さて昨日~今日と
私が、恐れ多くも携わらせて頂いて居る
北海道スピリチュアルシーンを代表する方々に
時間を割いて頂き
とてもワクワクする
お仕事のお話を聞かせてもらいました。
数あるテーマの中で
どちらの会話の中にも出て来て
再確認させて頂いた話題として
感銘を受けたのが
罪は罪にして罪に在らず
失敗は失敗にして失敗に在らず
という物でした。
『失敗』という言葉があります。
私も振り返れば
『あれは失敗だったかもしれないな。』
と思うことの一つや二つ
今すぐに例を挙げれと言われれば
なかなか
何とも言えない節がありますが…
私の事は置いといて
例えば、あなたは
どのような時に『失敗』を感じるでしょうか
旨い物を作ろうと、お料理をして、
結果的に不味いものが出来てしまった時…
良かれと思ってした事が
思うようにままならず
結果的に良くない結論に至ってしまったり
誤解を招いてしまった時…
この様に失敗というのは
自分自身が、物事を行った結果
行き着く末にある事なのではないでしょうか…
つまり『失敗』というのは
多くの場合、結果的に
自分の責任に於いて
『なってしまった事』
という事になるのでは無いでしょうか…
しかし、人の生涯で
自分の行為や言動によって起こりゆる
あらゆる『なってしまった事』を
皆様方が『失敗』だと認識しているかというと
そうでもない様です。
あなたは、あなたが存在する先で
あなた以外の人物の不備によって
不味いものを食わされる羽目に陥ってしまったり
あなたが出掛けていった先で
あなた以外の誰かが良かれと思ってした事に
あなた自身を説得するだけの効果がなかった為に
あなた自身の中から誤解が発生してしまった場合
『罪は罪にして罪に在らず』
『失敗は失敗にして失敗に在らず』
と、自分の不備を省みて罪意識に苛まれるだろうか。
…という事です。
もし、そうであれば、素晴らしい事です。
私は、自分自身の評判を投げうってでも
あなたの謙虚と正義を守る為に
あらゆる知恵を振り絞る事でしょう。
つまりは私の知る限り『失敗』というのは
『加害者意識』の上に成り立つものであって
それが一転して
『被害者意識』へと転じた場合
その罪意識の矛先は、同時に
自分以外の誰かに向けられるという事なのです。
果たして、あなた以外の誰かの不備を
あなたが追求し、裁決する事で
不味い食い物が一瞬にして旨い物に
変異するものでしょうか…
そんな時に現時点での私の頭脳で考えうる
最も平和的な手段は
まずは憤りを鎮め
心の動揺を治め尽くすまで
何も言わず、じっと待つべきである。
丁度良い頃合いを神と相談し
『あの…この味は…』
と切り出すのが
人間として最も美しい形ではないか
とさえ思うのである。
例えあなたが
あなた以外の誰かの不備から
自分の中に生じた『被害者意識』を
感情に任せて振り翳したところで
幾分か、満足や充足感を覚え
正義の伝道者の役割を果たし得たと、言えるのでしょうか…
ならば好きな様にするのが良いでしょう。
私が決めることではありません。
更に、私が今最も心を痛めて居るのは
こうして自分自身が書いている文章の不甲斐なさと…
書いている最中に集中力を失ってしまい
もう別にどうでも良い状況になってしまって居る
という
だらしなさについてであると言えるでしょう。
これはまたしても
だらしの無い失敗を
繰り広げてしまったということに対する
『加害者意識』や『罪意識』に
苛まれてしまったという
フィクションを以って…
この文章の幕を閉じさせて頂く事にする次第でございますm( . . )m
良い午後を。