【能登半島、珠洲市へ③】

 

2日目は

数々のミッションをこなす日。

 

この日は私の次女も合流。

今回はプライベートで来たけど

次女は能登地震で看護師として

珠洲市の緊急災害医療支援に

携わっていました。

 

 

祖母の故郷の災害支援に

孫が関わるというご縁も不思議。

 

 

震災直後の避難所では

祖母(私の母)を知る人と知り合ったり

縁はどこで繋がるか分からない。

 

 

だからこそ、

人との繋がりは大切にしなければ、

と思ったのでした。

 

 

さて、最初のミッション

【母の実家の状態を見に行く】

 

地震の後、故郷の家はどうなっている?

 

 

そこには伯父夫婦と娘家族が

家を建て替えて住んでおり、

地震の後、そこには誰もいない

という不確かだけど前情報はありました。

 

 

海岸沿いに立つ家なので、

そもそも家が存在しているのか、

津波の影響はなかったのか、

心配でした。

 

 

宿泊先の狼煙から一旦

珠洲市街地へ戻り、

伯父家族の情報を得るために市役所へ。

 

 

でも、今どこにいるのか、

生存しているのかさえ

教えてくれないのですよね。

 

 

叔父は東京から電話かけても

教えてもらえなかったので

戸籍謄本を持参していました。

直接来たら教えてくれるのかも、と。

 

 

それでもだめなのです。

親族が来ているのに。

教えてもらえないのは

どうしてなんでしょうね。

 

 

 

でも、実は

この後、伯父家族は生存していて

連絡が取れるとこになりました。

 

 

 

珠洲市街地から

峠を越えて日本海外側へ。

 

途中、通れない道を迂回し、

でこぼこの道、

ひび割れた道を、

アトラクションに乗っているかの

ようにバウンドしながら走る。

 

 

海が見えた時は感動でした。

やっと戻って来れた〜。

 

 

でも海岸沿いを走ると

複雑な気持ちに。

壊れた家々と、懐かしい風景。

 

 

とうとう、家のある場所へ!

 

 

家はありました!

 

 

建て替えたので、

母が生まれ育った家ではないけど、

被害はあるものの、その場所は無事。

 

 

情報通り、

伯父家族はいませんでした。

 

 

ただ、家の前の海岸は

すごく変わっていました。

 

 

隆起して、岩が剥き出しに。

 

 

いつからか、

ゴジラ岩と名付けられた岩。

観光名所らしいけど、

ゴジラ岩として見るのは初めて。

実際は小さいのね。

 

 

海岸風景は変わってしまったけど、

それも自然の姿。美しい。

 

 

道もかなり復旧して来ているので、

奥能登まで来て欲しい、

と思いました。

 

 

【震災後の奥能登訪問、珠洲市へ④】へ続く

 

 

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