿館」という旅館があるのみ。桑折から22キロの地点なので、街道歩きの旅人にはちょうど良い距離だが、走ると昼には着いてしまう。
バス便を調べると関と湯原宿の1つ先の干蒲宿の間に町営バスが走っていて、干蒲発16:00に乗れば関には16:40に着く。
七ケ宿館に電話すると、25日は満杯で24日なら大丈夫とのこと。上山で斎藤茂吉記念館に立ち寄るつもりだったが水曜が休館日なのであきらめざるをえない。

いよいよ当日、早めに大宮駅に着いて、6:30のやまびこ自由席の列の先頭で並んでいると、どんどん列が伸びていく。車内では座れない人も。宇都宮でどっと降りるが、同じぐらいの数の乗客が乗り込んでくる。郡山駅でも似たようなもので、東海道新幹線とはかなり様子が異なる。

福島駅で在来線に乗り換え桑折駅で下車。
桑折の追分は歩いて5分もかからないところにある。
2年前の奥州街道ランで、この追分を右に進んだのを懐かしく思い出した。

 

桑折追分(右;奥州街道、左:羽州街道)


軽くストレッチをして、8時20分スタート。

線路に沿ってしばらく進むと右手に一里塚の標柱を見つける。追分から5分ほどしか走っていないので、追分が基点ではないのは確かだ。

東北本線をくぐって線路の西側に出て、やがて離れていく。東北自動車道をくぐった右手に半田銀山公園があった。石垣が積まれていて、銀山から掘り出した石を石垣風に積み上げたのだろうか?

 

半田銀山史跡公園


ここから先、道は緩やかな上りとなりやがて、小坂宿に入る。福島県最後の宿を通過し、小坂峠に向かってさらに傾斜が急になる。萬蔵稲荷神社の赤い鳥居をすぎると、峠に直登する山道に入る。すぐに倒木があり、その先は膝ぐらいの丈の草が一面生えていて、道なのかどうか不安になるが、戻る以外に選択肢はないので、意を決して先に進むと、山道らしくなり、高度を上げる。
お産のように苦しい坂で産坂と言われていたとのこと。坂自体はそれほどでもない。

 

産坂 ひどい草道


やっと小坂峠に着きほっとして振り返ると、伊達市方面の広々とした素晴らしい眺めが目に入る。

 

小坂峠より、東側の眺望 伊達市方向




峠からは舗装道路で快調に飛ばす。やがて左手に萬蔵稲荷神社の赤い鳥居の列が現れる。鳥居をくぐって行った先に本殿があり参拝をする。帰りに何機鳥居があるのかなと数えながら帰る。朽ちてしまった物を除き、鳥居の形を成しているものだけで124基だった。1基1基に寄進者の名前が記されていた。

 

萬蔵稲荷神社


しばらく下って右の旧道に入ったところが上戸沢宿である。上戸沢宿は七ケ宿の最南の宿で、宿の入口のところに口留番所と検断屋敷の跡碑があった。木村家の検断屋敷は材木岩公園にて再建されていて、後程立ち寄った。

下戸沢宿をすぎて左に曲がり、七ケ宿湖に向かう。その突き当たりに材木岩公園がある。入口近くに木村家検断屋敷があり、中を見学する。

 

木村家検断屋敷



その先に国の天然記念物である材木岩があった。安山岩の柱状摂理が澄んだ流れから65mの高さまで立ち上がっている。

 

材木岩



街道に戻り、坂を上って行くと国道113号線に突き当たる。左折してトンネルをくぐって、左手に七ケ宿湖を見ながら進むと、渡瀬宿の標識を見つける。渡瀬宿はこのダム湖が出来たときに湖底に沈んでしまった宿で、先ほどの材木岩の前の道を直進するのが街道だったとのこと。

湖の西端には七ケ宿公園が広がり、その先に道の駅七ケ宿があり、軽く食事をすることにした。白石の名物「ウーメン」があったので注文。そばの感覚で美味しい。

ウーメン 白石名物

 

やがて関宿に入り、郵便局の先の信号を左に入ると関泉寺が正面にある。ピンピンころり地蔵尊を前面に出してPRしている。
そうあって欲しいなと、しっかりと拝む。

 

