セルフ・アップデーターという在り方 -17ページ目

セルフ・アップデーターという在り方

旧:とある学会のサロン模様~「D学会 D・サロン」~
タイトルを刷新しました。

あらためまして、セルフ・アップデーターのひでです。
セルフ時代の現代を生きる一人一人の自己(セルフ)に焦点を当て、総合力の更新(アップデート)を全力でサポートします。



最近手にした新旧の500円硬貨。

おそらく、近所のコンビニかクリーニング屋さんで受け取ったもの。

旧硬貨は、懐かしい。
偽造のターゲットになったやつだ。

自販機のおつりに、部分的にくり貫かれた500ウォンが出て来た時には何事かと驚いたものだ。もちろん警察に届けた。🚓

昭和59年。西暦1984年。
わずかその2年後からバブル景気は始まる。

バブル景気も最高潮な高校生の頃、スーパーのテナントのお寿司屋さんでアルバイトをした。スタート時の時給はそれでも630円だった。

僕がアルバイト先に慣れる頃、マネージャーさんから「どうしたらもっとお店が良く廻るかな?」とお茶休憩の時に相談があった。🍵

実はこのマネージャーさんの息子は僕と同級生。つまり、友人の母ちゃんだ。テナント内ではだいぶ厳しい。😰

相談があった時に、シフトの話をした。
僕は研修期間に色んなシフトの人から教わっていた。

教わった時、教え方の上手い分野が一人一人にあった事をフィードバックした。

教え方の方法論ではなく、実践でやっている事を見ながら教わるので上手い下手は良く分かる。😊

説明は下手だけど包丁さばきはめっちゃうまい!とか。🔪電話対応がうまいとか。☎

そうして、しばらくして、マネージャーさんはシフトを組み立て直した。

シフトが入れ替わってから、だんだん上手く廻る仕組みが出来ていった。当然と言えば当然。みんな、もっと得意になるために協力しあったのだ。

みんなの得意が、それぞれに噛み合うので、工夫が面白い様に行われる。勝手に改善が進むのだ。

そんな事はお構い無しな高校生の僕は、地域の人ともどんどん仲良くなっていった。

偶然とは重なるもので。

品出しして店頭に出てる時に、一人のおばあちゃんから「一度でいいから、好きなものだけ握ったのが食べたいのよね。」と相談があった。☺

僕は機械握りの担当だったので、値付け担当のおばさんに聞いたら「出来る」事がわかった。😌

そうして、おばあちゃんの好きな具材だけで「特握り詰め合せ」を作って、売ってしまった。おそらく、テナント始まって以来初だったろう。😁

このおばあちゃん、実は町内会の老人会婦人部の代表さん。老人会のイベントの仕出しをまるごと注文してくれる様になった。✌

おばあちゃんの影響力とは凄いもので、子供会からも注文が入る様になる。子供会の会長さんは、このおばあちゃんの息子さんだった。

そんな事をしていると、味を知った人たちが沢山買いに来てくれる様になる。そうして、季節毎のイベント時は飛んでもない売上が計上されていく。💰

半年後、ついに全国トップランクの優良店舗に格上げされてしまった。本部も何度か視察に来たし。👍

僕が在籍していた頃の最高位は3位。全国40店舗中である。それまで下から数えた方が早い東北の片田舎の店舗だったのに。 

僕のバイトの時給もわずか一年半程で、1050円になっていた。当時、パートさんより高い時給だったので口止めされていた。😉

このマネージャーさんは、後に東北エリアのマネージャーにまで昇進したとかなんとか。😊

バブルの後押しもあっただろうけど。
懐かしい栄光である。👑

僕は高校を卒業と同時にバイトも卒業し、東京の印刷会社に就職した。

そして、程なくしてバブル景気は崩壊し、失われた数十年は始まった。いや、続いている。

今日はここまでっ❗と書いたなー。😋