スペイン凋落でわかる時代遅れだった秀吉の外征 | 福永英樹ブログ

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 太閤豊臣秀吉による二度にわたる朝鮮出兵(1592~1598)は、皆様ご承知のとおり自らの政権を弱体化させる大失敗に終わりました。当時長年の戦国乱世で培われた陸戦における日本の軍備・戦略・戦術は世界一といわれ、秀吉もそれらを頼みにして外征を断行したわけですが、世界的な時代の流れを見ていけばその敗因は明確です。秀吉の失敗が、植民地拡大政策の主役だったスペインの凋落ぶり(時代遅れ)とあまりにも似ているからです。


 中南米を中心としたスペインの侵略は、あまりにも植民地を広げたせいで経済的に疲弊し始めていました。貿易は銀の輸入に依存し、本国に利益を運ぶような商いの工夫(民間活力の利用)を怠っていたからです。またカトリック強制(当時のキリスト教主流)にこだわって虐殺略奪を繰り返したため、現地人を有効活用する共存共栄の精神にも欠けていました。さらに植民地へ移住した本国人にも高い関税をかけたため、不満をもった彼らは自立を望み、オランダやイギリスと密貿易をするようになります。その結果スペインは次第に借金が増え、財政も破綻寸前まで陥りました。


 一方オランダ・イギリスは躍進を示す指標基準を土地から金銭へ完全に転換し、法に則った自由競争の仕組みとルールを構築していきました。また軍事も陸軍より海軍を重視優先し、海と接する貿易拠点の構築に注力します。これにより有力商人からの投資が殺到したため、オランダは民間活力を有効利用した株式会社を設立するに至りました。また1588年にイギリス・オランダ連合艦隊がスペインの無敵艦隊に勝利したのは、イギリスの大砲がスペインのそれより射程距離が長く、艦隊の機動力もスペインを上回っていたからです。財力も軍事も、明らかにスペインは近代化に立ち遅れていたということです。


 つまり世界が近代化(自立・個性尊重・自由競争)へのスタートラインに立った時に、秀吉は時代遅れのスペインを真似てしまったということです。まあいつも申し上げていることですが、海外の流れに敏感だった先駆者織田信長の短命を惜しまずにはいられません。