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音楽を演奏する時の快感がテーマです。
まず、
演奏の時に心と体をどう使っているかです。
私自身の例で恐縮ですが、
オーケストラでチェロを弾くときに、
意識をどのように使っているか見てみます。
テンポの確認の為に、
指揮者を視界の隅に入れながら、
同時に楽譜の少し先の箇所を見ています。
そして、
フレーズの終わりが近くなると、
次のフレーズをどう作るか先にイメージします。
その時に先に気にすべき他のパート
をチェックしつつ、
体も、効率のいいフォームで演奏
できる様に注意を払っています。
という感じで、
色々と同時に処理しています。
周囲の情報、少し先のイメージ、
現在の身体の動作の複数の系統について、
同時に処理し続けている感じですね。
ここで見方を変えると、
少し先の音楽をあらかじめイメージの世界で形づくるのは、
音楽の物語を自分のものにする、
つまり、
主語を作曲家から自分に変換する行為です。
そしてタイミングがきたら、
体を動かして、音楽を現実の世界で形にする感じです。
音楽を聴く側も、時間は一緒ですが、
演奏者は音楽を先に「自分事」に変換しています。
指揮者のバーンスタインは、
マーラーの交響曲の指揮をするときに、
同じユダヤ人のマーラーが
今まさにその場で作曲しているかのように
指揮を振るそうです。
究極の状態だとそうなるのでしょう。
受け取って感動するところから、
自分の生で感動を「作り出す」ところまで、
演奏者になると飛躍します。
そもそもこういう演奏という創造行為は、
無から有を作り出すものであり、
神の性質に似通った行為です。
だからこそ「きもちいい」のでしょう。
ということで、
演奏での快感についてでした。
それでは。