(※この日記は10年前から7年前頃までの日記を基にした回想録です。)
~以下、前回からのつづき
全ての薬剤を断って通院もしなくなった。
たまに気が向いたとき、豊平で開業している、
最も好きな精神科医のO先生に近況報告をしに行く以外は、
精神科で出逢った友達の家で過ごしたり、
図書館や街角で道行く人々を眺めていた。
ホームレス生活の延長かな。
ホームレス生活をしてから、摂食障害も快方に向かって居た。
時には友人らが、パチンコや競馬で稼いだ金銭で畜肉をご馳走になったり、
日に一度は、
JTのぷりぷりエビしゅうまいの2個入り冷凍パックを購入して食べる様になった。
友人Tが、いつも近所の100円ショップで
刺身や天麩羅を購入して来る様になってからは
一度も嘔吐せずに、一日を過ごせる事も有るほどになった。
Tは、たまに5~10人程度の友人を集めてパーティーを開いてくれた。
Tの家に飽きたり、Tが用事で出掛ける時などは、
その時知り合った 何人かの友人の家にも世話になった。
中には、家族ぐるみで世話をしてくれた友人や、
経済的支援をしてくれた友人も居た。
皆が、僕の命を守ろうと連携を取ってくれた。
ただ、彼らとの生活は
僕にとって
どのポイントから見たとしても、
穏やかな未来とは、間逆に向かっている事だけは明らかだった。
彼らは、破滅的な未来に怯え、うろたえ、もがき苦しむ中でさえ、
瞳を輝かせ…
いつか自分が救われる日までは、
誰かに優しくしようと、
誰かを守ろうと、
心を込めて、人を愛し…
『自分達はどういう形で社会貢献度出来るのか』
という事だけを考えて居た。
そんな彼らの純粋な愛に僕は守られて居たんだ。
だから僕は、じっとしてなんか居られなかった。
社会復帰を果たそうと日々、苦悩しているAという友人と連絡を取り、
『今すぐに仕事が無いのなら、二人でモチベーション上げて、手当たり次第に探そうぜ!』
僕達は、
二人で朝から晩まで街を徘徊し、
飲食店・あらゆる職種の事務所・あらゆる法人を端から端まで何の概念も持たず、
履歴書すら持たずに訪れ、
日々、粉砕した。
しかし、やはり継続は力なり。
ある日、二人が訪れた芸能事務所で…
なんと、揃ってモデルとして採用される事になったのだ。
ただ、僕が思うに、
この僕と、あのAがモデルになるわけが無い。
仕事内容は
家電店で携帯電話売り。
なんだそういう事か…
携帯電話売りとは言っても、
直接的に携帯電話を売るのは各・携帯ショップの女の子で、
僕らは通り掛った人が、
フラ~っと携帯電話コーナーに入る事をコーナーの入り口で祈る役割だ。
ほとんどただ立ってるだけ。
とにもかくにも社会人。
しかし、喜びは束の間。
Aが売り場の女の子にやたらとアピールし過ぎて苦情が入り、
一週間もしない間にクビになった。
…4日間位かなぁ。
この仕事はクルマがないと、規定の時間までに現地に行けないので、
車を持ってなかった僕も自宅待機という名目で、
罪もない相馬英樹は、短い社会参加を終えた。
不発に終わった自立心発動期ではあったけれど、
これが切っ掛けで、
『やれば、ちゃんと出来るじゃん!』
そんな自信が付きました。
~つづく
風邪をひいた様なので、来週のイベント準備と、宴会場所、探して過ごします☆
どなたか札幌大通り近辺のカラオケBOXで、ファーストフードや揚げモノ意外の、例えば鍋とか刺身とか言った感じのメニューが充実してる店、知りませんか?
そんな訳でごきげんよう。