私の視線の先には…
スマホの画面が、あります。
そして
その向こう側にPCがあり
その奥には壁があり
壁を突き破ると
お外へ行く事ができます。
だから そういうことじゃなく
目標として
私やあなたの
視線の先にあるものの事です。
そしてあなたの
視線の先にあるものの前で
視界を遮っているもの…
個人心理学を説いた
アドラーは
人間が個人的に持ち得た
存在意義と言うのは
飽くまでも
個人的な不完全さや
マイナス面を
完成や
プラス面に至らしめるべく
個人的に目標を定め
個人的に最もシックリ来る
スピードや概念で
経験や学習を
積み重ねることにある。
~と言って居ます。
しかし、社会や周囲は、
その個人的な方法での生き方に
当然の如く口を挟んで来ます。
『社会の中の一員なのだから、社会的に生きなさい。』
と。
しっかりと、
自我というものがあるのだから
口を挟まれたからと言って
気にしなきゃ良いのですが
社会の一員なだけに
気になっちゃうんでしょうね。
例えば、うちの息子なんかは
執着すると言う事に
これっぽっちも執着がなく
個人的に
一つの事に集中するなんて
もってのほか。
ゆっくりテレビを観ながら
気が散った状態で
ご飯を食べる時にこそ
最も肌がツヤツヤと
輝いて居ます。
子供に限らず
人間というのは
そんな風に
周囲から見て
気になる時にこそ
案外、自分の中では
最も大切な何かを育ててるかも
知れないのです。
なのに
世間一般的な親は
食事が遅い子供に、言います。
『早く食べなさい。』
個人的に、
早く食器を片付けたいと言う
欲求と
自分自身が両親から
干渉され続けて来た経験から
当たり前のように悪気なく、
干渉してしまうのです。
大切な息子が
彼なりの方法で
育てようとして居る
大切な何かの前を
遮っている事にさえ気付かずに。
この様に
視線の先を遮るもの
人間が持ち得る悩みの全ては
人間関係や
社会環境に於いてしか
生じ得ないと言う事です。
だから
人間関係を全て
断ち切り
山奥で暮らしなさい。
という事ではありません。
アドラーも、集団意識の中での個人であると言っています。
ただ
何でもかんでも誰かの言う事を
自分の成長を阻止されてまで
素直にハイハイと
聞き入れる必要は無いんだよ、
と私は言いたいのです。
あなたが進みたくとも
進めない道があるとしたら
飽くまでも
それは壁の前に立ちはだかった
誰かのせいではなく
あなた自身が
選択肢を誤っただけの事。
自分より相手
自分の夢より社会の倫理を
大切にしただけの事です。
私は誰の言いなりにも
誰の思い通りにも
なるつもりは、ありません。
あなたの人生は…
わたしの人生では、
ありません。
今日も皆様方が、
他の人の主観や意見や忠告や態度に捉われ
足を引っ張られる事なく
あなた自身が本当にやりたい事
本当に心から行きたい場所に向かって歩き出せる事を
心からお祈りします。
2013年 3月6日 相馬 英樹
美味い!