午前中、私の絵本プロジェクトのパートナーの一人であり、大好きな友人である七海 雫さんが、サロンに、妻の講座を受けに来てくださいました。
講座が終わると、息子を交えて4人でお茶を飲みつつ雑談する訳ですが…
1時間半に渡って、先日見た映画の隅々まで丁寧に解説をし、感想を述べて帰って行きました。
その記憶力と表現力の激しさに、私たち相馬一家は、相槌を打ちつつ呆気に取られるばかり。
お陰様で一家は、映画のタイトルは失念したものの…映画を見て居ないのにも関わらず、雫さんが、どんな映画を見て、どう言う気持ちになったのかを、概ね把握する事が出来ました。
素晴らしい!
私の大好きなタイプの、素敵な友人です。
雫さんが帰り、息子を実家に送り届けた帰り道。
どうしても、創意工夫とは無関係の、オーソドックスな味噌ラーメンが食べたくなり、居てもたってもいられず…
川沿ソシアにある『味の時計台』で味噌ラーメンを注文しました。

最近は、創意工夫を凝らし過ぎて、味がゴチャゴチャして意味が分からなくなってしまった様な、変なラーメンばかり食べ続けて居たので、
ふと原点を振り返った時、こういう昔からある飾りっ気のないモノが、如何に素晴らしいモノであったか…
身に染みる美味さでした。
さて、15回目の天描オラクル
『origin of paradise (楽園の源流)豊穣・根源』

(健康な身体と謙虚な心こそが、未来を豊かにするのです。)
この天描絵の外郭を司る黄色い光の輪と、桃色・紫色の蓮の花弁は、経験や知識から成り立ち、愛に満ち溢れる美しいもの…つまり謙虚さを表します。
『謙虚』と漢字で表記して部首を分割すると…
『言葉が兼ね備えるものは虚しさだけである。』と捉える事が出来ます。
!??
『言霊』ブームで在り続ける昨今、これは一体どういう事でしょうか…
更には『虚』しさに、言葉を発する身体機関である『口』を添えると『嘘』になってしまいます。
確かに、どんな事象も、言葉に変換してしまった時点で、その事象が持つ真の性質を濁し、曖昧なものにしてしまうのかも知れません。
そう言った意味では、極端な言い方をすると、あらゆる言葉は或る意味『嘘』であると言う事になります。
何故なら、事象は言葉とは全く別の性質の物であり…
つまり、事象は意図的であろうとなかろうと『発生する』ものですが、言葉は『発する』もの=意図的に発生させなければ成立し得ないものです。
そう言った意味で『言葉というものは、物事の全容を正確に表す役割を成し得ない。』ものなのかも知れません。
身の周りに『この人は謙虚な人だ。』と思える人は居ますか?
もし思い当たるのであれば、それは素晴らしい事です。
そして、この時点で既に、あなたが言葉など用いなくとも、あなたが素晴らしい人であると言う事を、私は把握することができるのです。
誰かの謙虚さを讃えられる、そんなあなたこそ…何より謙虚で素晴らしい人なのです。
あなたの『謙虚さ』からは、言葉に変換しようのない『愛』が充ち溢れます。
ありがとうございます。
だからと言って勿論『言葉を発してはいけない』と言う事では、決してありません。
言葉に力を与えてしまって、行動が停滞してしまっては何も成し得ない、と言う事です。
つまり『確信と真実さえ在れば、言葉など要らない。』と言う事です。
しかし私たち人間っていうやつは因果なもので…
言葉がある限り、決してじっと黙ってなど居られる筈がないのです。
何とも悲しい宿命です。
そしてあなたが今日、言葉を用いるならば、謙虚な心で愛を込めて用いましょう。
こんなに素晴らしい事柄を、薄っぺらな言葉の羅列で綺麗にまとめてしまっては勿体無いので『謙虚』に関する考察は、この位にしておく事にします。
さて、身勝手な暴走により、大幅に脱線させて皆様の貴重な時間を浪費しておきながら、今更本題ですが…
今朝、自然とペンが進むままに描いた天描画から授かったメッセージは…
たしか(健康な身体と謙虚な心こそが、未来を豊かにするのです。)というものだったんじゃなかったかと思います。
つまりは、そういう事です。
あなたの…そして私の今日が、健康と謙虚さの中にある事をお祈りします。
相馬 英樹