強度の鬱病に陥って数年。
今はあの頃から丁度、
10年位経ったと思う。
当時の僕には、
社会復帰が見込まれず、
そんな僕の命さえ繋ごうと、
国から障害者手帳が交付された。
2ヶ月ごとに障害者年金が振り込まれ、
それを生活費に充てていた。
障害者年金が振り込まれたある日、
家から一時間歩いて、ステーキヴィクトリアへ行き、
一人で食事をしていた。
サラダバーを盛り付けに行くと、
たまたま食事に来てた、
沼(以後N)と藤沢さん(以後F)の二人が、
僕を見付けて、嬉しそうに話し掛けてくれた。
『英ちゃん、久し振り~!良かったら俺達の席に来てよ?』
人からこんな風に誘って貰えるのも、悪くないと思い、
彼らの席に移動して、
病院の近況や、Nが信仰してる福音と聖書について語り合った。
その時の会話が切っ掛けで、
一度、南区にある教会へ日曜礼拝に行ってみる事になった。
初めての礼拝はカルチャーショックだった。
フォークソングや、ロック調の賛美歌が盛り沢山の、
とても楽しい礼拝だった。
教会の人達は、僕の異装とか、オネエ系の言葉づかいとか面白がってくれて、
その日礼拝に来た、殆どの人と打ち解け
連絡先を交換し合ったりした。
日曜礼拝が余りに楽しかったので、
僕は教会の演奏チームに入ろうと思い
数ヶ月の間、バンドのメンバーと共に教会のホールでギターやオルガンを鳴らしていた。
しかし、異装を纏い、洗礼を受けずに居る僕は、
全ての礼拝者から快く思われて居る訳ではなかった。
ある時、牧師から『バンドの参加は遠慮して欲しい』と言われ、
参加は断念せざるを得なかった。
それから暫くの間、
僕の足は教会から遠のき、
新しい『死』の行く先を模索していた。
同棲を始めたRと二人で、
酒ばかり飲んで日々を過ごした。
Rは、当時住んでいたアパートの二件隣にある、
聖バプテスト教会に行きたがったが、
以前一度行った時、帰り際に牧師から
異様な空気を放つ彼女の様態が原因か、
『彼女を連れてくるのはまずい。今回限りにして欲しい。』
と言われた。
それで、何らかの理由をこじつけて、教会へは行かずに居た。
それでも僕が通りかかると神父は笑顔で話し掛けてくれた。
Rが、ベゲタミンでODを謀って3日間ほど眠り続けた。
僕は、かつての恋人をインフルエンザで亡くし、
Rと同棲する前に同棲していた女性も自殺で失っている。
もう、これ以上無理。
自分自身の為にも、Rを死なせるわけには行かない。
そう思った僕は自ら死をもって彼女の意識を死から遠ざけようと誓い、
まず、持ち金を全て焼き捨て、
Rの溜め込んだ薬剤を全~部飲み尽くし、
意識が遠のいて行くのを待って居ると、
当然、意識を失った。
暫くは死の淵を彷徨ったみたいだ。
8日間ほど経って意識を取り戻した時、
僕は数人の警官とN&Fカップル、
そして何人かの友人達に囲まれて自室で横たわっていた。
連絡の取れなくなった僕に不安を抱き、
NやF達が連絡を取り合って駈け付けてくれた。
警察に届けて管理人に連絡を取り、開錠してもらったと言う。
体重42キロまで肉を失い、
あらゆる嘔吐物・排泄物を垂れ流し
腐れ果てた屍骸のような僕の姿を見て恐怖を抱き、警察に通報したのだろう。
Rは薬剤大量摂取のあと動かなくなった僕に驚き、
恐ろしくなって家族を呼び、
壊れ果てた僕を放って実家へ逃げ帰っていた。
Rの衣類や持ち物は、
Rの家族によって運び出された様だった。
救急車で、創成川沿いにある老人病院のアルツハイマー病棟に強制入院させられ、
病院から薬剤の投薬を止められた。
~つづく