日本武尊が亡くなったと云われる能褒野
その能褒野大塚古墳の横に、能褒野神社があります
一の鳥居をくぐって二の鳥居
さらに奥に進むと三の鳥居
その正面に拝殿があります
ここの御祭神は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)・弟橘姫命(オトタチバナヒメノミコト)・建貝児王(タケカイコノミコ)
弟橘姫命は、日本武尊の奥さん
建見児王は、日本武尊の子供…ですけど、弟橘姫命との間に生まれた子供じゃなく、吉備穴戸武媛(キビノアナトノタケヒメ)との間に生まれた子供
拝殿の横に、那久志里神社と掘られた社号票がありますけど、明治41年に能褒野神社に合祀されたそうです
奥に進むと、連理の榊と書いてある看板があります
そして、山神と水神が祀られてる石が並んでますけど…
夫婦の契りをたとえて『比翼連理の仲』といい、拝殿西の境内に連理の榊というのがあり、その榊はお互い手をさしのべた形で連なってて、日本武尊が海に沈んだ弟橘姫命をしのんで、「あづまはや」と絶句し、命果てる時、白鳥と化して天に昇った日本武尊の魂が御魂を鎮める処を得て、境内の二つの榊と化した…と伝わるそうです
その榊って、山神が祀られてる左右にあった木みたい
全然気づかなくってごめんね
能褒野神社も能褒野大塚古墳も、のぼのの森公園にあり、静かでいい所です
能褒野神社の御朱印