立花隆氏~死ぬとき心はどうなるのか?(NHK)感想 | 福永英樹ブログ

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 以前に記事を投稿した『超常現象 科学者たちの挑戦(NHK)感想 』の内容と関連性がありそうだったので、一昨日の夜から(今夜まで)NHKBS1で放送されている『立花隆~死ぬとき心はどうなるのか? 臨死体験』の感想を投稿させていただきます。


■番組内容

 人間の意識・自我といったものは死んだらどうなるのか? 評論家の立花隆氏(74歳)は20年にもわたって臨死体験を徹底的に取材してきました。臨死体験が注目され始めたのは1980年代で、次の相反する2つの説の間で激しい議論が展開されてきました。


A脳内現象として科学で説明できるとする脳内現象説


B:肉体が死んでも意識・自我は存在し続けるという魂存在説


 立花氏は、臨死体験の掘り起こしをするとともに、意識(魂)の正体を探るべく最新の脳科学・心理学・哲学等を徹底取材。死後の世界があることをは果たして科学的に証明できるのか? ないとしたら意識(魂)はどこに消えていくのか


■感 想

 どちらの説が正しいかは別として、この問題がそう簡単に実証されるとは思えませんし(私が生きているうちは無理?)、真実が明確になるには相当の時間を要しそうですね。ただ、このような科学的な分野に限らず、真実の追求や正しい道を選択していくには、いつの時代も次の2つの流が存在することを改めて実感しました。


A:歴史の中で積み重ねられてきたエビデンス・実績・常識・流れをスタートとして、確実に実証しながら追求していくタイプ


B:実証できるエビデンス・実績(今回は臨死体験の化学的実証)は乏しくても、希少の証言や体験談もとにした感覚的なひらめきやイマジネーションを元に仮説を立て、それを前提に他分野の研究なども巻き込みながら追求していくタイプ


 それはまるで、私が研究している日本の歴史上の人物であるA徳川家康タイプと、B織田信長タイプの歩みと酷似しています。この二人が二人とも(+藤吉郎君)いなければ時代が開かれなかったように、科学的な真実の追求も双方が互いに認め合って協力してほしいものです。


 また、この番組を見ながらもう一つ感想として思ったのは、人間と言う生物は果たして本当に進化してきたのかという疑問です。視点を変えれば人間は退化したようにも思えるからです。

 文明が進んであらゆるものが組織的に整理され、それを元に左脳によるイマジネーションが複雑化し論理的思考になっててきたのが現在の人類だと思います。しかし今回の番組の内容のように、これを超えるような超常現象となれば、実はそれは元々あった本能であって、それは人類に本来備わっていたものではないかということです。

 へんな話ですが、動物は人間のように結婚に失敗せず離婚なんかしませんよね。自分にフィットする相応しい異性を魂だけで自然にゲットします。ですから、人類誕生の当初は普通に意識しながら使っていたテレパシー的(あるいは魂)な能力が、退化していったのはないかということです。

 そう考えると、従来迷信といわれてきたもの(科学的根拠がないとされたもの)の中に、実は解明されていないだけで今後追求していけば説明がつくものも多くありそうだということですそんなことはありえないといった既存価値にとらわれていては進歩はないのです。