心の危機というテーマ
私のブログのテーマであり人生のテーマは、「音楽」と「心の癒し」です。
今回はこの二つのうちの「心の癒し」分野、
その中でも「心の危機」について何回かに分けて書いてみたいと思います。
私は「心の癒し」を、単に一時的な安心感ではなく、
心の成長の結果生まれるものだと考えてます。
登山に例えるなら、厳しいルートを登頂した後に頂から見える景色が心の癒しです。
そして心の癒しの前には、危機や困難があります。
今回は、この危機の中でも特に厳しい困難である「希死念慮(死にたい気持ち)」について、自分の体験も踏まえて書いていきたいと思います。
今のSNSでは、「いいね」の数やフォロワー数が価値として見られがちです。
自尊心を満たすこと、収益につながること、成功しているように見えること。そうしたものが注目されます。
また、相手の生死に影響を与える可能性を考えると、
おいそれと情報を発信しづらいという別の側面もあります。
よって希死念慮というテーマは、話題になりにくく、
それを感じている人も孤立しやすいと思われます。
私は精神医学の専門家ではまったくありませんが、
希死念慮を伴ったうつの経験者であり、
経験者同士で経験を共有し合うことは意味があると考えます。
また、人生スパンで物事を見た時に、
このテーマを深掘りすることは人の成長や幸せにとって大切ことだと考えます。
希死念慮は本当に苦しい
経験した人でなければ分かりにくいかもしれませんが、
希死念慮は本当にきついものです。
体感的には、二つの状態があります。
一つは強い焦燥感で、何かに追われるような感覚が続き、
心が休まらない、逃げ場がない感じです。
もう一つは動けなくなる状態で、頭を働かせること、歩くこと、
風呂に入ることなどを苦痛に感じ、
何かしようとするだけでも死にたくなる感じです。
そして希死念慮は心だけでなく、身体感覚と結びついています。
心で感じる不安感と身体の内側の強い不快感が結びついて存在している感覚で、
心か身体のどちらかに少々何かを施しても、苦しさはびくともしない感じです。
私の20代の体験
私が最初に強く希死念慮を感じる様になったのは20代の会社に入って間もない頃のことでした。
私は入社してからずっと、
エネルギープラントを建設するエンジニアの仕事をしています。
まだ入社して半年くらいで、
地図に載る様な大きいプラントの主要部分の設計担当となったのですが、
この仕事がうまくできませんでした。
約束を守れない、ミスが続く、お客様や現場から責められる、
と追い詰められていく一方でした。
何とかしなければと思うのですが、焦れば焦るほど身動きが取れなくなり、
仕事で問題を解決していくことへの恐怖感が強すぎて、
もう死んで逃げるしか手は無いと考えるようになっていました。
その状態が数年間続きました。危険な時期だったと思います。
では、どうやって乗り越えたのか。
私の場合はクラシック音楽が大きな支えになりました。
バッハやマーラー等の曲を聴くこと、そしてチェロを弾くことで、
何とか生き延びた感じです。
音楽は、理解するほど、
人間の苦しみや悲しみを受け止める力があるということがこの時に理解できました。
ちょっと宗教に救われた様な感じですね。
また、心の世界、特にユング心理学や退行催眠から導き出される輪廻転生の世界観について読書し続けたことも支えになりました。
結果として、5年ほどかけて少しずつ回復していき、
希死念慮をほとんど感じないくらいまで回復しました。
40代で再び訪れた危機
ところが、心の危機は一度乗り越えたら終わりではありませんでした。
40代になって、再び大きな危機が訪れます。
今度は職場で、部長クラスのプロジェクトマネージャーから執拗な攻撃を受けるようになりました。
無理な条件での仕事、理不尽な要求、
人格を否定する様な言葉での精神的な圧迫などが続き、
少しづつ追い詰められて行きました。
1年ほどして少し希死念慮が出始めたので、
精神科の産業医に薬を処方してもらい始めるのですが、
仕事の立場は変えてもらえず、さらに1年この状態が続いため、
強い希死念慮が出るようになりました。
最終的に恐怖感が強くなりすぎて、会社へ行こうとすると身体が動かなくなり、
出社できたりできなかったりという状態となり、
産業医からドクターストップがかかって、その後14か月間の休職を経験しました。
この休職の時に、20代とは違う出来事がありました。
休職してしばらくしてから、
医大の精神科で行われていた復職プログラムに参加しました。
10人ほどのグループで、自分の状態や悩みを共有しながら、
認知の歪みを気づかせてくれる認知行動療法というのを軸に復職の為に組まれたプログラムでした。
そこでは初めて、自分以外の人が悩みやつらさを直接話すのを聴きました。
そして、こういうふうに悩むのって結構普通のことなんだなと分かり、
少しだけ気持ちが軽くなりました。
自分はとんでもない悩みを抱えた特殊な人間なのではなく、
ごく普通に弱さを持った普通の人間なのだなと分かった感じです。
この経験で、自分自身に向いていた強い自己否定が緩み、
このままでもそれほど悪くはないんだなと考えられるようになりました。
またこの頃には希死念慮もだいぶ軽くなっていました。
20代の頃は音楽や心の世界を学ぶことで切抜けましたが、
40代では、同じつらさを持った他の人の存在に癒やされました。
希死念慮には共有が効く
希死念慮には、すぐ楽になる特効薬はあまり無さそうです。
しかし、人に話して共感してもらおうにも、まずは相手を選ぶし、
医療機関の門を叩くのにも中々なエネルギーが要ります。
人に理解してもらって共感してもらうのも中々大変です。
一方、先に経験した人の経験を知ることで自分だけではないことが分かって、
楽になる部分もあるかと思います。
なので、まずは微力ながら私自身の感覚をブログという場で自己開示してみました。
「自分だけではない」という感覚を少しでも感じでもらえたらお思います。
これから私がやろうと思うこと
私はこれまで、音楽を軸にして発信することが多かったです
。自分にとってこれからも音楽は大切なテーマです。
しかし今後は、心の危機や癒しについても発信していきたいと思っています。
希死念慮というテーマは、多くの人が避けますが、だからこそ、
誰かが語る意味があると感じています。
それでは、また。
