中森明菜……… | 薔薇髑髏の我が儘 言いたい放題

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 所属事務所は新興の「研音」所属、レコード会社も「ワーナー・パイオニア」(現ワーナーミュージック・ジャパン)と決まった中森明菜。
1981年12月のことだ。

 ワーナー・パイオニアは、米大手のワーナー・ブラザーズが日本のオーディオ機器メーカーであるパイオニアと大手芸能プロダクションの渡辺プロダクションをパートナーに設立した外資系レコード会社で、設立11年という若い会社だった。

 そのワーナーが洋楽系イベント会社「ウドー音楽事務所」からヘッドハンティングしたのが当時、33歳だった寺林晁(現エイベックス・レーベル事業本部アドバイザー)だ。
当初は洋楽部の配属だったが、その後「邦楽強化」を打ち出した同社が「邦楽部門」の総責任者に抜擢。
それだけに明菜獲得には「研音」とともに必死に動いてきた。

 「さまざまな新人を見てきたが、正直言って明菜以上に衝撃を受けた新人はいなかった。振り返ると明菜一本に賭けたところはあった」 82年に入り、大手芸能事務所、大手レコード会社のイチオシ新人が続々とデビューする中、5月1日にデビューが決まった明菜は「出遅れ感があった」という。

 寺林は明菜のデビューに向けて強力なプロモーション体制を組んだ。
その陣頭に抜擢したのが邦楽宣伝課所属の31歳、富岡信夫(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)だ。
渡辺プロダクション傘下の「渡辺企画」で桃井かおりの現場マネジャーからレコード会社の宣伝マンに転身してきた。

 「まさかアイドルのプロモーションを任されるとは思ってもいませんでした。ワーナーはアイドルの売り出しで大きな実績がなかったので不安もありました。正直渋々引き受けた感じでした」 担当後、東京・南青山の本社アーティストルームで顔を合わせると「明菜は母親同伴で来ていて深々と頭を下げたんです。礼儀正しい子というのが第一印象でした」 しかし、そこで富岡が気になったのが明菜の「歯並び」だった。

 「最近のアイドルはさほど歯並びを気にしなくなりましたが、当時のアイドルは違っていました。とは言っても彼女の場合、さほど芸能活動に影響を与えるものではなかったと思いますが、一応矯正することを勧めました。彼女は口元を隠すように押さえながら小さくうなずいていました」 彼女の歌を聞くと「はっきり言って新人離れしていました。
しかも、まだ16歳なのに大人にこびない。
彼女と顔を合わせるたびに刺激を受けるようになりましたね」。

 82年に入るとデビュー曲が連日論議された。
その中で富岡が提案した。

 「来生たかおに依頼してはどうかと。すると担当ディレクターが『来生たかお?』って頭をかしげたんです。正直ビックリしましたよ(笑)、当時、薬師丸ひろ子さん主演の映画『セーラー服と機関銃』の主題歌『夢の途中』がヒットしていると話したところ、関心を持ってくれて…。で、依頼しようということになったのです」 明菜のデモテープを聴いた来生はそのボーカルに興奮したという。
上がってきたのはデビュー曲となった「スローモーション」と「あなたのポートレート」「咲きほこる花に…」の3曲だった。

 検討した結果、寺林の「明菜は既成概念にとらわれないスタイルでデビューさせたい」との提案もあって、バラード曲の「スローモーション」に決まった。

 一方で「実はデビュー曲は『少女A』という案もありましたが、イメージが強すぎるという意見が出たそうです。とにかくデビュー曲が決まるまで紆余曲折あったようです」(関係者)。

(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。
81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE-情熱-」などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。
85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

超~久々に
明菜の話題が………

松田聖子派と中森明菜派に別れてたんだよね
私は明菜派でした

『瑠璃色の地球』
元々は松田聖子の曲なんだけど
明菜が歌わせてほしいと頼んだらしい

瑠璃色の地球はどちらが歌ってても好き



最初に聴いたときは
なぜかわからないけど涙が溢れてきた

気に入ってずっと聴いてると
涙がでないんだよね

超~久々に聴いたら涙が溢れてきたよ

今はどこで何をしているのかなぁ?