好きな選手4では南海の黒豹レイ・セフォー、初来日は1995年だったかな?
オセアニアでは抜群の知名度もあり、K-1に参戦していた同じオセアニア出身のスタン・ザマンも「彼は強い、良いファイターだよ」と語っていた。
来日時はクルーザー級上がりの体重88㌔と他の選手より軽めだがオランダの名選手アンドレ・マナートをKOするなどキックマニアの間ではK-1での活躍を期待していた。
しかし初来日の相手は如何せんあのアーネスト・ホースト、序盤こそスピーディーな試合展開だったがホーストの的確なローキックの「貯金」が効いてきて終盤にKO負け、今現在でも正式な引退はしてないが、参戦から15年以上トップクラスで戦っている、ボクシング界のスーパースター、シュガー・レイ・レナードに憧れ、シュガーフットセフォーと名乗っていた時期もあった、マイク・タイソンの所属していたアメリカンプレゼンツに在籍し、パンチに磨きをかけてきた。
ヘビー級では珍しくスピーディーなコンビネーションブローを駆使し、フィニッシュブローを入れる為にフェイントを巧に交えつつ空いた所に狙い澄ましたハードブロー、相手はバタバタと倒れていった、ガードを下げて笑顔で挑発し、技の引き出しが多いトリッキーなスタイルは試合に当たり外れがなく、さらには打たれ強く完全にKO負けした試合はほんの数試合。
しかしホーストのように下半身から崩しにかかる選手を苦手とし、サム・グレコ、ホースト、アンディ・フグにはローキックを効かされ負けが続いた。
急なオファーにも断らずファンに飽きさせない試合をするが、晩年は明らかな調整不足で2Rには息が上がっていた、体にも張りがなく、2008~20010年はスプリット判定や延長判定で負け、やはり肉体的な衰えは隠せない、試合以外でも自信でイベントをプロモートするなど違う方向でも才能を発揮している。
また空手家からプロに転向するのは不利と言われる中で極真のグラウベやフィリョ達とよくトレーニングし、周りからの信頼も厚い、 同じ時期に位に参戦したバンナと共にK-1優勝候補とされていたが二人とも準優勝が最高だった、新世代のファイターもどんどん成長しグーカンサキやバダハリ、エロールジマーマン達にバトンを渡す形になったが、かつて自分達がシノギを削って戦っていたK-1が衰退していく姿を彼達はどう思っているのか?
きっと私達と同じように残念に思っているに違いないだろう。
ご無沙汰しております、ちょっと忙しく久しぶりに書きます、見に来て頂ける方はいらっしゃるのかな?もし一人でもおられれば嬉しく思います、それでは今回も私のお話にお付き合いお願いします、皆さん「無冠の帝王」という言葉を耳にしたことはございますでしょうか?
世界中の様々な格闘技で王者になる実力を持ちながら不運に王者にはなれなかった人達のお話をしましょう、
昔からキックボクシング世界認定団体は数多くあり、日本にやって来る外国人選手は必ず何らかのタイトルを保持していました、
そしていざ試合が始まると呆気なくマットに沈んでいく姿をよく目にしてきました、「またか、やっぱり」という感じで。
今回はわかりやすくしたいのでボクシングで説明します、ボクシングはキックと違い、一昔前まで「世界3団体」と言われ、その権威を保ってきました、それがWBOを加え、現在の「世界4団体」になりました、そこまではギリギリセーフだったんですが、それから数々のマイナー団体が生まれ、主力4団体だけでも17階級で58人の「世界王者」が存在し、これにそのマイナー団体の王者を加えれば一体何人の「世界王者」がいるのか考えるのもあほらしい…
ちなみに2000年に開催されたタイトルマッチは主力4団体で17階級の153試合、ところが1900年は5階級で10試合、1920年代のヘビー級名王者ジャック・デンプシーですら「世界タイトルに挑戦するのは一生かかる仕事に感じた」と語ったように現在より遥かに厳しい条件をクリアしなければ世界戦はおろか、王者になるには「夢のまた夢」
現在は主力団体に挑戦するのに無冠よりは何らかの肩書きがある方が響きがいい、「ないよりはまし」程度の感覚でマイナーベルトを取る選手も多くいるがこれも当然世界タイトル戦なのである、このような中で無冠の帝王なんてよほど運がないか実力不足のどちらかだ、でもいたんです、昔はね、本当はあってはならないのだが人種差別や国家の問題、不測の自体などの理由がある、無冠の帝王と呼ばれる定義は、1挑戦を前に怪我や病気などの事態でキャリアを絶たれた選手2一度もタイトル挑戦の機会に恵まれなかった選手がある、
