小学生でもわかる「てつがくって、なに?」…というテーマで
記事を書いたら、「わかり易い哲学の本、何かない?」と訊かれました。
一応前にも書いたことあるんですけどね、あらためて。
消去法でいきます。おススメじゃないヤツ。
まず、哲学の「入門書」を謳い文句にしているものはほぼダメです。
特にいろんな哲学者(主に西洋哲学)を時代の古い順番に紹介しているタイプ。
これは「哲学史の解説書」であり、哲学の本ではありません。
「誰それの哲学者がこう言ってた…。」と知ったかぶりして自慢したいなら
そういうのは打って付けですが、そうでなければほとんどムダです。
なぜ「入門書」がダメかというと、入門する門などないからです。
哲学は「学」がついていますが、実は学問ではありません。
いや、確かに学べばより深くなるには違いないので、その意味では「学」なの
ですが、哲学の本質は「考える」ことです。
したがって、考える前から学ぼうとするのはおかしいわけだから、
「ここが門ですよ、ここからお入りなさい」という入門書はすべて嘘ものです。
門なんかないから、どこからでも出入り自由。すべての人に開かれています。
開かれてはいますが、入れるかどうかはその人次第なのです。
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それから「人生哲学」とか「成功哲学」とか書いてあるもの。
書いてあることは「こうしたら楽しくなりますよ、みんなと仲良くできますよ」
「仕事でうまく行きますよ、お金が儲かりますよ」というHOW TOです。
そうして成功したり、生きたりしているのはどういうことかを考えるのが哲学
なんだから、書いてあることがまるっきりアベコベです。
そういった本には大抵、「こうしたほうがいい」とか「こうするべきだ」とか
説教くさいことが書いてあります。
人に好かれたり、つきあい上手になったり、お金持ちになりたい人、あるいは、
人に指図されてそのように生きたいマゾっ気のある人にはおススメですが
そうでなければ、余計なお世話です。
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また「街頭演説で叫んでいそうな言葉」がタイトルのもの。
「国家」「時代」「責任」…「右とか左」といったような言葉は特にそうです。
例外はあるものの、哲学ではなく、ほとんどは「思想書」です。
「日本はこうあるべき」とか「時代と向き合う」とか勇ましい言葉とともに
無責任に「~するべき」と説教、非難、攻撃のアメアラシです。
まるで、国や時代が自分とは別にあるような視点で、何かを責め立てるよう
に声を荒げています。
「国」だって「時代」だって、同じ人間のやっていることです。
したがって、何を考えるにしても、問題になるのは「自分か宇宙」「今か永遠か」
なので、中途半端な「国家や時代」をメインに語るのは、ただの政治的主張に
過ぎないものです。
それはそれで大変な問題だけど、そういうことが何で大変なのか、あるいは、
「大変」とは何かを考えるのが哲学なのです。
右とか左とか言う前に、「右・左ということはいったい何なのか?を知らなければ、
右も左もないのですから。
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あと、タイトルが著者の名前入りのもの。
「誰ダレの哲学」「私の哲学」とか。そのあとに、「人生哲学」「成功哲学」
と続いていたら最悪です。
哲学って、つまりは「考えを考えること」なんです。
考え自体は本質的に誰もが同じなので、誰が書いたかなんてどうでもいいんです。
だから、著者の名前や「私」なんてことをわざわざ書く必要もないのです。
それをタイトルに入れているのは、ほぼ間違いなく、その人が「個人的に」
思ったことや感じたことが書いてあるだけで、考えたことは書いてありません。
つまりは雑記帳か日記みたいな、ただの感想文にしかなっていません。
もしくはさっきの「人生哲学」「成功哲学」の類です。
※ インターネットとかで「哲学」と検索しても、ほとんどが上記の意味で
「哲学」の言葉を使っています。個人的なことの自己主張に「哲学」の言葉を
使っているものがほとんどなので、「哲学って何?」と尋ねている人が、
その中からまともなのを見つけ出すのは困難です。
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その他、やたらカタカナ単語を多用しているのはおススメしません。
他国の書物の単語をそのまま載せているだけですので、書いてる著者は
理解できていない可能性が大です。理解できているなら、自国語(日本語)で
書けるはずですからね。
そうしてみると、タイトルに「哲学」と書いてあるものはほとんどふり落されます。
もちろん例外はありますが、それは読んでみないことにはわかりません。
しかし、それを読んだところで、どんなに簡単に書いてあっても、
読む本人がそのことに疑問を持っていなければ、書いてある内容はちっとも
わかりません。
考えなければ哲学は不可能です。考えるためには、何かを疑問に思わなければ
なりません。そして、疑問をもつためには、何かに驚かなければなりません。
門があるとしても、入門もできないのは、入口と違う方向を見ているからです。
対象はなんでもいいんだけど、まず驚かないことには何ともならないんですね。
でも、「驚け!」といって驚くことはできませんよね。
「不思議に思え!」と言われて不思議に思うこともできませんよね。
それに驚けるか、それを不思議に思えるか、それは当の本人の感性の問題です。
それを教えることだけは絶対にできません。
でもいーじゃないですか。驚かないなら驚かなくても。
それで困るわけじゃなし。なにしに哲学なんかしたいんですか?
哲学してる人ってですね、何かのためにやってるわけじゃないんです。
驚いて、不思議に思って、考えるのがやめられないからそうしてるだけなんです。
驚かない人が無理して驚くことなんて(無理ですが)、これぽっちもないんです。
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何かに驚いて不思議に思えば、いやでもそれについて考えまてしまうものです。
考えれば、漫画を読んだってテレビを見たって、なんでもそれを参考に(ネタに)
して考え深めることができます。その証拠に私は、アニメ映画や、ビートルズや
スマップの歌をネタにして、哲学の核心を書いていますね。
ただし、考えるときは人は外部の情報を遮断するものであることはお忘れなく。
というわけで、おススメの本などはありません。なんだっていいんですもの。
強いて言うならやっぱり古典ですね。書いてある表現は難しいんだけど、
人間の考えてることはずーと変わらないんだから、時間の洗礼を受けてなお
残り続けている古典には本物の凄味があります。
もちろん、凄味に惑わされて、ありがたがってはいけませんが。
」。
ただの紙切れか金属のかけらなのに、なんで

と疑って、考えます。






として扱います。





