街並みは年末らしく、商店街は多くの人出で賑わっている。今日はあいにくの雨だが、クリスマス商戦の賑わいは心地良い年末を感じるひと時であった。
私はこれまで、このブログで自分の体験や考えを記録として書いて来た。その中でいろいろ試して分かって来た事がある。それは、ここに偉そうに論じる事も必要かも知れないという事だ。
駄文であれ、何であれ、何かを考えたり、感じた事を書き残すと言う時間は頭の中を整理する上でも重要な事なのだ。それが、人様のお役に立てるかは別の話である。したがって、また論文調で偉そうに書き進めてみようと決心した。
さて、この12月で私は転職して一年になる。この一年はいろいろあった。まず簡単に前職場を離れた後の事を書いてみたい。私は、とある理由で前職を円満に退職した。退職理由は単純で、私の倫理観と会社のそれが合わなくなったからだ。「大した事も出来ないのに偉そうによく辞めたものだ。」と喝を入れて頂いた事も記憶に新しい。誠にありがたい忠告である。
私は前職を辞めた事を後悔する事なく今日に至れるのも、この忠告があるからこそなのだ。それを証明してくれる友人に出会えたのもこの前後である。
退職後に感じたのは、多少の退屈さと自由である事の罪悪感であった。所属の何たるかが、私に不安という二文字を与えてくれた。わずかな退職金で家賃と税金と社会保険料を支払いながら、私はデジカメを片手のに街を散策した。近所に多くの寺社があることもその時に知った。
時間に余裕があったので、スーパーやデパートで人の流れをおよそ二ヶ月に渡り観察もしていた。おそらくではあるが、私の観察した時からこの一年、人の流れはまだ変わってなさそうである。時系列で言えば、午前中は年配の買い物客が比較的多く、レジもベテランの係の方が多かった。午後になると、若手も徐々に増えていくのだ。
初めに学生、次いで中年と思しき主婦群、夕方は入り乱れて混雑となる。学生は廉価ものに手を出し、主婦は見切れや特売に手が伸びる。高級品に手が伸びるのは余裕のある年配層が多かった。土日祭日は家族連れで賑わうが、財布を出すのは年配の方々だ。我が子や孫の可愛さについつい財布が緩むのだろう。高度経済成長を牽引してきた方々の金銭感覚だと私は思う。
そう言えば、政治の力で経済を変える試みはいかがなものだろうか?三本の矢は成果をあげたのだろうか?気になっているのは、政治家が財政を良くしようと躍起になるとき、戦争や犯罪が活発になるのはなぜだろうか。他国であれば、取りあえず商売に乗っかって良いのだろうか?
話は変わって、私は今年の2月から、現職場の強制的な指導の賜でスマホを持つようになった。連絡を取りやすくするために、グループツールとしてのモバイル端末を持てとの事で渋々持つ事になったのだ。10ヵ月程使っている事になる。
1週間もすると使い慣れたのだが、未だにハマる事がない。だが、知らない土地に赴く時などはGPS機能が効力を発揮するのでそうしたツールとして重宝している。月々の使用量は平均すると、契約は2GBなのだが、700~800MB程度で未だに1GBも超える事がない。。。歩きスマホなど夢中になる理由が私には分からないのだ。便利ではあるが、歩きながら使おうとは思わない。
これはあくまで私の観察だが、スマホを持ってうつむきながら駅構内などを歩く人々を観ていると言葉は悪いが、何かに「憑かれている」ようにさえ見えるのだ。さらに言葉が悪いが、映画で観た奴隷の様にも見えるのだ。それぞれの方が、何かしらの目的に向かっているのだろうが、その目的はスマホの画面に映っているのだろうか?
それとも、歩きスマホの全員の方が乗り換えの目的で画面を見ているのだろうか?だとしたら、どれだけ不便なものを利用して目的地へ向かっているのだろうか?だが、歩きスマホをされてない方々も多く居られるので、それはなさそうである。となると、根本を考えた方が何か見つかりそうである。
では、根本からスタートしてみよう。まず、歩きスマホの共通点はモバイル端末である。次にインターネットである。端末が表示しているのは情報である。情報はそれぞれの個々人が得たい情報で、個々に特化していると推察される。SNSや数えきれない多くのサービスである。つまり、人の数だけ得たい情報があるという事になる。
限られた時間で多くの情報を得る為に、歩いている時間さえも惜しい貴重な情報なのだろうか?もしくは、歩いている時間は退屈だからネットで何かを見ている方がマシという退屈しのぎなのだろうか?そんな事を思わなくもない。
どんな理由にしても、歩きながらはやめた方がいい。ゾロゾロ、ノロノロ、危険過ぎる。
移動の時間もかかり過ぎるのではないだろうか?スマホの画面に何が表示されていても、それを見るのは歩いてる最中で無くても良いのではなかろうか?歩く時まで意識を向けていたい情報とはどんなものだろう?
本来の目的・目標・自分の意見がしっかりあるのなら、スマホや情報の奴隷になる必要はなく、上手に使っていけるはず。「情報は使うものであり、知識は身につけるものである」という
言葉が私に歩きスマホをさせないようにしてくれるのである。