しかし2で書いたのは細かく分けると、昔は人種差別が酷く「どんな理由があっても黒人の挑戦は承けない」と言い切る白人王者がいた、それは差別の中に黒人はとても強いと思われていたからだ、王者になるために努力してきたのに黒人同士で星を潰し合う残酷な現実、そしてそのままキャリアを終えグローブを置いてしまった、次は1で書いた不測の自体でキャリアを絶たれた選手、やっとの思いでタイトルマッチに漕ぎつけたが交通事故や病気などのの理由でキャリアを断念せざる得なかった例、
そして最後に1と2をたして割ったような例を3としよう、連戦連勝で白人でありながらタイトル挑戦に無縁だった選手がいた、
その理由は「試合自体がつまらなかった」という言、派手な技もなければ、KOもない、淡々と試合をこなし相手の良いところを摘む「地味なテクニシャン」的な選手のこと、ただ強いというだけで花も無く地味な選手をプロモータは見て見ぬ振りをしていたのだ、
この3つの理由が無冠の帝王が位置づけされるがこれ以外の理由も当然ある、
「挑戦はしたもののたまたまその試合では力を発揮できなかった」というのもあるが、どんな理由があれ一度は挑戦出来たという事でこれは除外したい、今回はボクシングで例をあげたが空手も団体の分裂や流派の違い、新空手といったルールの違いなどがある、これはまた時間があれば書きたいと思います。
昔私はサガッペットが好きでした、タイのメジャータイトル、ルンピニー&ラジャダムナンSフェザー級を統一、さらにルンピニーライト級王座も奪取、
三菱ストラダ杯を制覇した後は当事「過去最強の外国人」と呼ばれていたフランスのムエタイハンターことジョン・スカボロスキーを1RKOと全く問題にせず、 ライト級最強の男と呼ばれていた、そしてラジャのライト級王座を保持しオムノーイ、タイ国プロムエタイ、WMC世界ライト級王座と4つの王座を持つジャルンチャイとさらにWBCムエタイの王座決定戦と6本のベルトが賭けられるライト級頂上決戦が行われると言う情報を聞いた時は想像するだけでも寒気がしたもんだ、しかしルンピニー王者のサガッペットが練習中の怪我で試合が流れてしまった、この対戦の話から約4年の月日がたち再び試合が組まれました、
二人はすでにかつての勢いはなくジャルンチャイは両スタジアムの現役ランカーだったがサガッペットはノーランカー。
常に強い選手が輝いては消えていく厳しい世界、ピークを過ぎた二人の試合はあまり注目を集めなかったがジャルンチャイが判定勝利、ジャルンチャイは今でもライト級とSライト級の上位ランカーだがサガッペットは引退したのかな?
男前で日本でも人気があったが頭角を表わしてからの選手生活が短かったのが残念だね、的確なパンチに素早い左ミドルは素晴らしかった、晩年に(と言ってもまだ28歳)もう一花咲かそうとK-1に登場、相手はポーランドの若きホープ、ミカル・グロガウスキー前評判も良く将来の有望株、
試合自体はサガッペットの延長判定負け、お互いダウンをとっての接戦だったね、やっぱりサガッペットに70㌔は重すぎるのとK-1ルールではムエタイ本来の技術が活かせれないのが残念だね、首相撲、肘、組み付きからの膝、が禁止されているから戦うのも大変だと思うよ、しかしブアカーオは努力家だね、K-1MAXで優勝した後に技に規制がかけられたがパンチに磨きをかけて大活躍、ムエタイでもいくら実績があってもファイトスタイルでK-1ルールに向き不向きがあるからブアカーオはピッタリ枠にはまったようだね、
反対に来日前からムエタイ伝説の王、「ムエタイの生ける伝説」などと煽り、肘打ち、首相撲の攻防が得意なガオランが結果を出せなかった、ムエタイを知らない人はこのような試合を見て「ムエタイはこんな物か」と思う人も実際いると思う、
タイでは8割から9割が軽量でフライ級からフェザー級クラスが「神の階級」と呼ばれるくらい層が厚くウエルター級になるとほとんど選手がいない、ブアカーオももともとはフェザー級、ライト級の選手で、レベルも人気もやはり軽量級の方が注目される、最初に書いたライト級最強と呼ばれたサガッペットやジャルンチャイも階級下のジョムトーンやセンチャイに体重ハンデを貰っても勝てないくらいだからね、でもしょうがない気もするがセンチャイ、シンダム、オロノー、サゲッダーオ、ノンオー、ジョムトーン、サムエー、ゴンサック達は強いですね、まさに芸術と言ってもいいでしょう!このトップ選手についてはまた後程書きたいと思います、それでは皆さんさよなら、さよなら、さよなら(淀川長治)今となったは知ってる人少ないだろうな~。