「ファイナルワード」という言葉がある事を、ブログで知り合った方から
教えていただきました。検索してみたら「鶴の一声」のこと。
どんな言葉が多いのでしょうか。先日記事にした「ポエム化」現象でよく使われ
ている言葉と、一致すると思います。
「愛・友情・絆・夢・希望」などでしょうか。「幸せ・自由」もそうかな。
つまり、きわめて日常的に一般化して誰もが知っている、しかも重要な言葉。
…であるにも拘らず、「じゃあその意味は?」と訊くと、それを誰も答える
ことができない言葉。答える事ができないからファイナルワード。こじつけ。
その方の好きな河合隼雄先生(ユング心理学)が著書の中で、
『臨床の場面では、なるべくファイナル・ワードは使わないようにしている。
例えば 愛、友情とか、そういった類の言葉を使わないで、対話している。
なぜなら、そこがわからなくて、苦しんでいる人達だからだ。』
と、いうような事を書いているらしいです。
ほらやっぱり。ポエム化現象として取りざたされたような言葉をいくら並べても、
その人の思っているところのホントのとこなんて、ボヤケているんですってば。
…というわけで、ここからはその河合隼雄先生(よく知らないけどすみません)の
つもりなった気で書いていきます。
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これは何か諧謔なのではないか。
愛とか友情とか、それを大切だと思い、それについて悩んできたというのに、
臨床の今の今まで彼らは、「それが何か」を考えてはこなかったのか。
なにを、いまさら…。だったら、悩む前になぜそれを考えようとしなかったのだ。
大切なことだと思いつつ、信じつつ、なぜ考える事をしなかった。
彼らが考えていたのは、「それが、何か」ではなく、「何がそれなのか」という
「何」のほう、中身の事ばかりじゃないか。主語を間違えているじゃないか。
人によって各々違う中身を比べて、いったいどれが正しいか。それを悩んでばかり
いただけじゃないのか。それは悩んでいたのであって、考えていたのではない。
考えれば、正しく考えさえすれば、彼らだってわかったはずだ。
愛も友情も、それらはみんな「言葉である」と。そんなものはどこにも無いのだと。
いや、それは正確ではない。無いと言えば無いのだし、あると言えばあるのだ。
思い方次第だ。なぜなら全ての在るものは、言葉によって「在る」のだからだ。
言葉は、無いものを「存在」させる魔術だ。「存在」するように思わせる詐術だ。
ある「言葉」を知る者のみに、その言葉の示すものが存在するのだ。
「愛」という言葉を知る者のみに愛は存在し、「愛」という言葉を知らぬものには
愛は存在しない。その当たり前すぎる事実について、考える事をせず、ただひたす
らにその中身ばかりを追い求めてきた。今頃になって、「それは何か」って?
ならば教えてあげよう。それはそれです。その言葉です。
あなたの経験した様々な思いを分類して、それぞれをまとめて入れておく容れもの。
その容れものに貼っておくラベルに、自らが書く分類用の名前の事です。
他の何ものでもありません。あなたの思い名付けた、そのものです。
それは思い込みにして、同時に真実なのです。
あなたがそれを信じれば、それは確かにそこにあった。
あなたがそれを疑えば、たちどころにしてそれはそこから消えた。
信じきる事ができないのなら、きちんと疑って、きちんと考えてやれば、
それが何か解ったはずだ。何も悩む事はなかったはずだ。
信じきることもなく、疑って考える事もなく、中途半端にしたから、あなたは
それについてずっと悩みつづけてきた。ただそれだけだ。
いや、今からでも遅くはない。考えればよろしい。答えはいつもそこにあります。
それができないのなら、信じきるしかありません。信じるか、考えるか。
どちらかを選ぶことです。どちらを選択するにせよ、出てきたものが真実です。
どちらにせよ、出てくるものは、同じものの裏返しなんだから。
どちらにせよ、自分で決めるしかないんだから。