牟呂八幡宮(愛知県豊橋市) | まのっちゃお! season3

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真野恵里菜&カントリー・ガールズ&神社巡りが大好きブログ

6/26は、愛知県豊橋市の牟呂八幡宮(むろはちまんぐう)に行ってきました

 

 

鳥居をくぐり、参道を歩いて行くと、茅の輪の枠がありました

 

 

まだ作ってる途中…

 

更に参道を歩いて行くと、拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、品陀和氣命(ホクダワケノミコト)、息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト)

 

 

実はここ、『ええじゃないか』の発祥の地として有名

 

 

『ええじゃないか』とは…

 

慶応3(1867)年7月14日午後4時頃、大西の多治郞屋敷に外宮のお札が降った。明くる日にも、天王社の中の樹に伊雑宮のお札が降り、さらにその晩、中村の普仙寺の秋葉山石灯籠に内宮のお札が降った。

 

こうしてお札は次々と降り、神社や各家に降った。各村の神社に降った時は、その村の祭礼を行い、個人の家に降れば祭壇を設け、お札をかざり、人々には酒をふるまうなど、祭事をした。それゆえ、人々は噂を聞き、あちらこちらと飲み歩き、‐300年は大豊年‐ と浮かれていた。お札降りは忽ち東西へ広まっていった。


慶応3年9月から12月にかけて、お札降りにともなう‐ええじゃないか‐ のから騒ぎは次第に各地に広がっていった。男は女装し女は男装し、華やかな衣裳をまとい、浮かれ歩いた。お札降りがあったところに行き、酒食を強要したり、「これくれてもええじゃないか」と言って、勝手に持ち去ったりした。「それやってもええじゃないか」で止めようともしない。なんでも‐ええじゃないか‐ であった。さらに祭りは華美になり、豊年踊りやお陰踊りが入り交じった。二夜三日は七夜七日と拡大していった。【牟呂八幡宮公式HPより

 

昔、教科書で『ええじゃないか』という名前は聞いたことがありましたけど、こういう出来事だったんですねぇ

 

 

境内には、境内社がありました

 

 

他に、鼓楼もありました

 

 

この神社、香取慎吾さんが参拝されたそうです音譜

 

 

竹を使って、流しそうめんやったみたい(*´▽`*)

 

 

牟呂八幡宮の御朱印

 

 

牟呂八幡宮は、月替わりで御朱印をお出ししてるみたいで、6月は梅雨の時期なので、カエルと紫陽花の絵が押してありました