4月の終盤からスタートした言語の講座・全編ほぼ英語の授業(今回は2クール目)が終了しました。
1クール5回の講座なので、やはりあっと言う間の時間でした。
とは言え、僕はこの間に先生に、しつこいくらいに言語の持つ世界観や歴史・背景を講座後に徹底的に聴いて質問しまくるという、良い意味での熱心な受講生であったと思います。(2クール通してですが、そう思いたいです。笑)
マルチリンガル(多言語話者)の愛称:おりまり先生は、言語に共通する事項と人の習性(人間学的な)や行動様式に焦点を当てて、そもそもの言語が何であるか?なぜ必要なのか?というアプローチからスタートしてくれます。
僕の場合、マネジメントの観点(リベラルアーツ・教養)から入ったのですが、これが驚くほどしっくりくるものでした。言語が持っている強みであり、人の本質(人格)に根差すものだという自分なりの解釈を得られました。
僕が学んでいるマネジメントの本質は「人がより良い社会を築き幸福になる為の考え方」だという事を先に書いておきます。現代を生きている全ての人が実践出来る構想です。
マネジメントは万人の帝王学と言われながらも、なぜかノウハウが主流になり、管理や手法に拘り、誤解も多く残ったまま放置されている様に見えるとは言い過ぎでしょうか。
少なくともドラッカー師の構想からノウハウを読みとる事は僕には出来ませんでしたから。
僕が言語学から教わった一番大きな要点は、言語には言語にしか出来ない役割があり、その中心に人の想いがあるという事でした。
物事を言い表す為に言葉があり、ほとんど全て言葉で言えて、伝えられる様になっているのではないでしょうか。そして、直接話せなくとも文字という、書いて伝える手段があるという事。
人には根本的に自分の意思を分かって欲しい・共感して欲しいという想いがあり、それを伝える為に言葉があり文字がある。
この事は古代の文明にも伺い知る事が出来る様に思います。意志疎通を図る為に言葉を用い、想いを書き遺し伝える為の文字が遺跡に刻まれていたりしているのではないでしょうか。
こうした想いを言葉や文字を通して受け取るのも人です。
いつの時代もコミュケーションの中心に言語があるのがあらためて分かったのでした。
当然と言えば当然ですが、言葉の使い方(テクニック)でうまく言えば良いというものでもありません。
コミュニケーションを円滑に行う事で得られるものを良く考えれば、それは明確になりました。円滑なコミュニケーションをしっかり行えば行うほど、人間関係って楽になりますから。
信頼関係ってそうやって築くものでしたね。
相手が何を考えて何を思っているかなんて、何度かやりとりしてようやく分かったりするもの。
その人の中にある概念は、言葉でしか表せないものであり、その人本人にしか言えないもの・表現できないものであったりします。
言語を通して、言葉にして初めて価値観や考えを知る事が出来ます。初めて自分の事を自分の言葉で伝えられる様になるのです。
次に大きな要因は言語の持つ特性でした。例えば、僕は授業で英語を中~高と6年間習いましたが全く話せません。既にほとんどを忘れてしまいました。が、日本語であれば方言があっても理解する事が容易に出来ます。
なぜ、英語が難しいのか?言い方も使い方も文法も習ったはずなのに?勿体ないですが、いまとなっては仕方ないですね。使って来なかったし、必要でも無かったので。
言語にはその言語が持っている背景や歴史(特に宗教色)・文化が密接に関わっているので、そうした事を少しずつ知って行けば、言語は使いやすくなると僕なりに解釈しているので、英語を使えるように自分なりのアプローチをしています。
言語とマネジメントの両方のまとめとして、
個人の言葉が習慣になり、その習慣が組織(集団)の文化となり、組織の文化で社会が築かれ、その社会を文明と呼ぶのでしょうね。
大きな潮流を生み出す原点は、個人の言葉であり、「言葉は人そのものが持っている想いの入れ物」なのだと教えてくれた先生の想いをようやく解釈できた様に感じます。