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ちょっとだけ“秀でた世界”

マニアックでちょっぴりディープな世界をジョジョに奇妙なお届け♪

「秀と母」 第四章 

第99話 家へ帰ろう

 

 病院から家まで、霊柩寝台車で送ってもらう手配をした。その間に母の荷物を病室まで取りに戻る。

 

 母が使っていた歯ブラシ、コップ、メモ帳、猫のみいちゃんの写真、スリッパ、パジャマの上に羽織っていた毛糸の上着。バッグに一つ一つ入れるたびに泣いた。

――さっきまで生きていたのに・・・。

 言葉にならない悲しさ。

 母の荷物をまとめて、寂しい思いで霊安室へ戻る。

 

 アルバイト先の上司Kさんに、母が亡くなったこと、一週間ほど休むことを電話で伝えた。Kさんはとても良い人で、母が余命宣告された時からよく話を聞いてもらっていた。電話を切った後にすぐメールが来て「通夜、葬儀の日程が決まったら教えてください。お疲れだと思います。会社のことは気にせずゆっくり休んでください」と気を使っていただき心から感謝した。

 

 病院の裏口玄関に近い待合室へ移る。移動する時に、母の顔に白い布を被せるのが辛かった。

――まさかこんな日が来るなんて・・・。

 これほど悲しいことはない。

 

 みんなが少し落ち着いた頃、島田のおばちゃんはじめ静岡のみんなと母の話をした。最後の最後まで頑張ったことを伝えると、みんなが泣いて僕も泣いた。すぐ隣には白い布を被った母がいる。動かない母を見てまた泣いた。

 

 裏口玄関に霊柩寝台車が到着すると、主治医のI先生が死亡診断書を持って来てくれた。

「お力になれなくて残念です・・・」

 ショックを隠せない顔をしていた。I先生はまだ若く、それほど現場経験があるわけではないのだと察した。聞きたくなかった直接的な言い方も、経験がない上でのことで、悪気はなかったのだろう。I先生が下を向いた顔を見て、母のことを悲しんでくれているのが分かった。I先生もひとりの「人」だったのだと。

 約三か月間、母のために尽力してもらえた。感謝の気持ちが込み上げてくる。

「お世話になりました。ありがとうございました」

 

 挨拶をして霊柩寝台車に乗る。I先生と看護師さんは深々と頭を下げて見送ってくれた。

――長かった入院生活もようやく終わったね、お母さん。さあ、家へ帰ろう。

 

 

 

 

 

「秀と母」 第四章 

第98話 一番頑張ったのはお母さん

 

 看護師さんが母の化粧をしてくれている間、廊下で待つ。涙が止まらない。声を出して泣いてしまう。

 

 しばらくすると看護師さんに呼ばれて霊安室へ入る。明るい電灯の室内中央にベッドが置かれ、母が横たわっていた。化粧をしてもらえて血色の良い顔の母。

 今まで頑張って食べてきた分、肌のつやも良く綺麗な顔をしている。声をかけたら今にも目を開けて起きてきそうなほど。まるで眠っているよう。

――お母さん、綺麗な顔して良かった。

 泣きながらも、母の穏やかで綺麗な顔を見て少しホッとした。綺麗に化粧をしてくれた看護師さんに心から感謝した。

「ありがとうございます」

 涙声でも、きちんとお礼の言葉を伝えることができた。

 

 霊安室へ入ってまもなく、静岡のみんなが来てくれた。

「千恵子!」

 島田のおばちゃんが泣きながら母に抱きついた。

「チーコちゃん!」

 静岡のみんなが号泣して母に寄り添う。

 母の愛称「チーコちゃん」と聞くと嬉しくもあり寂しくもあり、僕はまた泣いた。

 

 静岡のお兄ちゃんが部屋に入ってきた途端、僕と次兄は静岡のお兄ちゃんに抱き着いて泣いた。

 

 母が静岡の実家で暮らしていた頃、幼かった静岡のお兄ちゃんも「チーコちゃん」と呼んでよく遊び、夜は一緒に寝たりした間柄。母が結婚して東京へ行く時はとても寂しかったという。

 

 母と僕らとも付き合いの長い静岡のお兄ちゃん。その静岡のお兄ちゃんが泣きながら、両腕で僕らを強く抱きしめてくれた。

「よく頑張ったなぁ!」

 静岡のお兄ちゃんの優しい言葉にまた泣いた。

「一番頑張ったのはお母さんだよ」

 泣きながらも、そう伝えることができた。

――本当に最後の最後まで頑張ったお母さん。

 あらためて母の強さを知り感動した。母を心から尊敬した。

 

