ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

今回は自分の演奏能力と、

演奏で得られる快感とについて考えます。

 

 

 

演奏能力とは、

物理的な正確性、

作曲家が作った曲の文脈再現能力、

そこに共感が表現されていること等、

とします。

 

 

ところで、どうして演奏上手くなりたいか?

と自分に問うてみると、

 

若い頃は承認欲求でした。

 

皆に褒められたい、

認められたいというところですね。

 

年齢が行って多少それが満たされると、

今度は、見たことのない景色をみたい、

より高い山(より難しい曲)に登りたいという気持ちが芽生えます。

 

現在の地点より満たされた状態があることを夢見て練習するわけです。

 

 

 

周りの人たちとの関係で見ると、

普段、人間関係の網の目の中で

幸せや不幸を情報としてやりとりしている訳ですが。

 

音楽を発する側としてより高度に

幸福の循環を大きしたいという気持ちもあるかもしれません。

 

より多くの幸福の循環のフィードバックをもらって、

より幸せにという感じです。

 

 

また、幸福の循環より喜びが大きいのは、

弾いている瞬間に感じる幸せかもしれません。

 

上手くなればなるほど、

弾いている瞬間の喜びは大きいのかもしれません。

これは、どうしてでしょうか。

 

ここで、

演奏という行為によって、

音楽が情報世界と物質世界両方に

またがって流れていく過程を図にして考えてみます、

 

 

①作曲家(情報)↔神

↓(作曲家の能力)

 

②演奏者の自我(情報)↔神

↓(演奏能力)

 

演奏者の身体で演奏(物質)

↓(身体能力)

 

楽器(物質)

↓(楽器の能力)

 

音(物質)→演奏者の自我に戻る→

 

演奏会場(物質)

↓(会場の能力)

 

③聴き手の自我(情報)(⑤聴き手の能力)↔神

 

 

図には書かれていませんが、

この矢印「↓」の部分を音楽という情報が流れていきます。

 

つまり、①の作曲家から、③の聴き手に音楽が届く過程で、

うまく演奏できない等一か所でも滞りがあると、音楽が情報としてちゃんと流れないので

②演奏者と③聴き手の両者は幸せになれません。

 

演奏能力ががしっかりしていれば、

①作曲家、②演奏者、③聴き手の3者が「神」を介し、時間を超えて繋がって、

一体感を感じ、音楽に感動できるという訳です。

 

ちょっと、理系っぽい図を作ってしまいましたが、

音楽と付き合っていく上で、

今自分が何を頑張っているのか、

図に書き出してみるのも有りではないかと思います。

 

で、当たり前ですが、音楽で快感を得るのに、

「演奏能力」はやっぱり、

一番大事な要素の一つですね。

 

このテーマ、まだ掘り下げられそうですが、

この記事はこんなところで一旦終わります。

 

 

では。