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ちょっとだけ“秀でた世界”

マニアックでちょっぴりディープな世界をジョジョに奇妙なお届け♪

「秀と母」 第四章 

第96話 静岡のみんなが来てくれる

 

 静岡は大井川町(現・焼津市)から親戚のみんなが来てくれる。静岡のおばちゃん、お兄ちゃんお姉ちゃん兄妹、島田のおばちゃん、お姉ちゃん姉妹、叔母(母の妹)が、母に会いに来てくれる。

 

 母が育った静岡の温かさ、親戚や周りに住む人たちの優しさに触れて癒されてきた。その静岡のみんなが来てくれる。

 東京に住む、従姉のあっちゃん(叔母の娘)と、静岡のお姉ちゃん(僕にとって従姉)の息子も駆けつけてくれた。

 

 静岡のみんなは、僕の従兄に当たる「静岡のお兄ちゃん」が運転する車で東京へ向かっていた。静岡のお兄ちゃんは母の亡くなった兄の息子(母の甥)で、現在は母の実家の家主。母を愛するひとり。僕ら三兄弟にとって頼れる優しきお兄ちゃんだ。

 

 危篤の知らせは長兄がしてくれた。でも、まさか今日が最後の日になるとは、静岡のみんなが思ってもみなかったこと。僕ら家族でさえ、今日、その現実を知ったのだから。

――お母さんのことを大好きな静岡のみんなが来てくれる。お母さんもきっと喜ぶ!

 静岡のみんなが来てくれるのは心から嬉しくありがたい。

――早く来て、お母さんに会ってほしい。

 しかし、道路が混んでいるのか、なかなか到着しない。

 

 刻一刻と、「その時」は近づいていた。

 

 

 

 

 

 

「秀と母」 第四章 

第95話 母の想い

 

 午後になり、主治医のI先生が来て廊下へ呼ばれる。

「あと数時間、持つかどうかです」

 

 「その時」が現実として近づいてきた。母は変わらず眠るように横たわり、酸素マスクで呼吸を続ける。母を囲むように座る僕と父、長兄、次兄の四人で、ただ静かに見守る。

 

 一時間ほど経つと、I先生が来てまた廊下へ呼ばれる。

「時間の問題です」

――もうそれ以上は言わないでほしい。

 

 I先生から報告を受けるたびに精神的にダメージを受ける。「その時」は確実に近づいているのをみんなが肌で感じている。分かっているのだから。もうそれ以上は何も言わないでほしい。

 

 医師として患者の容体を報告したいのは分かるが、僕ら家族にしてみれば、もうここまで来たら、ひとりの人として、思いやりの言葉でもかけてほしかった。

「みなさんで声をかけてあげてください」と、それだけでいいのだ。人の命にかかわる仕事に携わるからには、人の心に寄り添ってほしい。

 

 刻一刻と時間が過ぎていく。精神的に逃げ場のない状況が辛い。母の最期が近づいている。これほど切ないことはない。ただ見守ることしかできない。

 僕らは母に声をかける。たとえ、医学的に「今は何を言っても聞こえない状態です」と言われても、僕らは声をかけ続ける。

「お母さん、また谷中へ行こうよ」

「お母さん、また静岡へ行こうよ」

「お母さん、みんなで温泉へ行こうよ」

「お母さん、美味しいものを食べに行こうよ」

「お母さん、頑張って!」

 すると、母の左目から涙がうっすら溢れて来た。

 

 I先生は「何も聞こえない状態」だと言ったが、僕らの声は母にちゃんと届いていた。目も口も指先さえも反応しない母が、僕らの呼びかけに涙で答えてくれたのだ。流れるほどの涙ではないが、うっすらと、でもしっかりと見て取れた母の涙。

 

 「ありがとうね」という母の想いが伝わって来た。

 

 

 

 

 

「秀と母」 第四章 

第94話 別世界の孤独

 

 主治医のI先生から廊下に呼ばれた。

「非常に厳しい状態です。いつ急変するか。あと何時間持つか、というところです」

 I先生が言う言葉はいつも聞きたくないことばかり。しかし、本当にいつ急変するか分からない状態になってきた。

 

 もしトイレへ行っている時に急変したらどうしよう?母の最期を看取れなかったらどうしよう?とにかく母のそばを離れたくなかった。

 

 お昼の時間になり、先に父と長兄が外へ食べに行った。帰ってくると、交代で僕と次兄が外へ食べに出た。お昼へ行くのも気が気じゃなかった。もし今、急変したら?急いで戻っても、最後の時に間に合わなかったらどうしよう?

――こんな時に食欲もないが・・・。お母さんに心配かけないように、ちゃんと食べよう。

 

 母のことを考えると落ち着かず、気持ちがふわふわして上手く歩けない。急変したらすぐ携帯で知らせてくれることになっていても、どうにも落ち着かない。

 母のそばから離れると、とても寂しくなった。病院を出て歩いてすぐの喫茶店も遠くに感じた。母のことが気になって仕方ない。とにかく「早く食べて病院へ戻ろう」と次兄と話をした。

 

 お昼を食べに行った小さな喫茶店は、通院の時に母と最期に外食した場所だ。あの時はまだ歩けたし、食事もできた。なのに、今はもう残された時間はあとわずか。

――信じられない・・・。

 現実を受け止めきれない。寂しい胸の内を次兄に話した。

 

 注文を待っている間も母のことばかり考えていた。店内には中高年のサラリーマンが一人。スポーツ新聞を読んでいたが、その記事も目に入らない。後から二人の若いサラリーマンが入って来て、店内のテレビを見て楽しそうに盛り上がっているが、テレビも目に入らない。

 

 ふと店の外に目をやると、 お昼のお店を探す人、道を急ぐ人、のんびり歩くお年寄り、歩きながら携帯をする人たちが通り過ぎる。

――今こうしている間にも、お母さんが厳しい状況になっている・・・。

 

 母のことを考えながら外を眺めていると、店先を若い女性会社員が同僚と大笑いして歩いて行った。なんだか自分だけが別世界にいるような孤独を感じた。

 

 僕らの寂しさを知る人は、そこにいなかった。