令和4年(行ケ)10097【アミノシラン】<本多>

引用文献に物質名が記載されていても、当業者が試行錯誤なく実施可能でないと、開示が認められない
⇒反応式が一般化できるだけでは不足

=令和4年(行ケ)10091<東海林>、令和4年(ワ)9716<柴田>【5-アミノレブリン酸リン酸塩】




1.特許請求の範囲(請求項1)
以下の式により示されるアミノシラン。
【化1】

2.判旨抜粋
(1)新規性
『…少なくとも化学分野の場合、化学物質の化学式や名称を、その製造方法その他の入手方法を見いだせているか否かには関係なく、形式的に表記すること自体可能である場合もあるから、刊行物に化学物質の発明としての技術的思想が開示されているというためには、一般に、当該化学物質の構成が開示されていることに止まらず、その製造方法その他の入手方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。また、刊行物に製造方法その他の入手方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。…
甲1には、実質的に「SiH3[N(C3H7)2]」との化学式に対応した化学物質の名称である「ジイソプロピルアミノシラン」が記載されているといえるものの、甲1によってもその製造方法その他の入手方法を理解し得る程度の記載は見当たらない。
…仮に反応式が一般化できたとしても、当業者にとって、その下位概念に含まれる化合物の合成方法が直ちに理解できるとか、又は技術常識であったとまでは認められない。…
 したがって、甲1に記載された発明の化学物質として「ジイソプロピルアミノシラン」を、特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」と認定することはできない。…
一見すると、甲1発明及び甲1’発明の有機アミノシランに包含されるような化合物であっても、上記前提を満たさないものについては、刊行物に記載された発明としての甲1発明及び甲1’発明の有機アミノシランには包含されないものと解される。』

(2)進歩性
『上記…検討したように、本件優先日前にジメチルアミノシランやジエチルアミノシランが製造できることは知られていても、ジイソプロピルアミノシランを製造・入手できることまでは知られていなかったといえ、通常の創作能力を有する当業者であっても、本件優先日前に本件発明1のジイソプロピルアミノシランを得ることが容易であったとはいえない。』

3.若干の考察
  本判決は、引用文献に物質名が記載されていても、当業者が試行錯誤なく実施可能でないとして、引用発明適格性を否定したものである。近時の東京地判令和4年(ワ)第9716号「5-アミノレブリン酸リン酸塩」事件<柴田裁判長>及び知財高判令和4年(行ケ)第10091号「5-アミノレブリン酸リン酸塩」事件<東海林裁判長>と同旨であり、実務上重要である。
本事案においては、引用文献中に物質名(本件発明のアミノシラン)が記載されていたが、本件優先日当時の当業者が試行錯誤なく入手・製造可能ではなかったとして、当該引用文献におけるアミノシランの開示が認められない、あるいは、引用発明適格が否定された。
 本判決のみならず、多数の裁判例においても、引用文献中に引用発明の開示が認められるためには、引用文献の開示から技術常識に基づいて、本件発明の構成等を当業者が試行錯誤なく実施(入手・製造)可能である必要があるとされている。これを本事案に即して言えば、少なくとも、本件発明の『アミノシラン』を当業者が試行錯誤なく入手・製造可能であった必要がある。
 しかしながら、本件優先日当時の技術水準では、本件発明の『アミノシラン』を入手・製造することが困難であったため、引用文献中に当該物質名が記載されていたにもかかわらず、新規性が認められ、本件優先日当時の当業者が同化合物を製造できなかったことから進歩性も認められたものである。本事案のように、公知文献中に本件発明の化合物が文字として記載されていても、優先日当時の技術水準において当業者が試行錯誤なく入手・製造可能でなかったという反論が有り得ることを常に念頭に置くべきであろう。(この点は、微生物の発明については、当業者が当該微生物を入手・培養可能であるとは限らないため、1977年に採択された「特許手続上の微生物の寄託の国際的承認に関するブダペスト条約」により寄託し、請求に応じて分譲する必要がある(特許法施行規則第27条の2及び3)ことと通ずる。)
すなわち、出願日(優先日)の技術水準では当業者が本件発明の化合物を試行錯誤なく入手・製造可能でなかったが、本件特許明細書の開示により(少なくとも公開公報公開後は、)当業者が本件発明の化合物を試行錯誤なく製造可能となったという関係にあるから、公知文献に本件発明の『アミノシラン』が文字として記載されていたにもかかわらず新規性が否定されず、且つ、実施可能要件及びサポート要件が問題とならなかったと整理できる。
このような状況は、均等論第3要件に通ずるものがある。すなわち、均等論第3要件は製造時の置換容易性であるところ、出願日にはイ号製品が容易推考でなかったが(そうでなければ均等論第4要件を満たさない)、製造時には容易推考となっていた場合に成立するものであり、出願時と製造時とで容易推考性が変化したことによるものである。
但し、本判決を含めた多数裁判例が採る一般論に従えば、公知文献中に化合物名が記載されていても出願日(優先日)の技術水準では当業者が本件発明の化合物を試行錯誤なく製造可能であったことを立証できない限り新規性・進歩性は直ちには否定されないところ、初めて特定の化合物を混合物に含まれる形で製造することに成功した者は、単離しなくても特許権が付与され、出願後に当該化合物を含む混合物を実施するものに対し権利行使できることとなる。(これは、本判決というより、上掲「5-アミノレブリン酸リン酸塩」事件判決において正面から問題となった。すなわち、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」事件においては、公知であった5-アミノレブリン酸を「リン酸塩」にしたという新規物質の発明であったところ、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」という化合物自体は公知文献に明記されていたことから、「リン酸塩」を初めて製造できたことに技術的意義が認められる発明において、製造方法の発明でなく、物の発明として特許権が与えられることがバランスを失しないか、発明者が現実に発明した製造方法以外でも当該化合物を含む混合物を製造等した被疑侵害者に対し権利行使できることでよいのかという点は、議論が有り得るところである。)
この点については、さらに、下掲・知財高判平成19年(行ケ)第10378号【結晶性アジスロマイシン2水和物】のように、事実として出願日に本件発明と同一の物が存在していたが、当業者が引用文献に本件発明と同一の物が記載されていると理解できなかったという場合に新規性・進歩性が認められたという事案、換言すれば、事実としては新規物質ではなく、発明者が当該物質に初めて気付いたという事案において、物の発明として特許権が与えられることがバランスを失しないか、従来技術(=当該物質に誰も気付いていなかったが事実として当該物質が含まれていた物)を引き続き製造販売している被疑侵害者に対し権利行使できることでよいのかという点は、パブリックドメインとの関係で議論が有り得る。



https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/666/092666_hanrei.pdf