「秀と母」 第四章
第107話 旅立ち
2011年2月9日
昨夜はあれだけ雪が降っていたのに、この日は朝から晴れ上がった。
「私は晴れ女だから」と明るく言っていた母。確かに何か大事な日はよく晴れた。しかし、さすがに今日は無理だと覚悟していたら、まさかの快晴。親戚一同みんなも驚いた。
――お母さんの晴れパワーは凄い!
これも母の日頃の行いが良かったおかげだ。
――また神様がプレゼントしてくれたんだ。お母さん、良かったね。
太陽の光で雪が溶けていく。
島田のおばちゃんが足を悪くしていたので、雪で足元が大変だと心配していた。その想いが母に通じたのか。
――大好きだった姉、島田のおばちゃんのために、お母さんが神様に晴れますようにと、お願いをしてくれたのかな。
式場にはたくさんの人に来て頂けた。母が尊敬して大好きだった洋裁の野島先生も来てくださった。
桜の季節に、母と都電荒川線お花見の旅へ行った時、野島先生と偶然お会いしてご挨拶をした。しかし、大変失礼ながら野島先生の顔をよく覚えていなかった。それなのに、この日はなぜか野島先生がいらした時に一目見て直感で分かった。母が教えてくれたのかもしれない。「野島先生が来てくれたよ」と。
「野島先生、ありがとございます。三男の秀郎です」
「千恵子さん、まだお若いのに、とても残念です」
野島先生が涙ながらにそう言ってくださった。お話をしていると、母が野島先生を大好きだった理由が分かる。上品で優しくて温かい大きな心の持ち主だ。野島先生と話をしていると、まるで僕の中に母がいて、僕を通じて母と野島先生が会話しているような不思議な感覚になった。
野島先生は足が悪く、杖をついてまで来てくださった。母のためにありがたい限り。付き添いの長女のSさんもとても優しい方だ。
「母は野島先生のことが大好きだったので、とても喜んでいると思います。来ていただけて嬉しいです。ありがとございます!」
母の分まで感謝の気持ちを伝えることができて良かった。野島先生の優しい慰めのお言葉がありがたく、涙が出た。
葬儀が始まる。地元のお寺の住職にお経上げをして頂いた。その間、ずっと母の遺影を見ていた。棺の近くには母が大切にしていた思い出の品が飾ってある。母の眼鏡、お気に入りの左胸に犬の肉球マークの洋服、島田のお姉ちゃんが作ってくれた毛糸の帽子、お気に入りの毛糸のベスト、着物など。それらを見て泣いた。
昨日以上に大泣きすると想定していた。泣いてコンタクトが外れて大事な式が見えなくなっては困ると思い、この日は眼鏡にした。
――これでたくさん泣いても大丈夫。
実際、ずっと泣いていた。
「告別式に出席します」と返事があった、フレンチレストラン「ル・ブォータン」のシェフとマダムご夫妻が遅れて来てくれた。マダムは式場へ入る前から大泣きしていた。母のために泣いてくれてありがたい限り。
シェフが、
「これ、お母さんと一緒に(棺に)入れてあげてください」
と、母が大好きだったホタテ料理の写真をプレゼントしてくれた。
「なかなか良い写真が撮れなくて。遅れちゃってすみません」
遅れてまで、母のために大好物だった料理を作って、写真に撮って来てもらえた。その優しさに感激してまた泣いた。心から感謝した。
告別式。お別れのセレモニーが始まる。
長兄が位牌を持ち、次兄が遺影を持ち、僕は父に寄り添う。
父は気丈に振る舞って、来てくださった皆さまにご挨拶をした。もし僕がご挨拶をする立場だったら、泣いて泣いて言葉にならなかっただろう。しっかりとしたご挨拶ができた父は凄い。
一緒に棺に入れてあげたいもの。父方の伯母が選んで干しておいてくれたベージュ色の着物は綺麗に輝いていた。母がお気に入りの左胸に犬の肉球マークの洋服。寒くないように毛糸のベスト。母を見守ってほしいと高崎の猫みいちゃんの写真。ル・ブォータンのシェフとマダムから頂いたホタテ料理の写真。
最後にみんなで花を入れ、母に声をかける。お別れが悲しくてみんなが泣いた。僕はもちろん号泣。でも泣きながらも、きちんとお別れを言おうと決めていた。
