D学会「D・サロン」5月 開催日:2013.5.21 | セルフ・アップデーターという在り方

セルフ・アップデーターという在り方

旧:とある学会のサロン模様~「D学会 D・サロン」~
タイトルを刷新しました。

あらためまして、セルフ・アップデーターのひでです。
セルフ時代の現代を生きる一人一人の自己(セルフ)に焦点を当て、総合力の更新(アップデート)を全力でサポートします。

 私の参加も通算9回目。私が着座してからしばらくして2名が合流し、計8名で今回のテーマ「ところを得る(組織における個人の最適な場)」を議論した。

前回(4月)のサロン終了後に「次回のテーマを考えよう」とのU次長の案で、みんなで探したキーワードが「最適(化)」だった。物質量的なものではなく、あくまでマネジメントの考え方として個人におけるものなら広がりそうだと予想していた。

少し長めの雑談から徐々に本題に移っていった。いや、実際には話題のなかに本題への入り口的な話があった。Kさんがある大学のキャリアカウンセリングを担当することになり、その際に大学側から就職率が去年より下がらないようにと言われたそうだ。

この話題をきっかけに、就職における人材の適材適所という言葉が出て「ところを得る」に繋がった。手元資料の「最初の仕事はくじ引きである」の一文がなぜかくっきりと見えた。
確かに自分がどんな仕事に強みを発揮できるかなど、就職するときは考えなかった気がする。

20年程前の事、後にバブル経済最後期の事と言われる。おぼろげだが、どちらかと言うと興味本位に仕事を選んだ記憶がある。現在では考えにくい話だ。社内を転々とし、関連子会社へ出向しているが果たしてところを得ているだろうか。

自分の強みの極僅かな一部分だけならそうかも知れない。どちらかと言えば、模索中といった所だ。なぜなら、自分の使命や強みの事をようやく考える事が出来る様になったのがつい最近で、考えはじめてまだ2年程だからだ。構想は続く。

話を戻そう。
仕事に就いてすぐ(いわゆる新人の頃)は「目の前の言われた仕事だけしか出来ない事が多い。」という意見があり、賛同した。そうして、その後も何年にも渡って目の前の仕事しか出来なくなる人が実に多いのだ。

1年半ほど前に私は、そうした違和感から、自分達が携わっている仕事の意味や意義を「三人の石工」の話を例に社内勉強会で話した事がある。

もちろん、自分達の仕事の全体の位置的な要素(プロセス)を皆で考えるのが目的だったのが、一人のマネジャーが「そんな事、教えられてないんだから考えられる訳が無い。どの道、全体を知っていても知らなくても仕事はできる。」とやや興奮気味に発言したのを覚えている。

つまり、仕事のやり方をマスターするのが目的だとする考え方だ。この案は早く覚えるには、効果はあるかも知れないが、仕事の意味合いとしては説明不足とされた。

 そうして、新人研修では社内の全工程を見学してから、各部門をローテーションで研修する仕組みを再構築した。あくまで、全体を覚える為である。この研修はある時期を境に行われなくなっていた。その時期とはトップが交代した時だ。その頃から学ぶ文化も失われた感がある。

さて、「ところを得る」という事で、この春に独立したWさんから現在と企業に居た時の違いを語って頂いた。企業内は、上がってしまった人が多く居たため居心地もあまり良くなかったとの事だった。

責任の委譲といった自由裁量権ではなく、責任の押し付け合いによる潰し合いが多かった様だ。聞いていると、同じような光景が目に浮かび何とも苦い笑いがこみ上げ、残念さが残った。成果が上がりにくい特徴は良く似ている。今回は時間いっぱいまで議論が続いたため、まとめる時間がなくお開きとなった。

 私なりにまとめると、最初からところを得て自分の強みを発揮できる人はそれほど多くはないのではないだろうか。どちらかと言えば、仕事とはどんなものなのか?何を指しているのか?を知る事から始まるのではないのだろうか。

その仕事を通じての貢献や成果と言われる事の意味を理解し、実践体験して学ぶ事で「こんな仕事がしたい」「自分の特性はこうだ」と見つけていく事ではないかと思う。

そして、その仕事の意味や意義を知り、自分の使命に従って発揮される強みが成果を上げられる仕事に就いた時に「ところを得る」のだと思う。

そう思うと、きっとそれは既存の仕事だけではなく自分自身で築き上げる仕事なのではないかと考えている。そうして卓越したとき、使命を果たす為の能力として備わり、自己実現を可能にするはずだと私は妄信している__。