 母を大好きな静岡のみんなと一緒に泣いた。ただただ悲しくて悲しくて、いっぱい泣いた。

 

 

 

 

 

 

 「秀と母」 第四章 

第97話 最後の時

 

2011年2月4日

 母が最期を迎えると知った朝から、ショックで何も頭に入って来ない。家から病院へ着くまでのことも、天気さえ晴れだったのか曇りだったのかも覚えていない。それほど、この日は母のことばかりを考えていた。

 

 病室に入り、カーテン越しに明るい陽射しが届いていた。ようやく今日は晴れていたのだと分かった。その陽射しが夕暮れになると静かに落ちていく。同じように母の呼吸も静かに弱まっていく。

 

 僕らは母を囲んで座っていた。眠るように横たわる母。僕は母の左手を握り、次兄は右手を握り、長兄は左足に触れ、父は右足をさする。あとは見守ることしかできない切なさ。みんなが母に声をかける。

「お母さん、頑張って!」

「お母さん、まだまだ!」

「お母さん、ファイト!」

 みんなして声をかけ続ける。自然と声に力が入る。

 

 途中、看護師さんが母が呼吸をしやすいようにと、枕の位置を変えてくれたり、ベッドの高さを調節してくれた。病室の一件ではいろいろあったが、母のためにしてくれる優しさが嬉しくありがたかった。

 

 モニターをチェックする看護師さんが病室から出ていくと、呼びに行ったのか主治医のI先生がすぐ来た。

 

 母が呼吸をするたびに、酸素マスクが息で白くなる。みんなで懸命に声をかけ続ける。

「お母さん、頑張って!」

「お母さん、ファイト!」

「お母さん!」

 みんな必死で声をかけ続ける。一生懸命に呼吸をしようと頑張る母の姿に感動した。母の強さを見た。

 

 しかし、なんだか母が苦しそうに思えて可哀想になってくる。

「お母さん、頑張って!」

 そう言いながらも心では、

――お母さん、もう十分だよ。僕らのために頑張ってくれて、もう十分だよ。これ以上、もう無理しないでいいから。

 そう思うと涙が出てきた。

――もういいよ、お母さん。ありがとうね。

 母の呼吸が弱くなっていく。ひと呼吸ごとに、静かに、静かに・・・。

「お母さん!」

 みんなで母の手を握り、足をさすり、声をかけ続ける。母への思いを声に出して届ける。

「お母さん、ありがとうね」

 母の呼吸が静かに、ゆっくりと止まっていく。

――もう?もう終わりなの?

 すぐにモニターを見た。緩やかに小さく波を打っていた心拍の波形が一直線になった。I先生を見ると、宣告しようという顔になっていた。

 感情が溢れ、涙が溢れ出てくる。

「お母さん!」

「まだです!」

 I先生が言った瞬間、息を吹き返した母。

「おお~!」

 思わず声に出て、涙して嬉しさが込み上げた。

――凄い!

 最後の最後まで頑張る不屈の闘志。母の強さに感動した。大泣きしそうになった感情が一瞬で止まった。しかし、すぐに呼吸が弱まる。母は一呼吸、大きく息をして静かになった。

 

 I先生が確認をする。腕時計を見た。

「17時4分です・・・」

 その言葉を聞いた途端、悲しみの感情が溢れだす。みんなが号泣した。僕は力が抜けて膝から崩れ落ち、床に座って号泣した。

――終わってしまった。お母さんが逝ってしまった・・・。

 何も考えられなかった。ただ悲しくて悲しくて泣いた。I先生や看護師さんが何か説明していたが、何も聞こえない。何も耳に頭に入って来ない。

 

 看護師さんが母を病院内の霊安室へ運んでくれた。僕は泣いて泣いて、体の力が抜けて立ち上がれない。長兄が抱きかかえるように立ち上がらせてくれた。

 

 みんな泣きながら霊安室へ歩き出す。僕は長兄に支えられてようやく歩けた。病室を出て廊下を歩くが、足に力が入らない。涙も止まらない。感情に任せて、人目もはばからず号泣して歩く。

 

 悲しかった。ただただ悲しかった。大粒の涙が止まらなかった。