「お母さん、ありがとうね」
身内の男性が集まって棺を担いで出棺。母の棺を担ぐ時が来るとは思ってもみなかった。
外に出ると空は快晴だった。父と一緒に霊柩車に乗り、親戚一同はバスに乗り火葬場へ向かう。晴れ渡る空の下、道路は混んでおらずスムーズに進んでいく。僕は助手席で母の遺影を持つ。母と本当の別れが近づいて来て、火葬場へ向かうのが嫌で嫌でたまらなかった。
火葬場へ着くと、各場所で各ご家族がお別れをしていた。悲しみの家族がこれだけたくさんいる。涙を流す人たちの姿を見ると本当に辛い。もうすぐ順番が回ってくると思うと、とにかく嫌で嫌でたまらなかった。
係員の人に呼ばれ、ついにお別れの時が来た。
棺の小窓から母の顔を見る。綺麗で安らかな顔。悲しみが込み上げてくる。涙が止まらない。とても辛い。
これで本当に最後のお別れ。
「お母さん、ありがとうね」
最後のお別れほど辛いものはなかった。
係員の人が深々と頭を下げる。扉がゆっくりと閉まっていく。
みんなが泣いた。僕はその場にしゃがみこんで号泣した。
――あの明るい笑顔のお母さんが旅立ってしまった・・・。
これほど辛い悲しみはない。僕は号泣して力が抜けて立てない。兄たちが抱えるように立たせてくれた。みんなの中で一番の大泣き。
父の親友Hさんが「今日は君のワンマンショーだったね」と、元気づけようと明るく声をかけてくれた。心優しい慰めがありがたい。
住職に聞きたいことがあった。旅立った母がどこに?どの世界にいるのか?住職は丁寧にあの世とこの世の話をしてくださった。話を聞いているうちに心が落ち着いていく。母も住職の話しを聞くのが好きだった。
母を亡くした悲しみ。母も自分の母(静岡の祖母)を亡くした時は、今の僕と同じ気持ちだったのだと分かる。住職がおっしゃるには、「今はお母さんが心休まる世界に向けて、これから四十九日かけて準備をしているところです」と教わり、また少し気持ちが落ち着いた。
住職にもう一つ聞きたいことがあった。母を亡くした日から、母のことを想うとすぐ泣いてしまう。しかも大泣き。静岡の親戚も「そんなに泣くと、お母さんが心配するよ。強く生きていこうね」と、悲しみを引きずらないように、ずっと泣き続けないよに、心配して励ましてくれていた。
強く生きていかないといけないのは分かる。でも、母を失った喪失感はとてつもなく大きく、悲しくて泣いてしまう。泣き続けてしまう。やはり泣くのは我慢した方がいいのだろうか?住職に聞いてみた。
「いっぱい泣いてください。泣くのはそれだけお母さんへの愛情が深いという証。今に泣けなくなる時が来るかもしれないから、いっぱい好きなだけ泣いてください。大丈夫です」
泣くのは弱さではなく愛情の深さだと教えてくれた。
――住職のお言葉にかこつけて、いっぱい泣こう。泣けるだけ泣こう。
そう誓わないでも泣いてしまうけど。住職のお言葉に救われた。
遺骨を持ち、斎場へ戻って精進落としの食事。母の陰膳を用意してもらえて嬉しかった。
献杯の挨拶は静岡のお兄ちゃんにお願いした。
「では、チーコちゃんに献杯」
いつもの呼び方で「チーコちゃん」と言って献杯してくれたことがとても嬉しかった。飾らない言葉に愛情が込められていた。感動してまた泣いた。
みんなの優しさに包まれて、母も喜んでいると感じた。
精進落としの食事が終わり、静岡の親戚を駅まで見送った。母が愛する静岡のみんなの帰りを見送るのはとても寂しい。駅の改札で大きく手を振りながら、大泣きした。でも、泣いたのは寂しいからだけじゃなく、「お母さんのために来てくれて本当に嬉しかった。ありがとう!」と、感謝した大泣きだった。
この時、僕の中に母の喜びの感情が溢れてきたように感じた。
――お母さん、みんな来てくれて良かったね。
通夜と告別式の二日間。母のために遠方から来て頂けた方、来られなくてもお気遣いのお言葉を頂けた方、すべての人たちに、心から感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。