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ちょっとだけ“秀でた世界”

マニアックでちょっぴりディープな世界をジョジョに奇妙なお届け♪

「秀と母」 第四章 

第93話 二人の時間

 

 母は目を閉じて普通に眠っているように見える。でも、昏睡状態という現実。もう意識が戻らないと思うと切なかった。母の手をそっと握る。

 

 昨日からずっと気になっていたのは、母から「検査結果を聞いたら教えてね」と言われていたこと。母に希望を失ってほしくなくて、正直に言えなかった。ファミレスで父と兄たちと話し合い、準備をしていた言葉「結果はまだ聞いていないよ」を使うことなく、母と話すことができなくなってしまった。

――それなら、ちゃんと正直に伝えておけばよかったか・・・。

 しかし、母のことを想うと言えなかった。「言わなくて良かった」、と自分に言い聞かせた。

 

 せめて、もう一度だけ意識が戻って話がしたい。でも、ドラマのようにはいかない。どうにもならない。そうなると、今はただ母のそばにいたい。それだけだった。父や兄たちは静岡の親戚をはじめ各方面へ連絡を取り、部屋を出たり入ったりしていた。

 

 母と二人だけの時間。手を握っても反応はない。それでも母の手の温もりを感じて子供の頃を思い出す。

――昔はよく手をつないで散歩したっけなぁ。

「お母さん、谷中へ一緒によく行ったよね。また行こうよ」

 母に声をかける。返事はなく、目を閉じたまま静かに呼吸をしている。おでこに汗が滲む。病室内は暖房で暑い。ハンドタオルでそっと母のおでこを拭く。子供の頃に熱を出して、母におでこや体を拭いてもらったことを思い出す。

 

 もし母がパジャマの下も汗をかき、臭っていたら可哀想だと思い、母の体に鼻先を寄せてみる。幼い頃、一緒に寝た時に記憶している優しく甘い香りがした。ホッとした。

 母のおでこをそっと撫でる。

「お母さん、今までありがとうね」

 

 母のおでこにキスをした。みんなが戻ってくる前に。

 

 

 

 

 

 

「秀と母」 第四章 

第92話 信じたくない言葉と信じたい言葉

 

 2011年2月4日

 長い一日となる「その日」が始まった。

 

 長兄の車に乗り、朝一番で病院へ向かった。車内はみんな口数が少ない。昨日の状態からして、母の体のことがとても心配だった。とにかく母の顔を見ないと落ち着かない。みんな同じ気持ちだった。

 

 母の病室へ入ろうとした時、主治医のI先生に呼び止められた。

「ちょっとお話をいいですか?皆さんご一緒に」

 いつも以上に神妙な顔つきのI先生。移動する前に病室内を見ると、母は目を閉じて眠っているようだった。遠目からでも母を見られたので少し安心した。

――ゆっくり眠れているならそれで良い。それにしても、また別室に呼ばれるのか・・・。

 

 家族みんなが呼ばれるということが、良い話ではないのは分かっている。先生の後をついて歩きながら、「今度は一体、何を言われるのだろう?」と不安になる。精神的にダメージを受けるようなきつい話をされるのはとても辛い。いつもは父と二人で受け止めきれないことを言われるが、今日は兄たちも一緒で心強い。しかし、それでも呼び出されるのは嫌なもので、どんどん不安になる。

 

 個室へ入ると、「何を言われるのか?」と怖くなる。

――少しでも良い話が聞きたい。

「今、浅賀さんは昏睡状態になっています。何を話しかけても聞こえない状態です」

――昏睡状態?

 ショックだった。眠っているだけだと思っていた。昨日まで辛うじてだが話も出来たのに。

――もう目を開けないということ?もう話ができない・・・?

 I先生の言葉がさらに追い打ちをかける。

「肺炎を起こしているので、今日一日、持つかどうかといったところです」

 一番聞きたくない言葉だった。

 

 続けて胸のレントゲンで肺炎の説明をされたが、ショックで頭に入って来ない。いつどうなるか分からない病と言われ、それでも、もっと先の話だと思っていた。

――「その日」が来てしまった?もう助からない?もうダメなのか・・・。

 

 今の母の状態が気になる。

「母は苦しんでいるのですか?」

「酸素マスクと薬を使って、苦しくはない状態です」

 苦しんでいないというのが、せめてもの救いだった。

――今日中、持つかどうか・・・。もうどうにもならないのか・・・。

 あとはこのまま眠るように最期を迎えるとういうことなのか。宣告を受けて以来、覚悟をしてきたつもりだったが、今日が「その日」と言われると、何か受け入れがたい気持ちになる一方、もう仕方ないという思いも有り、複雑だった。

 

 残念なのは、I先生の伝え方だった。本来なら、「今は昏睡状態になって聞こえないかもしれませんが、声をかけてあげてください」と、言うべきであり、「何を話しかけても聞こえない状態です」という希望のない言葉を、僕ら家族に言うべきではない。

 言われた方はとてもショックを受けた。そんな希望のないことを言う必要はないのだから。I先生はまだ若い先生であり、経験が足りていないのかもしれない。医学的な知識はあれど、人に対しての接し方には疑問を感じた。

 

 もしかしたら自分が思う言葉で伝えられなかっただけなのかもしれない。しかし、相手を思いやり、発言するのであれば、言葉の使い方を間違えてはいけない時がある。それは人の命がかかっている時であり、親が、身内が最後を迎えようとしている時には、医師ならば細心の注意を払ってほしい。

 今回の場合に限った話ではなく、医師はすべての人たちに対して、思いやりを持って接してほしいと願う。

 

 病室へ戻ると、目を閉じて横たわる母の姿。呼吸をするたびに酸素マスクが息で白くなる。先生の信じたくない言葉は「何を話しかけても聞こえない」、信じたい言葉は「苦しくはない状態」

 

 信じたい。母の呼吸が少しでも楽でありますように。