ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

今回は、

心に足りないものを満たすということと、

音楽についてです。

 

心に何か足りないといっても、

色々ありますよね。

 

満たされない食欲

お金

異性

服、車、家等のモノ

ふるさと帰りたい(土地)

仕事での充実感

なんとなく物足りない

 

等々

 

足りないものはたくさんあって、

それを満たすニーズは大きいです。

 

 

音楽では、

 

ポップス、ロック、演歌など、

分かりやすいものほど、

この足りないものに対して、

より、具体的に対応して作られています。

 

そして、

みんな足りないんだ、

自分だけじゃないんだ、

今の自分でオッケーなんだ、

と、自己肯定感を上げてくれます。

 

 

そもそも、

 

何故足りなくなるんでしょうか。

 

仏教では、「眼・耳・鼻・舌・身・意」

(げん・に・び・ぜつ・しん・い)

という六根から欲が生まれ、

無知だから欲求(現にビ絶真意)に囚われる。

とのことです。

 

そして、知恵を得て欲求から自由になれば、

輪廻転生して苦しむことが無くなるよって話です。

 

心理学では、

 

マズロー先生によると、

欲求には

「生理的欲求」

「安全への欲求」

「社会的欲求」

「自我欲求」

「自己実現欲求」

と、

低次元から高次元までの、

5つの階層があり、

 

一つ満たされると一つ上を満たしたくなる。

ということです。

 

 

他にも、哲学とか脳科学とか、

色々説明はあれど、

どれもすぐ解決する話ではないです。

 

これらを満足したら、

悟りを開いて、輪廻から解脱しちゃいそうです。

 

解脱したら音楽要らなそうですね。。。

 

 

今のこの不足感をどうするかという話に戻ります。

 

西洋音楽は構造的に、

 

不安にさせた後、

安心させて心が満たされた感じ

になる様にできています。

 

緊張と弛緩ですね。

クラシック含めてみんなそうです。

 

人間の心にある不足感は、

ブッダレベルの悟りに至るまでずっとあるのでしょう。

 

少しでも無知とか、レベルの下の欲求が残っていれば、

不足を感知してしまいます。

 

それに呼応して、

不足が深かったらその分だけ、

音楽の緊張と弛緩の落差も深いものを求めるのでしょう。

 

ここで、話があちこちですみませんが、

クラシック音楽では、純粋音楽の美っていう考えがあります。

 

ブラームスの時代の

ハンスリックという人の音楽美論とか、

感情表現の媒体ではなく、

純粋、絶対な音楽が最上という思想です。

 

真理イコール音楽とか、

美イコール音楽とか、

みたいな感じですが、

 

真理とか、美ってそんなに間口が狭いのか?

人間が不足を感じて何かを求めるのは、

美じゃないのか?

と、ちょっと違和感を感じます。

 

神のような俯瞰的な視点から見れば、

強く成長しようとして、

もがきながら、求める姿こそ美ではないかというのが、

私の感覚です。

 

そもそも、この世に生を受けて存在している意味は、

不完全な状態から成長する喜びを体験するためだと考えます。

 

魂の存在意義を思い出させる為に、

緊張から成長してゴールに着いて弛緩する、

 

っていう感覚を思い起こさせるからこそ、

音楽の存在意義もあるのではないでしょうか。

 

ということで、

 

「足りないものを求める姿こを美しい。それこそが音楽。」

 

 

という結論になりました。

 

それでは。

 

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