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今回は、「理想の音楽」についてです。
そもそも、理想という言葉は、
元々に日本にあったものではありませんでした。
古代ギリシャ時代の哲学者、
プラトンの思想である「イデア」
を明治時代に日本語に翻訳したものです。
この「イデア」とは何かについて、
過去記事(2019.7.15付「音楽の快感(その8)美のイデア」
にて、すでに書きましたので、
抜粋を掲載してみます。
====「音楽の快感(その8)美のイデア」から抜粋====
「イデア」に戻りますが、
これは、プラトンの哲学で出てくるもっとも重要な概念です。
通常我々が見聞きしているものは、
その真の姿を捉えておらず。
魂の目でしか見えない純粋な形、完全なもの、
を「イデア」と呼びます。
「イデア論」のその前提は、
哲学というよりだいぶ宗教的だと思います。
プラトンによると、
我々は天上界にいて、本来の姿「イデア」を見ていた。
しかし、天上界を追放されて、地上界に来た。
その時に、見ていた「イデア」を忘れた。
しかし、視線を魂の内面に向けて、
おぼろげながら思い出すこと、
イデアを「想起」することが物の原形を真に認識すること。
真の philosopher(愛知者)は、
できるかぎりその魂を身体から開放して、
魂がそれ自体であるように努める者である。
この愛知者の知の対象が「イデア」である。
というロジックです。
つまり、「天上界」や、「魂」の存在を前提としています。
天上界を追放されたというような、宗教的な考えかたが、
キリスト教が出来る前のこの時代からあったのですね。
====ここまで====
つまり、理想(イデア)の音楽とは、
天上界にあって通常は見ることのできない、
完全な音楽ということです。
また、同じ記事から「美のイデア」についても抜粋します。
=====「音楽の快感(その8)美のイデア」から抜粋====
音楽は、プラトンの言う「美のイデア」に属すると思われます。
「善のイデア」が根本にあり、その下位に「美のイデア」が来ます。
「美のイデア」ということで、
普遍的な音楽の美とは、
天上界で魂が耳にしていた音楽だ、
などと言われても急には理解が難しいですね。
なので、
過去の自分の音楽体験の引き出しから、
そういう言葉が当てはまる音楽を探してみます。
まず、最初に思い浮かぶのが、
バッハ作曲、無伴奏チェロ組曲第六番のサラバンドです。
金色に輝くような和音の移り変わなど、
天上界と言われても違和感がありません。
完全に主観の世界ですが。
次に、モーツアルトのクラリネット五重奏の第二楽章。
繊細で美しいメロディに、
忘我の境地に至る様な曲です。
もう一つ、マーラーの交響曲第三番の六楽章です。
神の懐に包まれるかのようなスケールの大きい、
深い癒しと悦びが得られます。
どれも、「神々しさ」と「なつかしさ」の両方を感じます。
昔は魂として天上界で接していたけれども、
現在は忘れていて、
音楽によってそれを想起させられるという、
プラトン的な考えがぴったり来る曲です。
まさに「美のイデア」に近づいた音楽ですね。
音楽を聴いて、「美のイデア」が伝わってくるというのは、
演奏者としてはまだまだ受動的です。
自分の演奏によって、
聴き手も自分も美のイデアに近づく為には
どうすればよいのでしょうか。
ここで思い出すのが、
世界最高峰のチェリストである。
ロストロポーヴィチの公開レッスンで聞いた言葉です。
場所は御茶ノ水のホールでした。
レッスンを受けていた方々は今では第一線で活躍されています。
で、その言葉とは、
「音楽は人の心に架け橋を作る。
演奏者が感動すれば、
それは音楽を通してかならず聴衆の心に届く。
と私は信じている。」
という主旨のものでした。
演奏者が実際の演奏で真摯に「美のイデア」に近づこうとし、
聴き手も同じ方向を向いてそれに近づこうとすれば、
両者にによって「美のイデア」は間近になるかもしれません。
しかし、ここでもまだ疑問が残ります。
「美のイデア」に近づくにはどうすればいいのでしょうか。
誰かが地図を用意してくれている訳でもありません。
考えるに、これはすぐに近づくのは無理なのかなと思います、
ただ、音楽の「美のイデア」が存在するというのを、
一度心の底から信じてみること、
そして、その「美のイデア」に近づく演奏することを常に「意志」すること、
かと思われます。
長く音楽に関わる上で、
目先のことに囚われない為に、
最も遠くにある道標が「美のイデア」だと考えます。
自分なりに、「美のイデア」(=究極の理想の音楽像)を持って、
音楽とつきあっていきたいと思います。
=====ここまで====
音楽が属する美のイデア。
簡単には近づけないけれど、
近づこうと意志することが大事だということです。
過去記事が相当長くなってしまい失礼しました。
しかし、人はなぜ理想の音楽等、
理想の何者かを目指すのでしょうか。
証明はできないので、
あくまで私の考え、
つまりファンタジーですが、
神が宇宙を創った目的は、「成長」です。
神は愛のエネルギー体でしたが、
自分だけではその愛を感じることができません。
そのため、便宜的に自分を分離させた「個」を創り、
その個に愛を与えて成長させることで、
「成長」と「愛」を感じられる様にしました。
また、その成長をよりリアルに効率よく体験できる様、
愛という「情報空間」だけでなく、
時間、物質による「物理空間」を創りました。
そして、情報空間から物質空間を体験できる「生命」も作りました。
この生命という個を通して神は成長を体験できます。
そして、高度に発達して物理空間と繋がった「自我」と、
情報空間に繋がった「魂」を持ち、
成長の最前線にいるのが、我々人類です。
情報空間によって神と繋がっている「魂」は、
神にはなれないけれど成長しようとする性質があるので、
理想の音楽を通して少しでも神に近づこう(成長しよう)とします。
これが理想の音楽を目指す理由であり、
神の性質を体現しているということでもあります。
本記事表題の「音楽表現」とは、
これを演奏行為によって他の魂と共有しようとする試みであり、
神の性質を演奏者と聴き手で共有することです。
我々の「自我」と「魂」がここに存在している意味
を確認することでもあります。
音楽で意味を確認した後は、
我に返って(魂から自我に返って)
リセットしてまた実生活に戻ります。
しかし、これまでより、
実生活の意味、つまり普段の生活も成長の為の体験であること
を認識できるようになるわけです。
これが実生活における音楽の意味で、
意味を忘れたころにまた音楽で共有して思い出すの繰り返し。
この繰り返しでらせん状に成長していくのかと思われます。
こういう人類に与えらえた成長ツールである音楽に、
アマチュアながらライフワークとして取り組むことが出来て
幸せだといつも感じています。
話の落としどころが難しいのですが、
今回は以上です。
それでは。
