3月12日がんで余命1ヶ月の報告された友人


抗がん剤の副作用も手足のしびれと冷たいものが飲めないこといがい順調で病院の先生もびっくりするくらい全身にひろがってたがんも小さくなっていて回復している検査結果だったようで


電話の声も明るく本当に余命1ヶ月にみえないくらいよくしゃべること、とりあえずホッとしました


まだ完全に安心じゃないけど、またカラオケなど一緒にいけるようになってほしいと思う


自分も整体の先生に首の調節などしてもらって、手のしびれとめまいのほうも軽くなってきてマラソンの練習も楽しくできました


定期的に歯医者も整体もしてなきゃな

いまから18年くらい前だろうか仕事の休憩中


なにげなく言われたはなしで「そういえばマラソンのシーズンっていつなの?」って聞かれたことがあって


「だいたい9月から3月くらいじゃないですかね」って自分が答えたところ


「そうだよね7月か8月の40℃ちかいなか42・195キロも走ってたら死んじゃうよね」って言われた瞬間に


自分がすごくバカにされたようなスイッチはいる瞬間があった、とてもみじめな気持ちになってしまった


いろいろ考えてて春夏秋冬どこでも42・195キロを平均の成績でゴールできなきゃそんなの本物じゃないのではないかと思うようになった


たまに雨だったらマラソン大会って中止じゃないの?って言ってくる人もいて、そんな小学生の運動会じゃあるまいし暴風警報で電車が何時間もストップするとか特別なことでもないとめったに中止になんかなりませんよ


そのおかげで8月の北海道マラソン3時間25分くらいでゴールした7月の函館マラソンどしゃぶりの雨のなか3時間40分でゴールした2月の京都木津川マラソンは雪のなか3時間30分でゴールした5月の黒部マラソンも灼熱地獄のなか3時間40分でゴールしたなどいろんなことをすることができた


ものすごく大変だったけど天気に恵まれたなかだけでいい成績を残してもつまらないのでやっといてよかったと思う


さらに言うと2年前にコロナウィルスというのがやってきてエントリー予定のマラソン大会すべて中止や延期ばかりになって


いつも自分がマラソンやってるとすごく喜んでくれる人もそれでもやっぱりまたマラソンやりたいってはなしをしたときに


「やるのは自由だけど変なもんうつされてまきこまないでね」と言われたことがある


ちょうど志村けんさんが亡くなりましたってニュース流れて2ヶ月後くらいのコロナウィルスのピークでみんな不安だらけのなか言われてもしょうがないことを自分もアホだったと思うが


もし世の中すべてを敵にして友達がひとりもいなくなることになってもそれでもマラソンやりたいのか?


それでもやっぱりやりたいが自分の答えだったこと


このはなしもし60才まで現役のフルマラソンゴール達成したら、もう一度もうちょっとこまかくブログにしたいなと思う


そこまでたどりつけなかったとしても、これだけひとつのことに集中できるものって、そんなに出会うこともないと思うので本当に幸福なことで


明日で急に引退することになってもマラソンありがとうって変わらないのだと思う



マラソンを長くやっていると一番言われることが多いのがこれかな


なんのためにマラソンやるのか?


楽しいから走りたいだけじゃダメなのかな


自己満足だけで理由なんかないと思うのが自分の気持ちであって


なので損得でもの考えすぎる人はマラソンやらないほうがいいかな


だけどこれも実際には自分の体を痛めて42・195キロをゴールしたらきっと変わるもの


自分も自分でやってみて想像してた以上のいろんな経験とか複雑な自分も知らなかった自分の感情があった


たぶんマラソンに偏見が強い人であればあるほどゴールしたあといままでの人生や価値観が大きく変わっていくものだと思う


だけどそのためには地獄のような苦しみを何度もしなきゃたどりつけないもので自分の限界以上をひきだして運が悪いと死ぬことだってある危険なものであることも事実なので気安くやってみたらとは自分から言えない


あくまで自分が自分でマラソンやる!って決めてもらわないとダメだと思う


でもなんのために走るのかその質問される時点でもうダメなんだと思う。すこしでも気になるならまず自分で走ってみようかなって自然になっていかないと


走る人は、ほかっといても勝手に走り最初3キロで歩いたりしてもしょうがない、いつかフルマラソンに挑戦できたらいいなと思える人がまた続けていき走りたくない人は一度無理だと思い込んだら誰から何を言われようと走らないような気がする


このセリフだいぶ前のブログにも書いたような


自分もぜんぜんダメからスタートしたけど続けていたらいつかおもしろくなる予感というか根拠のない変な自信だけは強かったと思う


試合で優勝して有名になりたいとかそういうのは興味なくて、とにかく1日でも長く楽しくマラソンできたらいいなという気持ちのほうが強い


いまの自分の走る理由はマラソンが命の恩人だから


親が創価学会の家に生まれ学会員のしつこい勧誘にふりまわされてばかりで絶望感しかなかったなかでマラソンだけが自分を認めてくれていまのままで何も悪くないんだよと自信もらえた気がした


マラソンの魅力はシンプルでわかりやすい自由なこと


よく野球のルールが難しくてわからないとかサッカーがよくわからないというはなしはよくあるけど走るってなんのことかわからないという人ってあまりいないと思う


特別な勉強や資格がなくても健康な体ひとつあれば走るのは自由


野球だったらボールとバットなどいろんな道具もいるし試合となると9人以上のチームメンバーや対戦相手がいて場所も野球場か広い公園など限定されたところになるが


マラソンならひとりでシューズと道路ひとつあればある程度どこでもできちゃう


金持ちも貧乏人も学歴が高いとか低いとか男も女も関係なく平等にスタートから42・195キロを自分の体を痛めて進み続けるだけ


それはずっと変わらない


あなたは部長さんだから41キロでゴールでいいですよとかハンデ5分ねとか経験が10年あるから40キロで勘弁してあげますとかそんなこともない


つめたいようにみえることもあるけど当たり前のことであって自分は好きだなぁと思う


簡単に幸福をくれないかわりにあきらめなかったら確実に幸福を返してくれる、これからも変わらなくて大きなカベでいてほしい


練習したことが練習したままメンタルの変化などで大きく影響してマラソンにでる


いまの自分の状態がこまかくはっきりでるのもマラソンだと思う


20キロや30キロじゃわからないことが42・195キロならわかることもいっぱいある


だからボロボロになってゴールしてもまたしばらくすると走りたくなってしまう


しんどくて大変なことがたくさんあるけど、あきらめずにゴールまでいけばちゃんとがんばったぶんだけの幸福を返してくれる


お疲れ様でしたとスタッフさんからタオルかけられたり完走記念のメダルかけられた瞬間にさっきまで地獄でしかなかった気持ちを忘れてしまう不思議な世界にいける


またあの瞬間にいきたくて何度もマラソンにエントリーしていくし、そんな気持ちにさせてもらった恩返しに走り続けていかなきゃいけない義務もあると思ってやってきた


よく知らない人のためにみんな「がんばって」とたくさん声もかけてもらえて道路も通行止めばかりで迷惑かけてるのに「ありがとう」なんて言われて、こんなありがたいこともなくて、やっぱり自分の最後に帰る場所はマラソンしかないんだなといつも思ってしまう


これからどんどん成績もさがっていくことになるだろうけど感謝の気持ちはゴールするたび増えていくんだと思う


でもベストコンディションでスタートして5時間オーバーすることが連続するようならすぐ引退しようとも思う