講座名「社会生態学とは何か~ドラッカーはなぜマネジメントを発明したのか~」 【講師:阪井和男】
明治大学リバティアカデミーの存在や仕組みを知ったのは、つい昨年の事。それまでは、学ぶ仕組みが用意されている事にも気付けなかった。学ぼうとさえしていなかったと言えなくもない。自分の原点に戻らせてくれたドラッカー師。彼が見ていた世界を一瞬でも垣間見たいと私は願ってやまない。この講座にはそのヒントがあるような気がしていた為、受講した。
会場に着くと、大盛況なことが分かる。受付で頂いた受講証は84番であった。仕事で会場入りがぎりぎりになったのだ。社会人が学びにくい理由はこんな所にある。ぎりぎりだった為に、やる気席は既に無い。準やる気席に着座した。そう言えば、やる気席を確保するのは習慣になっている。セミナー通いの恩恵である。
はじめに簡単なワークショップを介して、周囲の方と話すことで緊張感を和らげるという体験をした。講師からも古くから使われている手法であるとも補足された。
その時に気付いた事がある。Wikipediaには『ワークショップとは本来「作業場」や「工房」を意味するが、現代においては参加者が経験や作業を披露したりディスカッションをしながら、スキルを伸ばす場の意味を持つようになっている。』とあった。それは「物を作る技術を得る場」だったのが「主に知識やスキルを得る場」になっていることである。
もちろん、大雑把に捉えての事にはなるが、中心となる資本が「身体的要素」から「知識的要素」に変わっている事には注目しておきたい。
さて、話を戻してワークショップで話したのは2つの社会観についてであった。競争的な社会と協調的な社会。確かに極端な見方をするとその通りであるが、この二つが混ざり合って社会は成り立っているという事でもある。そして、極端に競争を意識する社会より協調しあえる社会はいくらでも伸びしろがあるという捉え方であった。
企業で言えば組織が存続し得ないのは、競争という概念で敗北したのでは無く、利用者(顧客)に見放された(見限られた)からなのだ。要するに勝ち組負け組ではないのだ。たとえ競争であっても、子供たちの運動会のようにお互いを讃えることが出来なければわずかな成果しかあげられないということだ。
そうして、成果をあげるという『基本と原則に反するものは、例外なく時を経ず破綻する。』のである。
次に「マネジメント」について9つのキーワードを元に、またミニワークを行った。大体よく見かける言葉である。「管理」「指揮命令」「政策立案」「官僚」「意思決定」「バランス」「ビジネスマネジメント」「機関」「信念」である。
良く勘違いされて使われているのが「管理」である。マネジメントの一部では使うが、管理の徹底がマネジメントでは決してない事は既にご存知の通りである。だが、なぜかもっともらしく「○○マネジメント」と使われる。ノウハウ本のタイトルには特に気を付けたいものである。
お気づきの通り、マネジメントはノウハウでは無く実践法である。しかも、成功と幸福の実践法である。よって、9つのキーワードのうち前半4項目はマネジメントを説明するには適さないのだ。これはドラッカー師が前提とした考えでもってヒモづけられた。
こうして全体で学ぶ事で、体系の引き出しが強化されていくのはやはり面白い。私の使命だ。また「ドラッカーの5つの質問」でマネジメントについての考察方法が紹介された。これはある会社で作成され、昨年の学会でも発表された質問集によるワークシートだ。
マネジメントを実践している方々には心強いツールとなるはずである。こうして前半は、社会観とマネジメントの概念を大きく体系的に捉える事が出来た。
後半はいよいよ社会生態学についてである。底本は『ドラッカー 教養としてのマネジメント』である事が先に告知された。講師も翻訳に携わった一冊である。
社会生態学とは「人と経済的、社会的、政治的な組織の関係を究明すること」との説明があり、その目的が「社会のあらゆる機関が機能するように改善すること」でありドラッカー師の使命であった。
また、目標は「すでに起こった未来」を察知し、その変化を伝え、大きな変化の中でも社会が継続し、人と人が助け合ってより豊かな社会を築いていけるようにすることだった。つまり、これから先に影響が起こるという事を事前に察知して、起こる変化をチャンスとして利用することだった。
そして、その実践法がマネジメントであった。目的、目標、方法があれば、成果をあげる基本構造が浮かび上がる。ドラッカー師は社会生態学者として働いていた過程で「マネジメントの実践」に行き着いたとの補足もあり、腑に落ちたのである。
これは、少し前に気付いたのだが、子供でも「目的意識」が強いと、自然に責任感も強くなるのだ。そして、面白い事にそんな時には「目標」が明確になっている。これが自主性なのだなと発見したのだ。一番シンプルな、成果をあげる基本構造ではないかと私は考えている。
もう一つ大きく腑に落ちた話としては「継続・継承」についてだった。これは「シェーンハイマーの実験」と「代謝回転」という説での解説だった。
それは「継続する」ことは時間の経過とともにおこる劣化による「衰退の方向(下降曲線)」と常に向上して伸びて行こうとする「成長する方向(上昇曲線)」の間にあるということ。
どちらかの方向に引っ張られるか。継続しているということはその両方の作用で中間点にある平たい線だという事。良くは無いが悪くも無いといった所でもある。これは継続という見方が変わった一説となった。
終盤はかなり飛ばして進んだ為、気になった理論の話はまたの機会にとなった。
それは「多重知能理論」である。学び方が人によって異なる為、興味の湧き方が違うと言う点だ。通り一辺倒な日本の教育文化に大いに用いたいものである。全員が同じ授業で同じ理解度を得られる様な事はないはずである。素人考えでもそれは分かる。
人により学びの入り口は用意されていた方がより良い社会を形成出来る様に感じるのは私だけだろうか。少なくとも義務教育における子供の劣等感は平等にすべきと私は言いたい。
付け加えるなら、劣等感は社会が個人に抱かせているものであることを理解すべきであり、義務教育レベルで劣っている子など一人もいないのだ。「できてないからダメ」と言ってレッテルを貼っているのは圧倒的に「社会」の側ではないだろうか。良い意味での競争であって欲しいと私は願ってやまない。
学びを通して自分の「強み」を知る「フィードバック分析」方法と「セルフマネジメント」についても触れられた。マネジメントの入り口であると私は思う。
自分が始めなければ、他の人の「強み」を借りて成果をあげることは出来ない。他の人を支配(コントロール)する事がマネジメントではないのだ。
自らがリーダーシップを発揮し、協働の関係で他の人をリードし、自分やその人の「強み」を生かして貢献し成果をあげていく方法を卓越して改善し続けることなのだ。
私個人にできる事などたかが知れているが、強みの一つであるこうした「記録」を通して、目的、目標、方法、責任について発信し読んで頂いている方に成果が上がる事を心から願っている――。