雨がたくさんふっていた7月1日の月曜日、仕事中で15時をまわったあたりだろうか会社に母から電話があったそうで父が亡くなりました
母に電話してもでなかったので姉に電話して早退してカッパ着て自転車で病院に行った
病院について場所がわからなかったのでもう一度 姉に電話したらもう自宅に戻ってる途中だからごめんねということで自宅に引き返した
自宅で体も黄色っぽくて目を半分あけて口をギュッと とじてるおとうちゃんをみた
何度も目をとじてあげてもしばらくすると開いてきてしまい、まだ死にたくないから助けてくれと言ってるようにみえた
76才だった
ひとりでしんどくなってきたので友達に電話しようとしたけど、おとうちゃんの希望でお通夜も葬式も家族だけでと頼まれていたので できなかった
いつもアメーバブログ読んでくれるみなさんにも報告できずのままほったらかしで申し訳なかったです
10年くらいパーキンソン病というのになって、だんだん歩けなくなっていき転んで骨折して入院したり自宅をいったりきたりを5年くらいしていました
3月まで元気そうで自分でコンビニ行ったりしてたのが圧迫骨折が2箇所ふえて自分で食べることも難しくなっていき4月終わりころ誤嚥性肺炎で深夜11時に救急搬送された
それから病院の先生に鼻からチューブさされ栄養とるか胃に穴をあける胃ろうにするか決めてくれということになりどちらも選べなくて迷っていたら面会にいくと鼻からチューブだと両手をしばられつらいからはずしてほしいと何度もお願いされたので
胃ろうにしますってはなしを病院の先生とし
肺炎の治療と熱がさがってコミュニケーションがちゃんとわかるくらいしゃべれるように回復したら胃ろうの手術まで様子みることに
胃ろうの手術が保留になり頭も混乱しておかしなことを言うようになって看護師さんに食事なげつけたりもして、もううちでみれませんということになり精神科病院に移動もしました
どんどんしゃべれなくなり息子の認識もあまりできてるかできてないかもわからなくなり回復しないまま6月23日に最後の面会をし病院を移動して1週間後に亡くなることになりました
自分とは性格も価値観もぜんぜんちがって創価学会のことでふりまわされたり自信とヤル気をなくされることばかり言われほとんど親子らしいこともせず
2009年11月11日に祖母の葬式から孫が生まれてから態度も変わってきて10年くらいと短い間でしたが、ちょっとでもいろいろはなしもできてよかったと思うが
昔のことをどうしてもひきずって父親に大事な相談を一度もしたこともなく終わってしまい自分も子供だった
けどそれだけ小学校から人間性を否定され自分の意見もしゃべらせてもらえなかった、まわりほとんど創価学会にかこまれてひどいめにあわされてきたので、たぶんおとうちゃんが80や90まで長生きしてても、そんなに変わらなかったように思う
また落ち着いたらゆっくりブログ書きます