(※この日記は10年前から7年前頃までの日記を基にした回想録です。)
~前回からの続きです。
一般病棟…とは言っても保護隔離病室じゃないだけ。
で、男子閉鎖病棟。
朝、『相馬君、相馬君』と
カッちゃんが起こしに来る。
『何、何?』
『煙草、吸いに行こう。』
『煙草?無いよ。』
『俺のあげるから。』
早起きして、朝の看護士巡回が始まる前に、
3階洗い場にある鉄格子付きの扉を開け、
刺青のK山さんが隠し持っているライターでこっそり火を点け一服の時間。
至福のひととき。
8時15分から朝食なのだが…
此処は精神病院。
7時半頃になるとホールの東側には長蛇の列。
ホール前方のステージの様に一段高くなった所から、
並んだ者順にセルフサービスで配膳されるのだ。
早くから並んでる人は、いつも決まって居て、
その人達は多分、この病院で一生を終えるであろうと思われるタイプ。
何処がそう思える要素かは自分でも解らないが…
『何だか動物園みたいだな』、と思った。
カッちゃんは早く並ぶタイプの男で、
普段はニコニコと明るい表情をしているが…
そこに並んでいる時の眼は、一触即発。
ちょっと慌てたおじさんが割り込もうものなら…
物凄い形相で殴りかかって行く。
僕やK山さんは席に座ってテレビを観たり新聞を読んだり、
たまにK山さんは並んでる人達を見て、
やれやれ…という表情で苦笑いしていた。
割り込んだおじさんを突き飛ばしているカッちゃんを見て、
『ありゃ死ぬまで病院だな。』と言っていた。
そんな或る日、K山さんは男女混合の開放病棟へ行く事になってしまった。
朝の一服のライターは、
T嶋さんという礼文島出身の元警察官の人に引き継がれた。
K山さんは此処では僕にとって一番頼りに成る存在だった。
心細かったが、仕方が無い。
今度は、K山さんの舎弟みたいな感じの、
僕より10歳位歳上のI森さんという人が仲良くしてくれた。
閉鎖病棟だったが、僕やI森さんは午前中に外出許可を取れば
午後には財布と煙草を持って外出する事が出来た。
入院患者の入浴日は決まって居て、
週に二回。
ただ、食事の列と同じで数時間前から行列が出来る。
やはり行列の人達は、
この病院で一生を終えるであろうと思われるタイプ。
つまり、そういう意味でヤバそうな感じの人達ばかり。
先に入った人が浴槽で下痢糞を漏らしたり、
石鹸を喰って浴槽に吐き戻したり。
そんな事が日常茶飯事なので、
僕が入る頃には風呂の水は必要以上に濁って居り、
また濁って居なくても清潔な印象が持てない。
実質的に浴槽のお湯に浸かる事は出来ず、
身体だけ洗って出て来るしかないのだ。
そこで仲良しのI森さんと僕は、
夕方に病院から外出をして銭湯に浸かり、
脱衣場で缶ビールを2~3本飲んで帰って来るのが日課だった。
当然、
坑精神薬や坑鬱剤、安定剤や眠剤を多量摂取している僕達が、
外出時にアルコールを摂取して良い筈は無く、
院長にバレたら隔離病室に入れられるのは必至だった。
でも普通に、看護士は気付いてて、
『問診がある時は一本にしときなよ。』
なんてウインクしながら言ってくれた。
~つづく