ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

今回は老子と音楽についてです。

 

この記事を書く前改めて老子の書いた道徳経を読み直しました。

しかし、スケールがあまりに大きくて、

ちょっと記事にするのをためらいました。

すべてについて書くと本が書けてしまいそうなボリュームでしたので。

 

老子の道徳経は、全部で81章までありますが、

その中から今回は、

第1章と第4章に限定してみました。

 

 

まずは、第1章。

原文、訳文は専門書に譲るとして、

要約すると、

「表面に道は無い。道は奥深い所から生まれる」

ということです。

ここで「道」とは、

宇宙や自然の根本原理で表に現れないものとしておきます。

 

教えとして捉えて言い方を変えると、

「表面にとらわれるな、深いところを見よ」

「物事の本質を観察する目を持て」

という風になるかと思われます。

 

ここで音楽の演奏に結びつけてみます。

 

まず、

音楽の「深いところ」とか「本質」

って一体何でしょう?

 

と頭で考えてしまうと、

そこで思考が止まってしまいます。

 

なぜならそれは音楽の大切な部分は

「道」の様に言葉にできないからからかもしれません。

 

「道」の反対の意味である

「名」は言葉や概念で言い表せる事柄ですが、

これは言葉で探求できる領域です。

 

しかし「道」はそれとは対極にあり、

言葉で表せない、奥深いところにあるものです。

 

「音楽」も同じく、

言葉で表せず、心の奥深いところにあるものを表現できます。

 

 そう考えると、「道」と「音楽」は、

親和性が高いと感じられます。

 

そして「音楽」も、

感情を表現するだけでなくて、

「道」と同じく

物事の本質に近いところにあるものなのかもしれません。

 

 

そして、第4章。

要約すると、

「道は空っぽであるが、

その働きは無尽であり、

満ちることが無い。

底なしの深淵のように深く、

それは万物の根源であるらしい。」

となります。

 

「道」は空っぽだが、

尽きることのない万物の源ということです。

 

「道」と親和性の高い「音楽」。

もしかしたら、「音楽」によって、

とくに「演奏」によって、

尽きることのない万物の源と繋がれるのかもしれません。

というか、実際に繋がれている様に感じます。

 

「音楽」の「演奏」中に感じる、深い感動と、

老子の「道」は同じ世界を表しているかもしれませんね。

 

なにか、ロマンを感じます。

 

老子の道徳経の世界、

今回は2章分だけでしたが、

また別の機会に書いてみたいと思います。

 

それでは。