看護師・国家試験に合格したフェルナンデスさんインタビュー その1
先日、EPA(経済連携協定)により来日した外国人看護士候補生のなかから、3名の合格者が出たことは、このブログでも書きました。
何度も言いますが、日本語能力ゼロの状態から、2年足らずで国家試験に合格したわけですから、3人の出した結果はまさに奇跡的です。
彼らに関するニュースは、いくつかのメディアで流れていましたが、彼らのパーソナリティーまで伝えているものは少なかったように思います。
なぜ来日し、2年間どんな思いで勉強を続け、今後日本でどのように生活していきたいのか――。
私は、彼らについてのこんなことが知りたくって、今回、国家試験に合格した3人のうちのひとり、ヤレド・フェブリアン・フェルナンデスさん(26歳/新潟県三条市 三之町病院勤務)に電話インタビューさせていただきました。
私が初めてフェルナンデスさんと会ったのは、暮れも押し迫った昨年12月末。
都内で3日間にわたって開かれた「看護師国家試験対策合宿」(ガルーダサポーターズ主催)でのことでした。
(昨年末の合宿で挨拶するフェルナンデスさん)
日本語がグンを抜いて上手なうえ、イケメンなフェルナンデスさんを、私が忘れるはずはありません。
合格のニュースを聞いてすぐ彼に連絡をとり、電話インタビューに応じていただけることになったのです。
その全容を3回に分けてアップします!(かなり長いので~)
難しい状況下でもベストを尽くした彼の姿からは、私たち日本人も学ぶべきことがたくさんあると思います。
また、改めてEPAの制度を考え直すキッカケとしてくだされば嬉しいです。
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■「肩の荷がおりました」
国家試験に合格した今の心境は? という問いに対して、フェルナンデスさんは心から安堵したような声で、そう答えてくれた。
“肩の荷がおりた”なんて言葉が口をついて出てくる時点で、彼の高い日本語能力がうかがえる。
フェルナンデスさんは、現在26歳。出身はインドネシアのジャカルタだ。
地元の看護学校を卒業後、心臓専門の病院で4年間勤めたのち、2008年8月にEPAにより来日した。
■「人に何かをしてあげることが好きだった」
そもそも、彼が看護師の道を選んだのはなぜなのだろうか?
そんな素朴な疑問に対して彼は、「人に何かをしてあげることが好きだったから」と答えた。
幼いころから、妹や弟に自転車の乗り方を教えたり、勉強を教えたりすることが大好きだった彼は、「看護師になれば、病気や手当の知識を一般の人たちに教えてあげられるし、喜んでもらえる」という気持ちから、看護師の道を目指し始めたのだと言う。
とはいうものの、「高校生くらいまでは、“秋の空”のようにコロコロと、将来の夢が変わっていたんですよ」と言って笑う。
学校の先生になりたいと思ったこともあったし、軍隊に入ろうと思ったこともあった。
彼が進路に迷っていたとき、「あなたも看護師になったら? どこでだって働くことができるから」と勧めてくれたのが、現在も看護師学校で教師を勤めている彼の母親だったと言う。
■「いつかは、日本かアメリカで働きたい」
母親のすすめで看護師の道を歩み始めた彼は、「いつかは日本かアメリカで働きたい」という新たな夢を持つようになった。
なぜなら、日本やアメリカなら「最先端の医療を学べる」し、「看護師という仕事が尊敬されている」国でもあるからだ。
「インドネシアでの“看護師”のイメージは、低くはないけど高くもないんです。だから給料もそれほど良くないし、看護師が余っているから仕事を探すのも大変。でも、日本やアメリカは、看護師に対するイメージがとてもいい。たとえば、銀行マンより看護師のほうが尊敬されているし、給料も高いでしょう? それに特に日本は、看護師を必要としている」
とフェルナンデスさんは言う。
銀行マンと比べてどうか……、はともかくとして、たしかに日本で看護師と言えば、“白衣の天使”と呼ばれて一目置かれているし、激務ではあるが給料も悪くはない。
だから彼は、「日本かアメリカで働きたかった」のだ。
■ 「絶対に、帰りたくない」
彼のそんな夢は、EPAにより来日できたことで、半分は叶えられた。
しかし、3年以内に看護師の国家試験にパスしなければ、ふたたびインドネシアに戻らなければならない。
そうなれば、せっかく掴みかけた夢を手放してしまうことになる。
とはいえ、日本語能力ゼロの状態で来日し、看護助手の仕事をしながら3年以内に国家試験合格を目指すことは、「針の穴に糸を通すほど狭き門」だったと、フェルナンデスさんは言う。
あまりの難関ゆえに、早々に合格をあきらめてしまう候補生も出始めているなか、彼はどうやって“国家試験合格”に向けてのモチベーションを保ち続けたのだろうか――。
「勉強がイヤになることは何度もありましたよ。(笑)でも、絶対に帰りたくなかったんだ。一日も早く国家試験に合格して、看護師として日本で働き続けたかったから……」
“看護師”という職業が尊敬され、必要とされているこの日本で、彼は自分の力を発揮したかったと言う。そしてもちろん、その働きに見合う給料を得て、より良い暮らしを手に入れたかったのだろう。
彼のそんな向上心が、国家試験合格に向かわせるモチベーションとなった。
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