関泉寺 ピンピンころり地蔵尊があり、よくよく拝んできた。


今夜の宿、「七ケ宿館」の前を通り、その先のファミリーマートで小休止。このファミマはCOOPとのコラボの店で、桑折から上山の間でただ一軒のコンビニである。こういった店は地元の人にとってもとても便利ではないかと思った。
コンビニの隣にコインランドリーがあったが、洗濯は25キロが最小のもので数百グラムしかない洗濯ものを洗うにはToo Much。旅館で洗濯と脱水までやって、乾燥機だけをかけに来ればかなり安くすむので、旅館にお願いしようと思った。

さらに先に進み、街道の左手に茅葺き屋根の安藤家本陣の建物があるところが滑津宿である。この安藤家本陣と木村家検断屋敷が七ケ宿に残る2つの遺構とのこと。

 

安藤家本陣


また少し行くと、振袖地蔵があった。関の地蔵と相対してことを思い出し、そして関の地蔵を見てこなかったことに思い至る。帰りか明日の朝にでも見に行ければいいかなと思う。

 

振袖地蔵


その少し先左手に大きな駐車場があり、滑津大滝が展望台の眼下に見える。遊歩道を歩いている人もいたので、滝の近くまで行ってみようかとも思ったが、まだ先もあるのでやめることにした。

 

滑津大滝


準備した地図で大わらじの場所を確認しようとしたら地図がない。どこかで落としてきたみたいだ。実害はそれほどないが、せっかく準備した資料なので残念だ。

国道をしばらく走ってから左の旧道に入ったところに大わらじが吊るしてあり、その下に男性と女性のシンボルが。

 

大わらじ


やがて峠田宿に入る。宿の入口辺りで左折していくと七ケ宿スキー場である。かなりアクセスの悪いロケーションでしかも宿泊施設も十分になく、スキーヤーを呼び込めるのだろうかと、他人事ながら心配してしまう。

峠田宿をすぎるとポツリポツリと雨が降りだした。天気予報を信じて傘を置いてきたが、山の天気はあてにならない。でも、あまりひどくはならず湯原宿に到着。

宿を通りすぎて、東光寺まで来る。山門の前に十六羅漢が並び、その先に薬医門造りの山門がある。江戸時代中期のものだそうで、七ヶ宿町の指定文化財である。

 

東光寺山門


東光寺十六羅漢

 

街道を走っていて、バス停が見当たらない。多分フリー乗降だろうとは思うが、ネットで調べても書かれていない。バスの時間まで1時間ほどあったので次の宿である干蒲まで走ろうかとも考えたが、16時のバス発車時間に間に合わなくてフリー乗降区間でもなかったら関まで戻る方法がなくあってしまう。安全を見て、湯原宿で時間をつぶすことにした。
郵便局が目に入ったので入ってバスの乗り方を聞いたら、「手を挙げたらどこでも停まってくれますよ。」とのこと。いったん走るのを止めたら、もう気力がわかない。

湯原の街中を散策するが、やはりビールを売っている店はどこにもない。雨も少し降ってきたので「番所」と看板の上がっている駐在所のところで雨を避けながらバスを待つ。

定刻にバスが来て乗り込むが乗客は自分ひとり。最後まで一人だった。いくら公営とは言え、これでは事業を維持できないのではないか。事前予約がなければバスは運航しないとか、何か考えないと、長くは継続できないのではないか。

バスは途中国道を外れ、スキー場と養殖をしているような地区に立ち寄るも定刻に関に到着する。

旅館に着くとさっそくビールを注文。うまい!
瓶ビールを飲みほしてから風呂に入る。風呂に入ってからタオルがないことに気が付く。浴衣はあったがタオルがなかった。歯ブラシもレザーもなかった、石鹸用タオルでお湯を拭き取り、少し濡れていたが我慢して着替える。
女将さんに洗濯機を貸してもらうよう交渉したら、洗ってあげますとのことでお言葉に甘える。
洗濯が終わり、コンビニ横のコインランドリ-に行こうとすると、多分明日朝までには乾くという。最悪、着替えなくても構わないし、女将さんのお言葉に従って自然乾燥とする。

七ヶ宿館


夕食はかなりのボリュームだったが何とか平らげた。料理の写真を撮ってこなかったことが悔やまれる。
久しぶりにテレビを見ながら、まったりした時をすごす。

走行距離:37.7キロ
走行時間:5時間12分